[連載]

 141話〜150話( 佳木 裕珠 )



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その141
記念大会
4

 辻に、笹岡を通して提案があった。
記念大会の一部と二部の司会は、教員サイドで行うが、三部の司会も全て生徒にして貰いたいと思っている。
放送部の生徒に頼もうかとも考えたが、出来れば現役の応援団員が司会をやった方が良いと思う。
辻も笹岡のその案に即座に賛成した。
「それは良い考えだと思います。ところで、その司会の目処が先生にはありますか」
「適任がいるよ。演技披露は男子が中心になるから、司会は女子が良いと思う」
辻は副実行委員長の女子生徒を思い浮かべながら「何処の高校の生徒ですか」と笹岡に聞いた。
「辻先生の学校の生徒だ」
「え、うちの学校の応援団の女子生徒」
「そうだ」
「あの一年生の女子マネージャーですか」
「そう。彼女達にやって貰えないだろうか」
「彼女達と言えば、二人で司会をすると言うことですか」
「どうだろうか」
話を聞いた瞬間は、思いも掛けないことで多少驚いたが、直ぐそれは良いことかも知れないと辻は思った。
彼女達は本校担当のエンディングの司会をすることになっている。
それを三部全体の司会の流れで行うとすれば三部の途中で司会者が変わるよりも、三部全体の進行はよりスムーズに進むことになるだろう。
また、事務局をやっている彼女達は三部の構成や内容を熟知している立場にある。
そんなことも考えあわせれば、睦子とひとみが三部全体の司会をすることは良いことだと辻は思った。
しかしである。三部全体となれば、エンディングだけの司会よりもその任はぐんと重くなる。
彼女達が、はい分かりましたと簡単に引き受けるだろうか。
多分、一年生の彼女達は尻込みするだろうから、説得するのに時間が掛かるかも知れない。
辻はそう考えて、今週一杯返事を待って貰うことにして電話を切った。
笹岡から電話を貰った次の日の放課後、昌郎をはじめ応援団全員、睦子とひとみを入れて八人を生徒会室に集めた。
そして、三部全体の司会を睦子とひとみの二人にやって貰えないだろうかと笹岡先生から打診されたことを話した。
昌郎達の視線が、睦子とひとみに集まった。
彼女達は互いに顔を見合わせた後で、同時に声を上げた。
「うあー、嬉しい」
辻も昌郎達も一瞬呆気にとられた。
辻は昌郎達の力も借りて、彼女達をなんとか説得し三部全体の司会を引き受けさせたいと、実は意気込んでこの場に臨んだのだが、二人が手を取らんばかりに喜んでいる様子を見て、ほっとしながらも何故か拍子抜けした気分だった。
克也が言った。
「嬉しいって、それ、引き受けても良いってことだよね」
「勿論ですとも、先輩」
「本当に嬉しいのかい」
真治が聞いた。
睦子はひとみと一緒に頷きながら言った。
「先輩や冬人君や賢一君と私達の出身中学校が違うから知らないと思いますが、実を言うと私達、中学校時代には放送部だっんです」
「えー」
と異口同音に辻や昌郎達は意外な話しに驚いた。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか」
何時も冷静なひとみが、少しずり落ちてきた眼鏡を人差指で押し上げながらゆっくり言った。
「そうよね、ひとみ」
睦子が少し怒った風にしながら言った後で、急に笑顔になって話を続けた。
「実は、ひとみと話していたんです。三部全体の司会をさせて貰えないかなーって、ねっ、ひとみ」
「そうなんです。私達、三部全体の司会やりたいと思っていたんです。でも、一年生の私達から、そんなこととても言い出せないじゃないですか」



