[連載] | |
111話〜120話( 佳木 裕珠 ) |
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◆その111 出会いそして別れ(12) 開演前から会場は、一種特有の熱気に包まれていた。 それは軽薄な高揚ではなく、気骨ある空気と言ったらよいのか、まだ小学生の俊五郎には表現のしようもなかったが、嫌いな空気ではなかった。 それよりも自分の気持ちが高ぶるような雰囲気だった。 赤や青そして黄色の線が縦横に踊る鮮やかな緞帳を眺めながら、その幕が上がった時、舞台でどんなことが繰り広げられるのだろうか。 俊五郎には、全く見当も付かないのだが、間違いなく素晴らしいものが展開されるに違いないだろうと、彼の胸は期待に膨らんだ。 そして、いよいよ幕が上がった。 それは二部構成のステージで、第一部は、吹奏楽とチアリーダーズによる華やかなステージだった。 楽しかったが俊五郎にはもう一つ物足りなかった。 一部が終わって休憩に入った時、誠が俊五郎に聞いた。 「どうだ、面白いか」 「うん」 なんか物足りないとも言えずにいる俊五郎に誠は言った。 「これから始まる第二部を俊に見せたかったんだ。これからしっかり見ておけよ」 第二部の幕が開くと一部とは全く異なったぴーんと張り詰めた空気が漂った。 客席にもそれは充満していた。 舞台の上には学生服を着た大学生達が一糸乱れずに整列している。 そして始まったのは、応援団による演舞だった。 会場一杯に響き渡る大声でのエールは何を言っているのか、俊五郎には皆目見当も付かなかった。 しかし、彼の中で大きく騒ぐ血潮があった。 聞く者の腹に響く太鼓を打ちならしながら野太い声で校歌が披露され、応援歌が歌われた。 そして満身の力を振り絞って応援の演舞が繰り広げられた。 そのステージを見た俊五郎は雷に打たれたような衝撃を受けた。 応援団の演技とは、このように凄いものだったのか。 自分も大きくなったらやってみたい。 幼い心の中で強く思った。 全てが終わった時、俊五郎は呆然自失として席を立つことが出来なかった。 それが「六旗の下に」との出会いだった。 ◆その112 出会いそして別れ(13) 俊五郎は、小学六年生の時に初めて出会った「六旗の下に」のことを熱く語った。 話を聞いている昌郎までが、日比谷公会堂で行われたステージの感動に胸が満たされた。 「誠さんは、大学の親友で応援団に所属している人の演技を見に行く約束をしていたんだ。 おばあちゃんが死んでまだ何日も経っていなかった時だったが、その約束だけは実行したいと思っていたんだな。誠さん自身は応援団ではなかったけれど、応援団活動には理解を示していた。 その友達の演技を見ながら、あいつは凄いあいつは凄い奴だと繰り返し言っていたよ。 俺は、あのステージを見て、魂が抜けてしまったかと思う程の衝撃を受けた。 そして、帰りの道すがら、自分も応援団に入ろう。 おばあちゃんと約束したように、東京の大学に入って応援団員になろうと心の中で決めたんだ」 そう言いながら俊五郎は、壁に貼ってある「六旗の下に」の字を見上げた。 「橘先輩は、六大学の何処の大学を目指しているんですか」 「うん、法政大学に入りたいと思っているんだ」 「難しいんでしょうね」 「さあどうかな、本当は東京大学に入りたいと思っているんだが、それはちょっと狙い過ぎかな」 そう言うと、俊五郎は頭を掻きながらからからと大声で笑った。 あっという間に昼近くになった。 「もう、11時半を過ぎてしまったんですね。それでは、これで失礼させてもらいます」 昌郎が立ち上がろうとした時、階下から叔母さんの声がした。 「お昼ご飯よ。カレーを作ったから木村さんも食べていって」 「叔母さんが、君にお昼を食べてから帰ってくれって言うんだ。