[連載]

 11話〜20話( 佳木 裕珠 )


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◆その11
 「病院へ行かなくても…」

 ずる休みをした次の日、出社するとすぐ彼は部長室に呼ばれた。
 君はちょくちょく休むが、どこが悪いんだね。
 はい、風邪をひきやすく、更に腹が弱いんです。
 ほう、それで病院には行っているのかね。
 いいえ、行っていません。
 どうして行かないんだ。
 行かなくても1日寝ていると治るんです。
 薬は飲んでいるのかね。
 はい、薬屋で買って飲んでいます。
 それだったら、病院できちんと検査をしてもらって、しっかりと治した方がいい。
 はい、そうします。
 それでだが、君には通院している所がないようだから、会社と契約している病院で検査をしてもらうようにしなさい。
 えっ、検査ですか。
 そう、しっかりと検査をしてもらいなさい。
 いや、検査をするなら小さい時からかかっている病院に行きたいと思います。
 君の実家は、ここから日帰りできるような距離ではないが、どうやって通うのかね。
 そう聞かれて、彼は言葉に詰まった。



◆その12
 「話はそれだけだ」

 彼の病気は仮病だから、検査をしても悪いところなどある訳がない。
 今まで嘘をついて会社を休んでいたことが、ばれてしまうと思った彼は、更に嘘を重ねた。
 実は、係長と合わずにストレスが溜まっていて、それが腹痛になって表れていると自分では思っているから、病気の検査をしても無意味だと思う。
 そんな部下の言葉を聞いて、部長は言った。
 勿論、精神科の医師にも看てもらった方がいいと思っている。
 近いうちに検査してもらえるよう連絡を取るから、検査を受けなさい。
 話はそれだけだ。
 部長はそう言って、彼を部屋から出した。
 自分の机に戻ってくると、すぐ係長が彼のところに来た。
 そして、会社と提携している総合病院の場所が書かれている紙を差し出した。
 検査日は明日になっていた。
 明日、仕事は休んで構わないから、朝直接、病院に行きなさい。
 部長が特別に便宜を図ってくれたんだから、感謝することだ。



◆その13
 「原因は係長に…」

 仮病なのだから、体の何処にも異常があるはずはない。
 それは、検査をすればすぐに分かる。
 しかし、精神的なストレスから来る腹痛などは、いくらでもあると聞いていた彼は、ストレスを理由にしようと考えた。
 翌日、病院に行って内科の医師に会うとすぐ、自分の腹痛はストレスから来るものだと思うと話した。
 医師は、ストレスの理由を聞いた。
 とにかく、係長と性格が合わないんです。
 係長は、私のことを理解しようともせずに、ただ仕事を押し付けてくるんです。
 彼は、話している内に激情し、捲し立てるように訴えた。
 自分のことを正当化しようと必死になっている患者? を観察しながら、この人は性格的な面に欠陥があるのではなかろうかと、医師は考えた。

 会社からも、仮病を使って休んでいると、コメントが入っていた。
 彼は、話しながら一層激高して今にもキレそうな目つきになり、自分の嘘に自分で興奮し始めていた。



◆その14
 「中学1年の時に」
 彼の母親は、とても勝ち気な性格で、夫との仲も悪く、舅、姑との諍いも絶えなかった。
 ちょっとしたことにすぐ腹を立てるが、その原因はほとんどの場合、彼女にあった。
 つまり彼女は、何が何でも自分の言い分を通すために、様々な屁理屈を並べては、相手を言い負かそうとした。
 彼女の言い分の物差しは、ことの善悪やマナー、モラル、ルールではなく、常に自分の都合と好き嫌いだけを考えたものだった。
 息子が中学1年の時、喫煙が見つかったことがあった。
 その時、彼女は舅や姑から、母親の躾が悪いからだと責められたが、夫も舅も煙草を吸うから悪いんだと逆に食ってかかった。
 そして、お前達が煙草を止めろと口汚く夫達を罵った。
 その母親の姿を見て息子もキレ、テーブルを拳で叩いて我慢がならないと怒鳴って荒い息を吐いた。
 そんな息子を庇いながら、この子がキレると何をするか分からないと母親は叫んだ。



◆その15
 「キレる」
 母親は、血相を変えた息子を庇いながら、夫や舅達に訴えた。
 この子がキレると何をするか分からないから、もうこの話しはしないで、お願いするから。
 息子はぶるぶると肩を震わせ、子供らしからぬ剣呑な目つきで、父や祖父母を睨んでいた。
 しかし、ことの発端は彼の喫煙、彼が謝って今度からしなければよいことなのに、勝ち気な母親は、息子の喫煙を舅達に指摘されたのが面白くなく、逆に食ってかかったことが、ことを大きくしたことに彼女は気付いていなかった。
 そして息子も、キレて暴れれば母親が宥めてくれることに、知らず知らずのうちに味を占め、それが身に付いてしまっていた。
 そして彼は我慢することが出来なくなり、何か気にくわないことがあれば、すぐキレるようになり暴言を吐くようになっていた。
 それは、彼にとって不幸なことだが、キレた息子を諫めることすら、母親には出来なくなっていた。