その142
記念大会
5
 先輩の客室係と一緒に、割り当てられた部屋のリネン類の取り替えやベッドメーキング、清掃、アメニティの補充などを終えて休憩に入った時だった。
由紀は、主任を通して宿泊部の部長室に呼ばれた。
入社して未だ一度も部長室に入ったことがなかった。
何故、自分が部長室に呼び出されたのだろうか。
彼女自身にも皆目、見当がつかなかった。
主任に付き添われて由紀は部長室まで行った。
あまり大きな部屋ではないが贅沢な造りであることは一目瞭然である。
窓際の机の前に座っていた部長が、主任に「ご苦労様」と声を掛けてから「実は総支配人が、加藤さんに会いたいとおっしゃっているんだ。
私と一緒に今から総支配人の所へ伺うことになっている」と由紀に告げた。
総支配人と言えば、由紀にとっては雲の上の存在だ。
その総支配人が、一体私に何のご用があるのだろうか。
気が付かないうちに何か大きな失敗でもしていたのだろうか。
由紀はとても心配になったが「はい」と返事をするより仕方がない。
彼女は努めて明るくはっきりと返事をした。
部長は、総支配人の所へは自分が付いて行くからと言い主任を帰した。
部長室と同じフロアーの一番奥まった所にある総支配人室に、由紀は部長と一緒に赴いた。
まず秘書室があり、その奥に更にもう一枚のドアがあった。
そのドアの向こうに、秘書が内線で部長が来たことを伝えた。
部長が奥のドアをノックした。
どうぞと言う声が聞こえた。
部長はドアを開けて部屋に入り「加藤さんをお連れいたしました」と伝え、由紀に入室を促した。
「失礼いたします」
由紀は緊張した声で挨拶しながら、部長の後に従って総支配人室に入った。
広い部屋である。
そして部長室よりも一層重厚で贅沢な造りである。
マホガニーの色に統一された部屋は洗練され落ち着いていた。
総支配人は、デスクに向かって書類に目を通していたが、顔を上げてから穏やかな口調で部長と由紀に話し掛けた。
「突然で申し訳ありません。どうぞソファーに掛けてください」
その言葉に従い、部長は「失礼いたします」と挨拶をして腰をおろした。
しかし、由紀は腰掛けることを躊躇いソファーの横に立ったままでいた。
総支配人室の応接用のソファーに客室係の自分が座ることなどとても出来ない。
ましてや、上司である部長と一緒に腰掛けるなど以ての外だと彼女は思った。
そんな由紀に部長が促した。
「総支配人のお許しが出たから、ソファーを頂きなさい」
「しかし、それではあまりに恐縮です。ましてや部長と並んで腰掛けることは出来ません」
そう話す由紀の言葉に頷きながら「それでは、そこにあるスツールを持って来て座りなさい」そう言って部長は書籍棚の横に置いてあるスツールを指差した。
そのスツールでも座ることが躊躇われたが、あまりに遠慮し過ぎてもと思い直し、部長が腰掛けたソファーより少し後にスツールを持って来たが、直ぐには座れずにいた。
そんな遣り取りを笑顔で見ていた総支配人は、徐にディスクから立ち上がって部長の前のソファーに座り、未だに立っている由紀にそのスツールを勧めた。
「それでは、お言葉に従わせていただき失礼いたします」
遠慮深くそう言い添えてから、由紀はスツールに浅く腰掛けて姿勢を正した。
彼女が腰掛けるのを待って、総支配人が話し掛けた。
「部長さんには既に話してあるのですが、実は講演を頼まれてしまいました。
どうにか十月八日の日程の都合がつきそうなので、お引き受けすることになったのです」
十月八日と聞いて由紀はハッと思った。



その143
記念大会
6
 「恐れ入りますが、それは青森県高等学校体育連盟応援団部会の創立五十周年記念大会での御講演でしょうか」
由紀は言葉を選びながら総支配人にそう訊ねた。
「そのとおりです。実は笹岡君から是非にとお願いされましてね。他の方からのご依頼であれば、お断りするところなのですが、笹岡君のお願いとあれば無下にも断れなくて、日程を調整してお引き受けしてしまったのです。今日、加藤さんに来ていただいたのは、青森県の高校生の応援団活動についてお聞きしたかったからです。突然に呼ばれて、何事かと驚かれたでしょう」
総支配人の言葉は、部下の由紀に対しても丁寧で穏やかだった。
本当のトップともなれば、このようになるのだろうか。
それとも、このような方だからこそ、トップに成れたのであろうか。
由紀は非常に緊張しながらも、頭の隅でそんなことを考えていた。
そして、笹岡先生と総支配人はどのような関係なのだろうかとも思った。
由紀のそんな疑問を察したように総支配人が言葉を続けた。
「実は、笹岡君は私の出身大学の後輩なのです。まあ、ずっと年下の後輩ですが。実は大学時代に私も応援団をやっていましてね、卒業してからもよく大学の応援団に顔を出していたのです。そこで笹岡君と出会い、それからずっとお付き合いをさせて頂いています」
自分がこの場に呼ばれた理由や笹岡先生と総支配人の関係について理解できたものの、講演に役に立つような青森県の高校の応援団活動に関する知識は何も持っていないことを由紀は十分に自覚していた。
そのことをまず率直にお話ししてお詫び申し上げなければいけないと彼女は思った。
「御講演をお引き受けいただいて、本当に有り難うございます。しかし、大変申し訳ありませんが、私には青森県全体の高校の応援団活動について、お話しできるような経験も知識もありません」
そして続けた。
「ただ、応援団活動の大切さや素晴らしさを、在学中に知ることが出来ました。今では応援団活動の素晴らしさをもっと多くの人達に知って貰いたいと強く思うようになりました。そのようなことで良いのであれば…」
「それで良いのです。加藤さんが高校時代に経験された応援団活動の素晴らしさを話してくだされば、それで良いのです」
総支配人のその言葉に由紀は力を得た。
彼女は昌郎達がどのようにして応援団活動に熱中していったか、そしてその活動の中で知ることの出来た感動的なことについて、一年間の時を追いながら話していった。
総支配人はメモをとり、由紀が話しやすいように時折頷きながら聞いていた。
決して由紀の話の腰を折ることも急かせることもしなかった。
しっかりと相手の話を聞きながら更に、話の内容深めさせるような相槌をそれとなく打つ総支配人の対応に、由紀は自分の思いをしっかりと伝えることが出来た。
話し終えた時、いつの間にか熱を帯びた話し方になっていたことに気が付き由紀は急に気恥ずかしくなった。
由紀の話を一通り聞き終えてから、総支配人は一層優しい微笑みを浮かべて由紀に話し掛けた。
「とても参考になりました。なかなか素晴らしい体験をしましたね。加藤さんのお話しを聞いていて、私も是非、貴女の母校の応援団の人達に会ってみたくなりました。加藤さんが、とても母校の応援団のことを誇りに思っていること、そして応援団活動へ強い愛情を持っていることが私に十分に伝わってきました。高校・大学と応援団活動をして今もって応援団に愛着を持っている私は、嬉しい気持ちで一杯です。貴重なことを聞かせてくれて、有り難う」



