[連載]

   71 〜 80       ( 鳴海 助一 )


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◆その71
 『えぎじャし』
 名詞。意味は、肋骨(ロッコツ)のあたりが痛んで、呼吸をするのに困難なこと。ガッチャギ・ソノデなどと同じく、津軽ことばで呼ぶ「病気の名」である。
「えぎじャし」も、水田耕作に最も関係の深い病気の一つで、農夫達にはまことに気の毒なことである。大てい春先に多くかかる。それは、冬期間割合いに、は げしい労働をしないでいて、春になって、急にするからである。一番危険なのは「田打ち」で、あとはめったに起こらない。その土質と、深浅にもよるが、田打 ちぐらい苦しい作業はない。「打ち下ろして、深く食い入った鍬を引っぱる」その時の胸部の引きしめ方、構え方によって、素人の者は、わけもなくこの「えぎ じャし」をおこすのである。また血気さかんの若者達は、楽な田だと、(砂質など)マグリウヅをする。これは鍬を下ろすのと引っぱるのと同時にすること で、これでよくやられる。
 その他の作業でも、例えば薪割りなど、急にはげしい労働をすればよくかかる。また、卓球や、ボール、ピアノ、囲碁などで、肋膜がどうのこうのというのも、この「えぎじャし」と似た症状であろう。

▲語源は標準語の「息差し」から。標準語の意味は、息遣い、呼吸する様子であるのは勿論だが、方言の場合は「呼吸するのが痛く苦しい」という意味になる。 「イキザシ」の「ザシ」は、「芽ザシ・キザシ(萌)ココロザシ(志)」等の「ザシ」に同じ。「イキザシ」は、神奈川県の方言では「肋間神経 痛」だし、愛知県北設楽郡では、「横腹」だそうだ。
 さて、文明の利器が、農村にもますます普及されてきて、津軽の「エギジャシ」は、おかげでだんだん聞かれなくなったが、これは結構なことである。



◆その72
 『えぎつぐ』

 連語。威勢がよくなること。景気がよくなること等。また病気が、だんだんかい復してくること。

※ヌググナッタキャ、コンダツトえぎァつデキタ。
○暖かくなったので、こんど少し生気がみえてきたよ。

 苗代の苗の発育が良好になったことをいうのであり、その反対の場合は「カンツケル」という。

※カマドサえぎァつデクレバ、カェッテカヘグァネ。
○家の暮らし向きがよくなれば、却って働くものだ。「カヘグ」は「稼ぐ」「精出して働く」こと。

※オヤジァフトサガビサガベバ、犬ァえぎァつぐ。
○飼い主が一声叫べば、犬は断然闘志が湧く。

「えぎつぐ」は「意気が付く」であろう。



◆その73
 「えくらかげん」

 連語。形容動詞的、副詞的に用いる。えくらかげん。標準語の「いいかげん・適当に・程よく・体(テイ)よく・でたらめ・無責任」等にあたる。もとひどく訛って「えッからかげん」ということもある。