◆その16
「クビ」
 どの会社でも、仮病を使って休むような者を黙って雇っておくほど余裕のある所はない。
 その仮病がばれそうになると、上司とあわずにストレスが溜まったんだと主張し、挙げ句の果てにはキレて暴言を吐くような者は、組織の一員として置いておく訳にはいかない。
 当然彼は会社を解雇された。
 クビになった彼は、若い自分には働く場所はすぐにでも見つかると思っていた。
 しかし、世の中はそんなに甘くはなかった。
 職が見つからないまま、1月2月と過ぎてゆき、財布は底をついた。
 彼は、母親に電話で泣きついた。
 母親は息子が離職していたことに驚いた。
 どうして辞めたのかと聞くと、風邪をひいて休んだことがいけないと言われたので、そんな職員を大切にしないような会社ではやっていけないと思って自分から辞めたのだと嘘を言った。
 勝ち気な母親は、息子の話を真に受けて、会社に文句を付けてやると意気込んだ。



◆その17
 「キレないで、落ち着くのよ」
 風邪で休んだくらいで、文句を言う会社が何処にあるんだ。
 そんな会社は早めに辞めた方が正解だ。
 勤めていたら殺されてしまう。
 母親の言葉を聞いていた彼は、自分の非を棚上げにして、怒りが込み上げてきた。
 そして、傍にあったテーブルを拳で思いっきり殴った。
 がんという大きな音が電話から伝わってきた。
 あっ、息子がキレている。
 母親は、電話口に向かって必死になって叫んだ。
 キレないで、落ち着くのよ。
 この母親は、自分が息子の荒ぶれた気持ちに油を差すようなことを言っていることに気が付かないのだ。
 彼にとってキレることは、相手に自分の行為を肯定させることに繋がっていた。
 自分が激怒することで、自分の悪い所を帳消しにしようとする嘘の行為の何ものでもないことに、彼自身も母親も気が付かないのである。
 キレれば全てを帳消しにできたその癖が、彼の身に付いてしまい、何時しか彼の心を蝕んでいた。



◆その18
 「お前が好きなように…」
 子供が小さい時であれば、要望することもそれなりで、母親の懐でどうにか賄えたが、成人になり離職した息子の要望する金額は、母親が出せる金額を遙かに超えた。
 仕事を辞めてもう半年もなるのに、まだ職を探せない息子のことを、彼女はようやく夫に話した。
 夫は、お前が好きなようにすればいいと言った。
 彼は、妻と息子のことについては、一切口出ししないことにしていたのだ。
 息子が小さい時から、妻は、息子の言いなりで、子供の悪いところは全て、子供だから仕方ないじゃないの、と片付け、夫が子供を叱ると、子供と一緒になって反発した。
 それがエスカレートし、母子が一緒になってキレて手が付けられない状態になる。
 だから父親は何も言わなくなった。
 それをいいことに、彼女は言いたい放題の暴言を夫に浴びせ、舅や姑にもそれは及んだ。
 そんな状態で息子は良く育つはずもなく、母親にも嘘をつくようになった。



◆その19
 「事の善悪」
 母親を嘘で丸め込むことは簡単だった。
 また、万が一嘘がばれても一言ごめんと謝れば、それで全てが済んだ。
 母親は、きちんと善悪を教えることもなく、ただ子どもの言いなりになって何でも許すことが、息子に対する愛情だと深く信じていた。
 自分の思うように好き勝手に生活したい息子にとって、そんな母親は好都合な存在だった。
 そして彼は、段々と手の付けられない嘘つきでキレやすい性格になっていった。
 小学校でも、中学校でも、高校でも多くの問題を起こしたが、母親は事の善悪をしっかりと見ることなく彼の全てを庇った。
 専門学校に入り、どうにか就職できたが、好き勝手に暮らしてきた彼は、3ヶ月もしない内に、仮病を使って休んだ結果、クビになってしまった。
 しかし彼は、母親に自分から辞めたと嘘をついた。
 なぜなら、クビになったと言えば母親は、会社にでも文句を付けるだろうと思ったからである。



◆その20
 「自堕落な日々」
 母親から毎月仕送りがあった。
 彼は働かなくとも暮らしてゆけた。
 だから、差し迫って働く気も起こらなくなったのだ。
 毎日、仕事もせず好きな時に起きては、だらだらと自堕落に暮らし、遊び歩き、疲れたら寝るという生活を続けていた。
 そんな生活をしていれば、遊ぶ金が足りなくなるの当然のこと。
 その度に彼は、母親に金をせびった。
 初めのうちは、これっきりで後は送金できないと、母親は釘を刺したつもりでも、息子にしてみれば、いくらでも送金してくれると思っていたから、無心の金額は段々と大きくなっていった。
 就職活動のために必要だと言えば今までは信じていたが、この頃になって母親は、息子の嘘にうすうす気が付き始めた。
 真面目に就職を探しているならば、もう仕事が見つかってもいい頃。
 ましてや就職活動に、これほどの金が必要な訳もない。
 母親は、離れて暮らしている息子の所へ行こうと思った。



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