食べていってくれ」 恐縮しながらも、昌郎はありがたくご馳走になった。 叔母さんと大ちゃんも一緒に楽しい昼食を食べた後、昌郎と俊五郎は一緒に家を出た。 俊五郎は実家へ帰省するために駅に向かう。 大きなドラムバック一つを抱えた彼が、昌朗には眩しいほど輝いて見えた。 ◆その113 出会いそして別れ(14) 山村や真治そして克也は年末年始の郵便局で、ゆうメイトのバイトがある。 昌郎も家業の自動車整備工場の手伝いが一月四日から始まる。 彼等が正月に会うのは三箇日が過ぎた最初の日曜日と約束していた。 早く彼等に会って橘先輩のことを、そして「六旗の下」について話したいと昌郎は思った。 新しい年が明けた。 木村家の元旦はいつもより早く起こされる。 「一年の計は元旦にあり」 元旦から朝寝坊すれば、一年中寝坊してしまう。 昌郎の祖父母が生きていた時から、そんな風に諭されて、大晦日に夜更かしした次の日の元旦ではあるが、早起きするのは例年のことである。 そして、家族そろって工場の事務室に祀られてある神棚に手を合わせるのが木村家の恒例となっていた。 その後で家族揃って雑煮を食べる。 木村家の雑煮は醤油味の具沢山である。 父母も兄達もそして昌郎も家族一統餅が大好物で、みんな切り餅を五・六個は食べた。 雑煮を食べ終え、家族で談笑している時に年賀状が届くのだ。 工場宛てや家族それぞれへの年賀状は、一束になって届けられる。 その年賀状を商売関係、それぞれの家族宛に仕分けするのは、中学入学以来、昌郎の仕事になっていた。 仕事関係と父親宛の年賀状が一番多いが、人付き合いの良い母親へ届いたものも結構あった。 兄達にも友達関係からのものが数十枚ずつ来ていた。 しかし昌郎宛のものはなかった。 彼は、友達同士での年賀状のやり取りはなしにしようと話し合っていたからだ。 しかし、最後の方で一枚だけ昌郎宛の年賀状があった。 誰からだろう。 裏返した。 綺麗な松竹梅の絵柄と左の下の方に書かれた名前が目に飛び込んできた。 昌郎の視線は、その名前に釘付けになった。 「加藤由希」 紛れもなく由希からの年賀状だった。 謹賀新年と大書された横に、去年は応援団員として活躍して貰った事への感謝が書かれていた。 そして、これからも応援団活動を続けてくださいと書かれていた。 ◆その114 出会いそして別れ(15) 「昌郎、年賀状分けたか」テレビの画面がコマーシャルになった時、長兄が聞いた。 昌郎は、由希からの年賀状を急いで膝の横に置きながら、あと少しで終わると告げた。 母親は午後からの年賀客に備えて、着替えに余念がない。 父親はゆっくりと分厚い元旦特集の新聞を読んでいる。 二人の兄は午後から出かける予定らしいが、今はテレビを見ていた。 昌郎は、仕事関係や家族それぞれに来た年賀状の振り分けを終え父母や兄達に渡し、自分の部屋に入った。 友達同士で年賀状のやり取りはしないと決めていた彼に届いた年賀状は、たったの一枚だけ。 それが由希からの年賀状。 昌郎が何気ないふりで手に持った一枚の年賀状を家族の誰も気に留めなかった。 昌郎は自分の部屋に入って机に向かった。 そして由希からの年賀状をながめた。 頬が熱くなるほど嬉しい。 大切な宝物を手に入れたような気持ちになった。 彼は何度も表返し裏返しして、その年賀状を飽かず眺めた。 そして机の引き出しの中にそっとしまった。 それから机の上に置いてあった英語の参考書を開いた。 「さあ、頑張るぞ」 自分を鼓舞するようにそんな掛け声を掛け、もう一度抽斗を開けて由希の年賀状の存在を確かめてから、彼は勉強に取り掛かった。 昌郎は、俊五郎の部屋を訪問したその日の夜から、高校生になってから習った教科の復習に取りかかった。 自分も東京六大学のいずれかに入って応援団をしたい。 