その144
記念大会 7

 夏休み中に、五十周年記念大会の第三回実行委員会が午後二時から、昌郎達の学校で開かれた。
その場で第三部の総合司会を睦子とひとみが行うことが快諾された。
応援演技が割り当てられた各学校の応援団は、いよいよ練習に熱が入って来ていると各地の実行委員から報告された。
出演する応援団の紹介文については、それぞれの学校から原稿を出して貰うことや太鼓など使用する物品についての打ち合わせもなされた。
委員会の最後に、第二部の記念講演の講師が決定したことを、辻がみんなに伝えた。
「え、あの有名なホテルの総支配人も応援団だったんだ」
「笹岡先生の大学の大先輩か。ばりばりの元大学応援団幹部なら、結構迫力があるかもね」
などと実行委員の生徒達が小声で話しているのが、昌郎の耳に入ってきた。
昌郎はその講師のことについて、昨日届いた由紀からの手紙で既に知っていたのだが、それは誰にも話さなかった。
そのようなことは、先生方から生徒達に伝えられるものだと思っていたし、由紀も手紙の中でそう書いていた。
委員会が終わって皆が帰ったのは、午後四時を少し過ぎた頃だったが、俊五郎は、事務局の労をねぎらいそして昌郎達と話をしたいという気持ちから居残っていた。
昌郎達は顧問である辻の許可を得て、生徒会室で俊五郎と話をすることにした。
部屋の真ん中に据えられたテーブルの一番奥にある椅子を俊五郎に勧め、彼を囲むようにして昌郎達が座った。
「あまり綺麗な部屋じゃなくて、申し訳ありません」
「いや、何処の高校でも生徒会室はこんなものだよ。
うちの学校の生徒会室と比べたら綺麗な方だ。ところで、事務局の仕事ほんとうに有り難う。忙しい思いをしていると思うけれど、十月八日の本番まで宜しく頼みます」
俊五郎は頭を下げた。
「頼りないでしょうが、みんなで協力して一生懸命やらさせていただきます」
昌郎が代表して言った。
「ありがとう」
と俊五郎は礼を言いながら、自分を囲んで座っている一年生・二年生を見た。
他校の生徒でありながら、応援団という絆で結びついているからだろうか、とても親近感が湧いた。
そんな俊五郎の気持ちがみんなにも伝わったのだろう。
会議の時とはまた違った和やかさが室内に満ちていた。
俊五郎は、生徒会室をぐるりと見回して言った。
「この学校の昨年度の生徒会長は女性だったんだよね」
「はい、そうです」
山村が答えた。
「先輩は、前会長の加藤先輩のことをご存知なのですか」
克也が聞いた。
「いや、会ったことはないんだが、辻先生から優しいがしっかりした女生徒だったとお聞きしていたし、ここの応援団を復活させるために随分頑張ったと笹岡先生からも聞かされていた」
「笹岡先生と先輩は学校が違いますが、よく話をされるんですか」
昌郎が訊ねた。
「ああ、時々笹岡先生を訪ねて、応援団活動のことなどを相談しているよ」
「え、あの鬼の笹岡先生の…」
あっと言って真治が両手で口を塞いだ。
俊五郎は、その様子を見て笑いながら答えた。
「そう、あの鬼の笹岡先生。うちの学校でもみんなそう言っている」
「へー、やっぱりそうですか」
真治や克也は納得顔で頷きあった。
「実は今日、実行委員会に来る前に笹岡先生の所へ寄って来たんだ」
「何か用事でもあったんですか」
「ああ、進路のことでちょっと相談したいことがあったんだ。
その話が終わった後で、笹岡先生から、今回の五十周年大会の第二部の講演会の講師をされる方のことを教えて頂いた」