※アノダェグァ、シゴドァえくらかげんデマエヘォン。
○あの大工さんは、仕事が粗末(でたらめ)で駄目だ。

※アノフトモ、ジンブえッからかげんダフトダェ。
○あの方も随分いいかげんな人だよ。

上は、大ていの場合、口先ばかりで実行が伴わないとか、約束を守らないとか、無責任だとか、どうも信用がおけないとか、とにかくそんな人を評していうようだ。

※コレダバ、ホネオッタダゲソンダデァ。えくらかげんネシテ、ヤメルベシェヤメルベシェ。
○これなら、働いただけ損だよ。いいかげんにしてやめましょうや。

 上は、無駄な仕事、無意味な、つまらない、あるいは、どうせあとで、やりなおさなくてはならないしごとなどの場合のことで、これは悪い意味でいうのではない。

▲くらい・ぐらい(位)は、程度や分量を表わす場合に用いる「助詞」である。例えば、「十九か二十ぐらいの女で……」「二万円くらいの背広一着」「あれく らい・どれくらい」など。それから、「ちょうどいいくらいに見積って……」とか、「少し寒いくらいだ」のように、形容詞やその他の語にも自由にくっつけて いう。ところが、津軽ことばでは、
「ええくらェネシテ、書ェデオデケヘジャ」
(いいようにして、書いておいて下さいな)のように、「ええくらェネ」という。意味はもちろん「適当に・いいかげんに」である。
 次に、適当に加えたり、減らしたり、するということから、「加減」という熟語が出来、それが活用して、動詞サ変の「加減する」となる。さらに意味が広まって、「加減して歩け」などと「注意して・気をつけて・後先き考えて」等の意味となる。
 さらにまた、接頭語のようなものがついて、「手加減・口加減」などともなる。そこで結果は次の通り
@方言:ええくらェ+加減=えくらかげん
A標準語:いい+加減=いいかげん
 方言の方は、少し長ったらしくはなるが、ていねいでもあり、正しい言い方(意味の上から)のようだ。
 標準語の方は、これだけは、どうも、あまり飛躍しすぎた言い方ではないかと思うが、筆者のひが目か。
 方言の言い方は「ちょうどいいくらい」の「くらい」を正直に取り入れて、「いいくらいに・かげんして」という意味である。しかし標準語とは、身分がちがうからしておいそれと、その仲間入りをさせるわけにもいくまいって…。



◆その74
 『えッくりかェくり』

 副詞として用いる連語。アクセントは、えッくりかェくり。意味は、強いて標準語風にいうならば、「行く時も、帰る時も」「あっちへ行ってもこっちへ来ても」「あっちでも、こっちでも」「あれもこれも」「いつも・しょっちゅう」等のこと。

※コノハナバシサ、えッくりかェくりブッツカル。
○ここの横木の出張った所へ、行く時もぶっつかり、帰る時もまたぶつかった。(時々ぶっつかる)

※ハルネワラシコロシテ、アギマダ、オガジャデ、リンゴホロガェデ、えッくりかェくり、ウンァエグナェトシデタジャ。チョネンァヨ。
○春には子どもを亡くして、秋はまた、大風でリンゴをすっかり落とされて、何もかも、運が悪い年でしたよ。昨年はねェ。

※アノフトァマダ、えッくりかェくり、ソンバレシテルォンナ。―ンン、アレァアギナェヘダダンダ。
○あの人はまた、しょっちゅう、損ばかりしていますねェ。―あァ、あの人、商売がヘタなんですよ。

※オマェマダ、えぐくるモノソテアリテ、ナンデシバソレァ。
○あんたまた、往復、荷物せ負って歩いて、なんですかそれは。



◆その75
 『えッくりかェくり』(2)

 ▲語源について考えてみる。まず「行く・来る」が本元らしい。「えぐくる」という方言に見当をつける。この語はこ れだけで、「行く時・来る時」という意味があるのに、さらに、繰返して言うために、「かえりくる(帰来)」という、似たような意味の語を、軽く用いたもの にちがいない。
「いくくる・かえりくる」が「いっくる・かえっくる」になるのは、「く・り」が「っ」と促音に変ることだけで、簡単にできる。それが、また訛って「えッくる(り)かェくる(り)」となる。
 津軽ことばでは、これが、初めに述べたような意味で用いられるのである。同じ語・あるいは似た意味や語呂をもつ語を、繰返していう場合は、後の語は大て いは、軽く添えられているに過ぎないものが多い。例えば、@メチャクチャAカチャクチャBサンジャコジャ(散々に)Cドンダリカンダリ(どうで もこうでも)のように。標準語にも、似たような繰り返しの語がたくさんある。要するに、「えッくりかェくり」は、津軽ことばの中でも特殊な成立過程を有す る副詞であって、「行ったり来たり」という言い方とは、形は似ていても、意味は大いに異なるのである。序いでだから、この二つを比べてみよう。
1.えッくりかェくり=@行く時も帰る時も。転じて。Aあれにもこれにも。再転して。Bしょっちゅう。
2.えッたりきたり=@行ったり来たり。A行くことと来ることと。B大へんな相違。2の方は、だから「いったり来たりのチガイだ」などともいうのである。