そんな思いが彼の胸に芽生え出したのだ。 そのためには、大学に入れるような成績を修めなければならない。 昌郎は、山村達と会う約束の日曜日まで、外出せずに勉強することを心に硬く決めていた。 一月三日の昼。 自室で勉強していた昌郎は、電話だよと母親に呼ばれた。 誰からだろう。電話口に出た。 「昌郎です」 「加藤です」 由希からだった。 昌郎は嬉しさに一瞬どぎまぎした。 しかし彼女からの電話は、胸のときめきとは懸け離れた悲しい知らせだった。 ◆その115 出会いそして別れ(16) 「今日の新聞見た?」 由希は唐突に聞いた。 「見ていないけど、何か載っていましたか」 「ええ」 由希は躊躇しながら言葉を続けた。 「驚かないでね。新聞の死亡広告欄の中に、畑山さんの名前があったのよ」 「畑山さんって、あの大先輩の畑山さんですか?」 「そう、畑山勝男さん。間違いないわ」 由希の声が深く沈んでいた。 「本当に」 「本当よ。住所が同じですもの」 「何時、亡くなられたんですか」 「去年の十二月十日に亡くなられたみたい。そして葬儀は身内だけで済ませてもらいたいと遺言されていて、ご遺族の方々も故人のお気持ちを尊重して、去年の内に親近者だけで葬儀を執り行われたと書かれているわ」 昌郎は言葉を失っていた。 由希は電話口で言葉を詰まらせた。 二人の間に沈黙の時が流れた後で由希が言葉を繋いだ。 「辻先生に連絡を取って、お悔やみに伺いたいと思っているんだけれど、木村君、どう思う」 「是非、お悔やみに行きたいと思います。山村や克也、真治も絶対行くと思う」 「そうよね、みんなで、山村さんのお宅へお悔やみに行かせていただきたいわね。そして本校の大先輩であり本校応援団の初代団長でもあった畑山さんに、お礼とお別れをさせていただきたいわ」 由希が辻と連絡を取り、畑山家へお悔やみに行く日を調整することなって電話が終わった。 嬉しいはずの由希からの電話は、予期せぬ悲しい知らせだった。 自分の部屋に戻り机に向かったが、何も手に付かなかった。 畑山大先輩の在りし日の穏やかな笑顔や話してくれた様々なことが次々と思い出されてしかたなかった。 畑山大先輩が作詞した応援歌「若き命 滾る」が思い出された。 机の前の壁の上に、よれよれで穴だらけの学生帽子が掛けられてある。 それは、畑山から昌郎が預かったものだった。 これから昌郎達の高校の代々の応援団長に受け継ぐ宝物。 昌郎は立ち上がって、その帽子を手に取った。 そして項垂れて瞑目するのだった。 ◆その116 出会いそして別れ(17) 正月七草が過ぎた日曜日、雪が深々と降る中、昌郎・山村・真治と克也は、応援団並びに生徒会顧問の辻そして由希と一緒に畑山家を訪れた。 玄関に入ると暖かな空気と線香の香りが彼等の体を包み込んだ。 黒っぽい着物を着た畑山夫人が彼等を玄関に出迎えた。 「こんな雪の中をわざわざおいでいただきありとうございます。どうぞお上がりください」 玄関の上がり框にきちんと正座して深々と頭を下げた。 「この度は、なんと申し上げたらよいのでしょうか」 辻が言葉を詰まらせて続けた。
「ご焼香が遅れてしまいました」 「生前、父が大変お世話になりました。亡くなる直前まで、皆さんから頂いたあのテープを繰り返し繰り返し聞いておりました」 傍にいた畑山夫人が目頭を押さえながら言葉を繋いだ。 「皆さん方の応援歌に主人は励まされながら、最期を全うさせてもらいました」