その145
記念大会 8

 講演講師を引き受けてくれたのは一流ホテルの総支配人。
そして、笹岡の出身大学のOBで彼が敬愛してやまない応援団の大先輩である。
俊五郎が入学を希望しているのは笹岡達の母校である。
笹岡は俊五郎を奮起させるために講師の件を教えた。
今日の実行委員会の席上で辻先生からみんなに発表されるから、それまでは黙っていろと笹岡は俊五郎に念を押した。
俊五郎に講師の件を話しておくと笹岡は辻に電話で断っていたらしい。
「笹岡先生から、講師の方のことを伺った時、こちらの高校の前生徒会長の加藤さんのことが話に出てきたんだ」
「由紀先輩の話ですか…」
睦子がそう言い途中で思い当たった。
「そうだ、由紀先輩が就職されたホテルですよね。講演してくださる総支配人の方のホテルは」
「そうだ、そうだよ」
山村や真治そして克也も頷いた。
昌郎は、由紀からの手紙でそのことは知っているとも言えず、皆に合わせて頷いた。
「睦子、あなた前生徒会長の方を知っているの」
ひとみが聞いた。
「勿論よ、お姉ちゃんの親友ですもの」
睦子は誇らしげに胸を張った。
冬人と賢一はひとみと同様に、由紀と一面識もなく話を黙って聞くより仕方がなかった。
そんな冬人や賢一そしてひとみに「由紀先輩は、頭も良いし美人。
その上、生徒会長も立派に勤め上げた才女よ。うちのお姉ちゃん何時もそう言っている。
卒業式の答辞も由紀先輩がしたんだよ。その時停電になってマイクが使えなくなったんだけど、なんとマイクなしで答辞をしたんだって。
それも、ノー原稿で朗々と答辞を述べたんだって。ねえ、先輩、そうですよね」
「俺達、卒業生の門出を祝う凧揚げの準備で、その場にはいなかったんだが、あとで、その話をみんなから聞かされたよ。なあ」
克也は昌郎や山村そして真治に同意を求めた。
「本当に、みんな感動したと言っていた」
山村が話した。
「わあー、凄い先輩。会ってお話ししてみたいわ」
ひとみが目を輝かせて言った。冬人と賢一も話に引き込まれていた。
「その加藤さんに、総支配人が会われて、久しく活動がなかつた応援団を復活させた経緯や活動を開始した君達応援団のことを聞いたそうだ」
「俺達のことですか」
山村が言った。
「そう、君達の応援団活動のことだ」
「聞いてどうするんでしょうね」
「講演の参考にするんだろうか」
克也や真治が言った。
「俺達の活動に、講演の参考になるようなことあるかな」
「何を参考になさるか分からないが、熱心に加藤さんの話を聞かれメモも取られていたそうだ」
と言いながら更に思い出してこう付け加えた。
「その総支配人の方が、加藤さんは若いのに礼儀を弁え、常識を土台として自分の意見をしっかりと述べることの出来る若者だと、感心して笹岡先生に話されていたそうだ」
「由紀先輩、すごい。ますます尊敬しちゃう」
「そうね、すごいね」
「俺等、そんな先輩に見込まれて応援団員になったんだって自慢できるな」
と真治。
克也も「そうだ」と相槌を打った。
「まてよ、由紀先輩が応援団をやってくれないかと頼んだ相手はまさだよ。そのまさから誘われて俺達応援団員になったんだぞ。俺は最初からやると返事したが、克也や真治は、初め応援団に入ることを随分と渋っていたじゃないか」
にやにやしながら山村が言った。
「先輩、そうなんですか」
冬人と賢一が克也と真治に聞いた。
「いや、それは…」
克也が口籠った。
真治がすかさず言った。
「それは、その、最初ちょっと勿体をつけただけ」
「そうさ、簡単にオーケーするんじゃなくて、責任のあることだから熟考したのさ」