◆その76
 『えげじャがし』

 形容詞。えげじャがし。標準語の「こざかしい・こまさくる・こましゃくれる」及び「悪がしこい」等にあたる。

※コノワラシァ、ダンダェネえげじゃがしくナテ。
○この子はだんだんこましゃくれてきた。

※アノアダコァ、アンマリえげじゃがしシテ、メゴグナェデ。カェッテツカェニグェネ。
○あの「ままたき」は、あんまり「こざかしく」て好きでない(愛らしくない)。ああゆう人は、かえって使いにくいよ。

 また津軽では、「さかしい」という語を、「えげじゃかし」意味に用いることもある。

※ラシァサガシバ牛ァ売レナェ。(諺)
○子供があんまり賢こければ、牛が売れない。

 上の諺(コトワザ)には、こんな語がある。
 ある日牛買いが来た。売り主といろいろ「売る買う」の話をしているところへ、子供が走って来て「お父、あのハシワダラズ売ってやるんだな」といっ た。父は、「しまった」と思って、子供を、つよくにらんだ。すると子供は「お父のマナグ(眼)、オヤの(本家)の餅いね盗んだジキ(時)のマナグ ダキェンタナ」といった。その様子をみて、牛買いは、買うのを止めて帰った。というのである。「ハシワダラズ」とは、足が悪いのか、臆病なのか、と にかく、小さな橋などはどうしても渡らないという牛のこと。それを正直に言わないで売ろうとする父、本家の餅稲を盗んだことのある父、世馴れた牛買いは、 早くも悟って、体よく断って帰ったのであろう。それにしてもこのワラシは、あんまりエゲジャガシ。

▲「じャがし」は「さかしい」であり、「えげ」は「いけ」である。この「いけ」は、接頭語であって、例えば「いけ好かない・いけずうずうしい・いけずる い」等の「いけ」と同じく、「生」、つまり「なまずるい・なまいき・なまはんか」等の「なま」である。卑しめ、ののしっていう場合に用いる。



◆その77
 『えッこ』
 名詞。えッこ。別家・分家のこと。標準の言い方では、「本家」に対して、「別家・分家」というが、方言では、「オヤ(大家)」に対して、「えッこ」とい う。これはおそらく「小家」つまり、小さな家という意味で、「家」に津軽の「コ」がついて出来たものであろう。分家・別家は、昔からかならず、「本家」 「オヤ」より、小さく建てたものらしい。単に、建物・住家の意味でいう「エコ」もある。

※アコドコゴド、オヤえっこダネ。
○あそこの家(うち)と、ここの家とは、本家と別家の間柄ですよ。

※アスマダ、えっこノフルマェサ、エガナェバマナェベネ。
○明日また、別家の祝言に行かなければねェ。

 上の終りの言い方は、のっぴきならない用事のために、別家の祝言に行きかねるような場合のことで、さりとて息子や、妻だけやったのでは、どうも世間体も よくないし……。「オヤのオド」は、別家の祝言には、かならず「横座ネマリ」になる習慣だからである。次は、津軽の盆唄の「ドダレバジ」の文 句。

※ドダバ、えっこノデデァ、ヤマオリサナェナ。
○どうです別家のとうさんや、もう山おりしませんかねェ。

 昔も今も、「山上り」といって、田の草取りが終ればすぐ、馬の「飼い草(カェグサ)」を刈りに、部落共有の草山へ上るのである。二十日も一ヵ月も、山 へ小屋掛けして寝どまりをする。お盆にかかれば、十三日の夜帰って、二十二日の頃また上る。いろいろ家が案じられることもあろうし、若い人は、妻子を恋し くもなるだろう。これらの事情を知っておれば、上の文句は、なかなか郷土にふさわしい、ほおえましい唄だといいたくなる。本家と別家だから、割りあてられ た草刈場「ワッパガ」も隣り合っているのだろう。そこで、「えッこのおどや、もう山下りさなェな」と呼びかけるのである。