◆その117 出会いそして別れ(18) しかし去年の秋口に、また癌が見つかったのです。 今度は肺の癌でした。 主治医の先生は、初め娘にそのことを話されました。 娘から主人の肺癌のことを聞かされて、私は本人への告知を迷いましたが、主人の性格を考えれば、告知しても決して挫ける人ではないと思い告知することにしました。 娘もそれに同意してくれ、主治医の先生にお願いして告知して貰ったのです。 気丈夫な主人でも癌再発の事実に随分と気を落としました。 そんな時、文化祭で皆さん方の応援演技を見させて貰い、また自分が若い時に作詞した応援歌をあんなに立派に披露して下さり、主人は病気に対峙し頑張る力を奮い立たせることが出来たのでしょう。 初めは手術を嫌がっていた主人も、文化祭で皆さん方の応援演技を観た帰り道、再度手術を受ける決心をしたのです。 そして、皆さん方から頂いたテープを幾度も幾度も繰り返し聞き、主人は自分に課せられた病にきちんと向き合って行けたのだと思います。 主人はテープを聞きながら、こんなことを話していました。 皆さん方のあの雄々しい姿を思うと、若かりし頃の自分が蘇ってくる。 そして青年の自分が今の自分を応援してくれているように感じると。 奇しくも、仲間達を応援するために作った応援歌が、時を経た今、自分自身を応援してくれていると」 畑山夫人はまた目頭を押さえて言葉を詰まらせた。 彼等は言葉をなくし、仏壇に飾られた畑山の写真そして金襴の布に包まれた骨箱に視線を向けた。 畑山夫人は涙を拭い彼等の視線の先を追った。 「この骨箱に主人の骨は入っていません」昌郎達は驚いた。 「遺体は献体として大学病院へ運ばれています。死後、自分の遺体を医学研究に捧げて欲しいと主人は遺言していました。主人の最後の最後の応援なのでしょうね」 そう言って夫人は涙を静かに流した。 ◆その118 出会いそして別れ(19) 三年生の卒業考査は年間計画で一月下旬に予定されている。 その結果が卒業の可否に大きく関わる。 冬休み明け後の三年生達の最大の関心事は、勿論この卒業考査である。 三年間学業に手を抜きながら勉強の面でほどほどに過ごした生徒達も、この卒業考査だけは目の色を変えて取り組む。 三年生の教室の空気はぴりりと締まっていた。 一年生から成績上位をキープしてきた由希も、高校時代の学習の集大成とでも言うべき今回の卒業考査への思い入れは大きかった。 彼女は冬休み中から今回の考査に向けて計画的に勉強してきたが、新年が明け学校が始まってからは、それに一層の拍車をかけた。 授業が終わると直ぐ帰宅し自室に籠もってテスト勉強をした。 冬休み前までは、時々放課後に顔を出していた生徒会室にも寄らなかった。 そこへ行けば昌郎が居ることはわかっていた。 彼の顔を見たいと強く思う。 しかし、由希はその思いを断ち切って勉強に専念した。 それが昌郎を本当に大切に思うことであり、高校生としての分を弁(わきま)えた態度だと彼女は考えた。 彼はまだ高校一年生である。 就職先が決まっているといっても、自分もまだ高校生である。 自分が社会人としてしっかりと自立出来るようになり、昌郎が仕事に就いてからでも、この思いがまだ自分の中に存在していたならば…。 今は、その時を待つことが大切だと彼女は自分に言い聞かせた。 そして、昌郎の存在を心の支えにすることで自分の気持ちを整理した。 卒業考査は土曜日・日曜日を間に挟み二月一日に終了した。 三年生はその週の金曜日までは今までどおりの登校となるが、翌週からは週に一度ぐらいの出校で卒業式予行と卒業式本番を迎えることになっていた。 二月中旬、卒業認定会議が行われ三年生全員の卒業が承認され、その場で答辞の代表生徒の選考となった。 生徒会長を務め成績も優秀で生活態度も他の範となった由希が、満場一致で答辞を述べる生徒に決定した。 ◆その119 出会いそして別れ(20) 三年生の出校日に合わせ、それぞれの部活動では卒業生を送る会が行われた。 生徒会執行部でも二月中旬の金曜日に送別会を計画した。 その送別会の前夜から、青森市は猛烈な吹雪に見舞われ、暴風雪警報に加え大雪警報も出された。 荒天は翌朝まで続き一旦は弱まった。 