その146
記念大会 9

 昌郎達は、夏休みのほとんどを五十周年記念大会エンディングの練習に明け暮れた。
そして、その練習は夏休みが明けた後も続き、更にプログラムやポスターの作成、案内状の発送、その他に事務局としての細々とした仕事もあった。
それらに加えて睦子やひとみは、司会の台本作りやその練習もしなければならなかった。
しかし、彼等は誰一人としてその忙しさに不満を言う者はいなかった。
それよりも、やり甲斐と誇りを感じていた。
それは、五十周年という大きな節目の記念大会に、このような仕事を任せられた誇りであった。
そしていよいよ、十月八日の青森県高等学校体育連盟応援団部会の創立五十周年記念大会の日を迎えた。
県内各地から集まった前途洋々の若人が集う大会の日に相応しく、その日の空は高く澄み渡り、万物は全て清々しい陽光に包まれていた。
会場となった駅前の青森市みちのく文化ホールは熱い思いに満たされながら厳粛に式典の幕を上げた。
第一部の功労者等への感謝状の贈呈や主催者の挨拶など式典は滞りなく進み、第二部の記念行事の講演会へと続いた。
受付で渡されたプログラムに記載された講師の名前を見て、参会者達は一往に目を見張った。
「講師 五高応援」と書かれているのだ。
講師の名前と言うよりも、県内にも五高と縮めて呼ばれる高校があるが、その高校の応援団だと読めてしまう。
しかし、それは確かに人名なのだった。その「五高応援」の横に、「いつたか のぶすけ」とルビがふられていた。
「いつたか(五高)」が姓で「のぶすけ(応援)」が名である。
なんだか、五十周年に合わせて付けたような名前で、参会者達は半信半疑の面持ちのままで講演会に臨んだ。
棟方志功の原画による華々しい緞帳が上がった。
第一部を飾った大盛りの花が演壇の横に据えられていた。
司会者が袖脇に出て講師の紹介をした。
「本日、御講演をしていただきます五高応援(いつたか のぶすけ)先生を御紹介いたします。皆様方には、五高応援(ごこう おうえん)とお読みになられた方がほとんどかと思いますが、御苗字は『いつたか』お名前は『のぶすけ』とお読みいたします。勿論ペンネームではなく本名でいらっしゃいます」
会場に少しの間笑い声が漏れたが、程なく静かになった。
その頃合いを見計らって、五高の現在の職業・役職そして経歴が簡単に紹介された。
「先生は東京都のご出身です。高校時代から応援団活動をされH大学に入学されてからも応援団に入られ活動を続けられました。大学時代は名物応援団長として名を馳せた方でいらっしゃいます。今でも応援団OBとして後進の面倒を見られているとお聞きします。大学をご卒業後、我が国のホテルを代表するTホテルに入社され、現在は総支配人として活躍されておられます。また、ホテルのサービスに関した御著書も出されておられます。それでは、お若い時から応援活動に関わっていらっしゃいました豊かなご経験を基にした貴重なお話しをお聞かせいただきたいと思います。五高先生、宜しくお願いいたします」
講師紹介が終わると、舞台脇上手から五高が颯爽と姿を現した。
一流のホテルマンらしいスマートな歩き方に聴衆は魅了させられた。
大股でもなく小刻みに歩を進めるでもなく、正にその歩幅には絶妙で美しい間隔があった。
歩いているだけでも絵になった。
大学時代に応援団幹部として名を馳せたと言うので、参会者の殆どがむさい大男を連想していたが、身長はあるが決して無骨な大男ではなくスマートな紳士であった。