※モゴロァ、オジネえこタデデケナェバマナェシ。
○来年は、次男の(弟)に、家(うち)を建ててくれて分家させなければならないし。



◆その78
 『えさばや・ えさばこ』
 名詞。えさばや。えさばこ。これは「魚の小売店」のことである。今はほとんど聞かれなくなった。三四十年前までは、ぶらく集落の小さな魚屋のことを「え さばや」といった。テンビンでかついで、あるいは、魚箱をせ負って、村をふれあるく魚屋のことは「えさばや」とは言わない。そこで考えてみるに、「居酒 屋」というのと同じく、一定の場所で、店を出している魚屋のことだけに言うのだと分った。ただ、「さば」が、魚の「さば」のことかどうか。あるいは「居さ かな屋」の訛りか、はっきりしない。とにかく、「魚みせ」を止めてから十年後、二十年後の今もまだ、「いさばこ」と呼ばれている家がある。方言としてのこ の語は、他県にも例が多い。参考までに若干例示する。

 エサバ。@魚屋。A魚問屋。(千葉県安房郡千倉)。
 エサバヤ。@魚屋。(青森・秋田・岩手・福島・千葉県安房郡等)。A漁師のこと。(新潟県)。以上全国方言辞典
 なお、分類方言辞典によれば、「魚屋・魚売り」に関する異なる呼び方として次のようなのがある。県名等省略。

@魚屋=うおや。いおや。ぼてー。よーや。
A魚の上等なものを売る人=えりもの。
B魚の行商人=いさば。かごもち。かたぎ。かつぎ。さかなぼて。ざる。しが。すけご。せんば。やしゃ。ぼーてふり。
C女の魚売り=いただき。おたた。かねり。かべり。てぐり。さいっと。せぇっと。
D魚売りに行くこと=おいかけ。おっかけ。
E魚売りの呼び声=こむこむ。
F魚行商婦の頭に戴く桶=ささぎおけ。ごろびつ。

 上のEは宇治山田市付近。Fの「ごろびつ」は愛媛県松山付近。また@Bの「ぼてー」「ぼてふり」の「ぼて」は、ザル・籠の意味から転じたものらしい。太った人の腹なども「ぼて」というようだ。



◆その79
 『えじ』
 形容詞。えじ。意味は、@眼にゴミが入るか、赤すじがかかる(充血)かした時「マナグァえじしテ」という。A目上の人か、いやな人か、仇同士の人か が、側に居ると、「気がおける・邪魔になる・じれったい」そんなとき、「あの人いればえじしテ」とか「あの人バ、みんなえじかる」などという。語源は「意 地悪・イジワル」の「いじ」からであろうか。あるいはまた、「居づらい」の訛りか。トラホームや、はやり目などの場合、津軽の「えじ」にあたる標準語は あるだろうか?



◆その80
 『えじくされ』

 名詞。えじくされ。「くされ」は、接尾語的な卑称語。「えじ」は、「意地わる」の「意地」。意味はやはり「意地わる・ひねくれ者・気性の荒々しい人・妥協性のない人」等にあたる。

※アノオナゴァ、えじくされデシギデナェ。
○あの女は、意地わるで剛情で、きらいだ。

※ミンナシテ、オゴラガシハデアノワラシァ、えじくされネナテシマタ。
○みんなで、怒らかしてばかりいるから、あの子は、だんだん意地わる(ひねくれ者)になった。

▲「くされ」は、「腐れ」かと思う。気がくさる・目くされ・ホェドくされ・腐れ縁など、標準語にも、方言にも、用例が甚だ多い。いずれも、善いことには一つも用いていない。いわゆる卑罵の語である。



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