この調子ならば学校は休校にはならない。 何時もなら生徒達は言葉には出さずとも休校を歓迎するだろう。 それは昌郎とて例外ではない。 しかし、この日は生徒会執行部の送別会が予定されている。久し振りに由希に会えるのだ。 昌郎は天候の回復を天に祈った。 しかし、午後になると風雪がまた強くなり出した。 青森の冬は一月下旬から二月にかけて一番厳しい。 吹雪もその期間に集中する。 三年生は午前中だけの登校で、一・二年生達も職員会議があるため午後の授業は一時間だけだった。 生徒会執行部の三年生達は、後輩達が授業が終わるまで、生徒会室で待つことになっている。 しかし、この吹雪だ。 自宅がバスや電車で通学している先輩達は帰るかも知れない。 でも、由希は待っていてくれるだろう。 小一時間足らずの送別会ではあるが、初めにゲームで会を盛り上げてから、先輩達に感謝の思いを伝える寄せ書きをし、卒業生から一言ずつ言ってもらい、その後で記念品を贈って解散しようと計画していた。 午後の授業が始まった。 窓の外は白い吹雪である。 昌郎の気持ちは窓外に向いていた。どうか風よ止んでくれ、雪よ降らないでくれ。 数学の授業に身が入らなかった。 命題と条件、必要条件と十分条件、反例、対偶、そんな言葉が彼の耳を素通りした。 長く感じた数学の授業がやっと終わり、ホームルームも終わった。 「この吹雪だ。今日は気をつけて早めに帰ること」 担任はそんな注意を生徒達に与えた。 その指示は全校放送でも流された 「暴風雪警報が出ています。本日の放課後の活動は全て禁止します。全校生徒は直ちに帰宅しなさい。繰り返します」 ◆その120 出会いそして別れ(21) 「至急下校せよ」という放送を聞いて、昌郎や山村、真治、克也は生徒会室に急いだ。 途中、廊下で他の生徒会役員達と合流した。 生徒会室の戸を開けると三年生達は全員まだ残っていてくれた。 その中に由希の姿もあった。 そして顧問の辻先生も。 辻は、昌郎達を見ると悲しい表情で首を横に振った。 今日は送別会を諦めろという事である。 昌郎達は落胆した。 勿論三年生達も残念に思う気持ちは同じだった。 しかし、天候には逆らえない。 「今日の送別会は中止だ。いいな」 辻の言葉に逆らう者はいなかった。 「今後、送別会が実施できるかどうかは月曜日に話し合うとして、ひとまず今日は帰りなさい」 従うより仕方がなかった。 卒業祝いに贈る記念品だけでも渡そうと誰かが言ったが、この吹雪の中、荷物は出来るだけ少ない方がいいだろうと辻が助言した。 「帰りの方向が同じものは一緒に帰りなさい。その方が何かあっても心強いし手助けにもなる」 皆は、顔を見合わせながらグループを作った。 昌郎達と由希の家は学校から見て同じ方角にあった。 「くれぐれも気を付けて帰るんだ」 だめ押しの注意を辻が与えて解散となった。 送別会が中止になったことを残念に思いながら、生徒会執行部の生徒達は帰路に就いた。 昌郎達もしっかりと身支度をして生徒昇降口から吹雪の中に出た。 その途端に地面から巻き上げるような激しい風が襲い、硬くて冷たい雪礫を容赦なく彼等の全身に叩きつけた。 由希は、後ろから吹き付ける風に飛ばされそうになりながら頼りない足取りで、必死に彼等に付いて歩いていた。 その様子に気付き昌郎は山村達に大きく声を掛けた。 「おい、俺達四人で先輩を囲んで歩こう」 「よし俺が前になるから、お前達は先輩の左右と後ろに付け」 山村が言った。 「山村、お前は体がでかいから、風よけになる。先輩の後ろがいい。俺が前を歩く」 昌郎が先頭になり由希を囲むようにして、 彼等は再び吹雪の中を歩き出した。 雪降る駅でTOP |
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