その147
記念大会 10

「過分なる御紹介を頂きました五高です。司会の方もお話ししてくださいましたが、私の氏名はペネームではなく正真正銘の本名です」
会場が笑いに包まれた。
「五高という苗字は全国でも珍しいのですが、それにも増して応援と書いて『のぶすけ』と読むのは、多分全国で私一人だけではないでしょうか。この名前のお陰で、私は小さい頃から悪いことが出来ませんでした。何せ応援ですからね。しかし悪戯はしょっちゅうで、よく親に叱られました。親は私を叱った後で必ずこう付け加えました。お前の名前は応援と書くのだから他人様のお役に立てるように成りなさいと」
穏やかで温かみのある口調に会場の人達は、五高の話に引き込まれていった。
彼の講演の中で、高校・大学時代の応援団活動でのエピソードを語り、ホテルに就職してからも応援団活動で培った根性や礼儀そして愚直なまでの謙虚さが、如何に自分を助けてくれたかをユーモアを交えて話した。
高校生達は目を輝かせて耳を傾けた。
自分達が青春をかけてやっている応援団活動の素晴らしさを新たな思いで受け容れることが出来る話だった。
六十分間という限られた時間では足りないと誰もが思った。
五高は腕時計に目をやり、あと十分も時間がないことに気づいた。
「私に頂いた時間も少なくなって参りました。最後に最近聞かせていただいた感動する応援についてお話しさせていただきます。ご存知の方もおいでになると思いますが、昨年のこちらの甲子園大会予選の折の無言・無音の応援エールのことです。一回戦でコールド負けした選手達が球場を去る時、勝ったチームの応援団が敗戦した選手達の後ろ姿に無言・無音の形でエールを送り、そのエールに敗戦校の一人の選手が気づいて仲間達に教えたのです。コールドで負け彼等は情けない思いで意気消沈して球場を去ろうとしていたのではないでしょうか。惨敗した自分達に向けてそっと送られた無言・無音エール。彼等はどんなに心を打たれたことでしょう。選手達全員はエールを送ってくれている応援団に向かって深々と頭を下げたというエピソードを聞いた時、私は胸が熱くなりました。これこそ若者達の姿だと。そして、このような応援団活動を育む青森という風土の素晴らしさに思いを寄せたのです」
それは正に昌郎達のことだった。
五高は由紀からこの話を聞き、講演の中に是非入れたいと考えた。
笹岡に連絡を取り、そのエピソードのことを確かめた。
笹岡は地方紙に載ったこのエピソードの記事をコピーして送った。
昌郎達は舞台の袖で五高の話を聞いていたが、まさか自分達のことが話題に出るとは思ってもいなかった。
話を聞く内に、それが自分達のことだと気付いた。
誰が見ているわけでもないのに気恥ずかしさで昌郎達の顔が赤らんだ。
そして嬉しくなった。
彼等は、三部へ向けて大きな力を得た。
勿論、重圧に潰されそうな気持ちは同じだったが、この期に及んでは今までの練習の成果を全て出し切るだけだと腹を括ることが出来たのだ。
五高は言った。
「応援は味方へ向けた活動でもありますが、それと同時に対戦する相手への応援であることも忘れてはなりません。応援の『応』は求めに応じることであり、『援』とは助け合うという意味です。人は助け合ってゆく存在であり、それなくして人は幸せにはなれません。応援とは人間同士が助け合う行為です。容儀はバンカラでも品格高く凛とするべし。胸を張り、正しく日々を生きて行く中にこそ人品を磨く基があることを忘れないでください」
こう結んで五高は講演を終えた。



その148
記念大会 11

 いよいよ、生徒達が中心となって作り上げる三部の開始である。
幕前の舞台下手に睦子とひとみが現れた。
三部が始まる直前まで二人は緊張し今にも泣き出しそうな顔をしていたのだが、一旦舞台に出ると彼女達はそんな様子は微塵も見せず、今までとは見違えて別人のように自信に満ち、笑顔を湛えて淀みなく話し出したのである。
彼女達は、まず落ち着いた態度で自己紹介をして司会に入った。
「これから行われる三部は、実行委員会の生徒達が企画し運営する舞台です。内容はお手元のプログラムにも書かれているとおり各地区代表校による応援演技発表とエンディングで構成されています」
そう睦子が紹介した後にひとみが続いた。
「それでは初めに、本大会の生徒実行委員会委員長の橘俊五郎青森第一高等学校応援団団長から皆様にご挨拶をいたします」
なかなかの司会振りである。
辻も昌郎達も一様に驚き目を見張った。
中学の時、放送部に所属していたと言うが、その経験が功を奏していた。
紹介されて幕前中央に登場した俊五郎は、更に落ち着いていて堂々として風格さえ漂わせている。
彼が壇上に姿を現しただけで、客席には感嘆にも似た息がそこかしこで漏れた。
俊五郎はペーパーを持たず胸を張って前を向き徐に挨拶を始めた。
応援練習で鍛えた深みのある声は、ホール一杯に朗々と響き渡った。
内容は簡潔且つ明瞭で聞いていて気持ちのいいほど無駄を一切省いたもので、時間は三分もあっただろうか。
しかし、彼の挨拶を聞き終えた人達は、一様にその内容に満足していた。
俊五郎の挨拶が終わった後、参加者達は一瞬拍手を忘れていた。
そして俊五郎が下げた頭をゆっくりと上げた時、大きな拍手が湧いたのだった。
余韻を残したまま俊五郎は舞台から退場した。
拍手の鳴り止むのを待ってから睦子が司会を進めた。
「それでは、各地区代表校によります応援演技を披露していただきます。それぞれの高等学校に古くから伝わってきた演技、また最近新しく考案されたものや工夫された応援など、各地区から二校ずつ披露いたします」
ひとみが繋ぐ。
「まず初めは、三八地区からお願いいたします。発表してくださるのは、八戸湊高等学校そして八戸第一実業高等学校です」
睦子とひとみの掛け合いにも似た司会で、県内十校の応援演技が次々と披露されていった。
その中盤に俊五郎が団長を務める応援団の演技があった。
俊五郎の指揮のもと二十数名の応援団員の一糸乱れぬ応援は、一段と異彩を放つ演技だった。
それは偏に俊五郎の存在の大きさである。
彼は舞台に立っただけでも様になる応援団長であると言ってよかった。
十校全ての演技が無事に披露された。
最後の応援団が舞台袖に入った。
舞台そして客席の全てが一旦暗転した。
その中で舞台中央にある紗幕が音もなくするすると下りた。
紗幕の中だけ暗転したままで舞台前方の照明が点き、客席の全ての明かりも点灯した。
睦子とひとみが再び舞台下手に登場した。
彼女達の司会は一層滑らかになっていった。
「この度の記念大会は、此処青森市で開催させていただきました。青森市内にある高等学校の生徒の一員として、とても光栄に思っております。皆様もご存知のように青森市といえばねぶた祭です。私達は子どもの頃からねぶた祭に参加し、ねぶた囃子が体のそして心の一部分になっています。そんなねぶた祭の囃子を基にした応援を皆様方にご披露して、この大会のエンディングとさせていただきたいと思います」



その149
記念大会 12

「それでは、お願いいたします」
睦子とひとみが声を揃えた。
いよいよ記念大会の掉尾を飾るエンディングとなった。
克也を先頭に山村、昌郎、真治そして大太鼓を抱えた冬人と賢一が紗幕の前に整列した。
大太鼓を所定の位置に据えてから、冬人がどんと一つ太鼓を打った。
詰襟学生服に真っ赤な襷(たすき)を掛け腰に黄色のしごきを締め、頭に青海波模様の鉢巻きを巻いた昌郎達は一斉に「お〜」と応えて威儀を正した。
襷やしごき、鉢巻きは由紀と睦子の姉の政子が去年作ってくれたものだ。
どんともう一つ太鼓が鳴った。
それを合図に、昌郎が声を発した。
「青森県高等学校体育連盟応援団部会の五十周年記念大会を結ぶにあたり、開催地青森市のねぶた囃子を基にした応援を精一杯行わせていただきます。そーれ」
昌郎の掛け声に合わせ、山村達もそーれと声を発した。
どんどんどんどん、太鼓が連打された。
太鼓が鳴り止むと、昌郎が一歩前に進み出て口上を述べた。
「青森県〜高等学校〜体育連盟〜応援団部会の〜五十周年を祝し〜ここに〜大会参加者全員でエールを贈る〜」
一旦言葉を句切り昌郎は深く息を吸い込み足を大きく広げて中腰になった。
そして徐々に上体を上げながら「そうれ〜」と声を延ばすと、大太鼓と六人の声が演技と共に炸裂した。
「更なる前進。更なる前進。更なる前進を祈念する〜」
次に手拍子を付けて「更なる前進。更なる前進。更なる前進を祈念する〜」と叫んだ。
その時である。地響きにも似た音がホール一杯に響いた。
客席の人達は驚愕し、その音の正体を突き止めようとホールを見回した。
ホール一・二階には七百余りの客席がある。
そして三階には、エントランスホールからでなければ入れないバルコニー席が三百ほどあった。
下階にいた参加者達はそのバルコニー席に目をやって驚いた。
何時の間にか、そこを埋め尽くしていた生徒達に気付いのだ。
地響きのような掛け声は、天から降り注ぎホール全体を振るわせているのだと知った。
「更なる前進。更なる前進を祈念する〜」
三百人が拍手とともに肉声で叫ぶのである。
人々はその圧巻に身震いした。
三度繰り返されてぴたりと止まった。
会場は耳鳴りするほどの静寂に包まれた。
それを衝いて昌郎が大振りと共に大音声を発した。
「更なる前進を祈念し〜ここに〜ねぶた囃子応援を行う〜」
「ラッセ」
今度は山村達が中腰になり少しずつ少しずつ体を上げ声を高くして行く。
「ラッセ、ラッセ、ラッセ・・・」
上体が全部迫り上がった時に、昌郎達六人は「ラッセラー、ラッセラー更なる前進、ラッセラーラッセラー」と力強い振りを付けて演技した。
それに合わせバルコニー席に陣取った吹奏楽部がねぶた囃子のメロディーを演奏し、三百人の生徒達が声を合わせ拍手をした。
静寂の後の爆発。
そして、また突然の静寂、それに続く吹奏楽と大音声そして拍手。
そしてまたぴたりと音が止んだ。
昌郎達が静かに舞台袖に下がって行くと同時に紗幕がするすると上がり舞台全体が明るくなった。
そこにはねぶたの四尺太鼓が二台並び、昌郎の所属する囃子方の太鼓打ちが控えていた。
彼等によって集合太鼓が打ち鳴らされ、続いて小屋出し太鼓が打たれた。
昌郎達が再び舞台に登場した。
昌郎は笛を持ち山岡と冬人が担ぎ太鼓を提げ、克也と真治、賢一が手振り鉦を持って並んだ。
昌郎が笛でころばしの出を吹き、続いて太鼓と手振り鉦が一斉に演奏した。
いつの間にかバルコニー席の生徒達がホール一階に下りてきていた。
そして、会場はねぶた囃子の嵐と化し大会の掉尾が飾られたのだった。



その150
エール 1

 青森県高等学校体育連盟応援団部会の五十周年記念大会の掉尾を飾るエンディングに学校の協力で一年生全員の三百人が動員され、ホールを揺るがし感動の内に大会が幕を閉じた。
 三百人もの生徒達をまとめてねぶた囃子応援を行うために、夏休み明けからの一ヶ月間は、ほとんど一日おきごとに昼休みと放課後を利用し一年生全員での練習が行われた。
そして迎えた大会。
その感動は各校の関係者には勿論のこと、協力した一年生達にも大きなものだった。
そのことがあって大会終了後、九名の一年生が応援団に入りたいと申し出てくれた。
昌郎達四人で再開した応援団は二年目にして、十七人つまり四倍以上の団員数となった。
これから迎える冬の期間中にみっちりと練習を積めば、今回入団した一年生達も、来年度の春から即戦力として活躍できる。
忙しい事務局の仕事、その上エンディングや司会までも引き受けてしまい随分と悩み苦労もしたが、それは決して悪いことではなかった。
悪いことではなかったと言うより良いことだったと昌郎達は思った。
事務局をそしてエンディングや司会をさせて貰って本当に良かった。
そう昌郎達は心から思った。
 例年以上に雪の多かった冬が過ぎ、漸く三月を迎えた。
昨年から再開した卒業式の大凧揚げも無事に終了した。
三月一日の空に、ブンブンと音を立てて大凧が舞った。
高校は違うが俊五郎先輩も今日、卒業式に臨んでいる。
昌郎達は俊五郎への祝福の気持ちも込めて大凧を上げた。
今年は、同窓会からもう一枚大凧が寄贈されていた。
女子マネージャー二人と一年生の団員も加え、今では総勢十七人もの団員がいる。
二枚の大凧を揚げるのにも人員は十分だった。
北国の空は淡い陽射しに輝き、その中に極彩色を施された津軽大凧がブンブンと舞った。
 俊五郎は志望のH大学に合格した。
彼は、五十周年記念大会に講演をしてくれた五高や笹岡の後輩となったのだ。
大学に入学後、応援団に入ることは既に決まっていた。
俊五郎は、日比谷公会堂で行われる「六旗の下に」に参加できることを夢見ていた。
それが実現する喜びは、大学に合格したことよりも大きいと、冗談交じりで昌郎達に話したが、それは満更冗談ではないのかも知れないと昌郎は思った。
昌郎は決意していた。
高校卒業後は大学に行くことを。
それも俊五郎と同じ大学に行くことを。
彼は、俊五郎の部屋を訪れた時、漠然とだが自分もこの先輩の入るH大学に入学して、一緒に応援団活動をしたいと思い始めていたのだった。
彼は俊五郎と会うまで、大学進学など全く考えていず受験勉強のスタートは遅れた。
昌郎は懸命に勉学にも力を注いだ。
めきめきとその成果が現れていった。
担任の先生も辻も、久し振りに実力でH大学に合格できる生徒が出るかもしれないと期待するようになった。
俊五郎の合格を知った日、昌郎は彼の部屋を訊ね、自分も先輩の後に続きたいと打ち明けた。
昌郎のその言葉を聞いて俊五郎も大いに喜んだ。
そして、今まで使っていた全ての参考書を昌郎に託した。
「木村君が、そう考えてくれたことは本当に嬉しい。俺は一足先に東京に行くから、木村君も来年、必ず来てくれ。待っている。一緒に応援団活動をやろう。そして『六旗の下に』に一緒に出ようじゃないか」
二人は強い握手を交わした。
昌郎には、H大学を目指すもう一つの理由があった。
それは由紀が東京にいることであった。



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