[連載]

 81話〜90話( 佳木 裕珠 )


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◆その81
幻の応援歌(7)


 それは、セピア色に変色したサーズス判ほどの大きさの写真だった。
 その写真には、あまり清潔とは言えないよれ気味の学生服を着て、これまた薄汚れたような手拭いを腰に長くぶらさげ、破れて形も崩れた学生帽子を被った正にバンカラそのものの若者が六人映っていた。
 足許は白木の下駄である。
 昌郎達は食い入るように、その写真に見入った。
「凄い格好ですね。これで学校に通ったんですか」
 真治が思わず訊ねた。
「いや、普段は普通の学生服で通ったよ。応援団員の制服がこれだったんだよ」
「わざわざ作ったんですか」
「この制服はね、第一回生の先輩が着古したものをいただき、三年間の応援活動の度に着て作り上げたものだ。先輩達がこの学生服を私達に渡してくれた時、くれぐれも洗濯なんぞしたらだめだと言った」
「え、代々何年も洗濯しないで着ていたんですか」
「ああ、一度も洗濯したことがなかった」
「それって、ズボンもですか」
 しゃれ男の真治は素っ頓狂な声をあげた。
「それだったら臭いなんかしませんか」
 気弱な克也がおずおずと訊ねた。
「うん、相当臭っていた。でも、その臭いには直ぐに慣れたね。みんなは、男の臭いだ等と言って平気だった」
「本当に慣れるものなんですか」
「ああ直ぐ慣れてしまうね。そして、その臭いさえ誇らしくなったことを覚えている」
「誇らしくなるんですか」
 考えられないという風に克也が言った。
「私達も卒業の時は、その学生服を後輩に残しては来たのだが。見たことはないかね」
「見たことも、この学生服の話すら聞いたことがありません」
 昌郎が答えた。
 そんな会話の中で、一言も言葉を発せずに食い入るようにして写真に見入っていた山村が、低い声を漏らした。
 その言葉をはっきりと聞き取れなかったみんなが、何を言ったのかと怪訝そうに一斉に彼を見た。
 山村は、その写真を見詰めながらもう一度はっきりと言った。
「格好いい、おれもこんな学制服を着てみたい」



◆その82
幻の応援歌(8)


 「男の臭いがぷんぷんして、格好いいと思う。今の奴等の格好なんて、この学生服の足許にも及ばないよ」
 山村は、バンカラにすっかり憧れてしまったらしい。
 真治と克也は慌てた。
 こんな格好で応援団をしようと山村が言い出したら大変なことになる。
「やま、これは以前の話」
「そうだよ五十年前の話だよ」
 山村は夢から覚めたように写真から目を上げた。
「その当時だったら、俺は高校に入学して直ぐに自分から進んで応援団に入っていたと思う」
「君は、自分から進んで応援団員になったのではなかったのかい」
「はい、最初は、まさ、昌郎にお願いされてと言うか、言いくるめられてと言うか、そんな風にして入りました」
「やま、人聞き悪いこと言うなよ」
 昌郎は顔を赤くした。
「でも、俺。今では応援団に入って、本当に良かったと思っているんです。俺にあっていると思うんです」
「それは良かった。今の時代、応援団なんて格好が悪いと思われているからね。君達のような若者がいてくれて本当に嬉しい。我々の時代の応援団の服装は多少 粋がったところはあるが、あれは身なりに構わず心を磨け、男は身なりのことなど気にせずに大らかに生きろと言うメッセージの具現化だと今になって思う。 ところで、応援団は誰を応援していると思うかね」
「試合などで頑張っている選手達です」
 真治が言った。
 他の者達もそう思っていた。
「勿論そうだが、その根底にあるのは自校の応援だよ」
「自校の応援?」
 4人は声を揃えた。
「そう、つまりは愛校心だ。学校を愛し誇りを持ち、学校を更に輝く存在とするための活動が応援団だ。野球など様々なスポーツの応援は、つまるところ学校の 応援なんだよ。自分を受け入れてくれ育ててくれている学校への感謝の念を込めた応援なんだよ。そしてその意識を全生徒に高めて貰うことが応援団として任務 なんだよ。わかるかね」
 熱く語たる畑山の思いが、昌郎達にじんじんと伝わって来た。



◆その83
幻の応援歌(9)


 文化祭が幕を開けた。
 全てが計画通りに行く訳はない。
 試行錯誤を繰り返しながら、やっと漕ぎ着けた文化祭開祭式は無事に済み、多くの父母や地域の人達が来校してくれ一般公開も盛況のうちに終えることが出来た。
 外部の人達が全員帰った後で、生徒達は閉祭式のために体育館に集まった。
 ブラスバンドの演奏が3曲披露された後、文化祭の準備から一般公開までの様子を編集したメモリアルスライドショーが行われた。
 様々な生徒達がスクリーンに登場し会場が沸いた。
 そして、いよいよ文化祭の掉尾を飾る応援団の演技発表となった。
 一旦閉じた幕がゆっくりと開くと、観客席からどよめきの声が上がり、爆笑の渦となった。
 舞台正面に昌郎を中心にして両側に山村と真治が並び、克也は脇に置かれた太鼓の傍に立っていた。
 彼等4人の格好はバンカラであったが、何処か昔と違った。
 4人は年季の入った丈が腰のくびれのところまでしかない短い学生服を着ていた。
 袖口の折り返しを解いて延ばしている分袖丈は手首まであったが、解れてぼさぼさである。
 胸はぴっちりと張り切っていて今にも釦(ぼたん)が弾けそうである。
 ズボンも折り返しの部分を解いて長くしてあり、やはり裾がほつれた状態である。
 その学生服は中学校時代のものだとわかったが、丸めてあったものを着てきたと思われるように皺だらけで、ズボンの山脈は痕跡すら見えなかった。
 ベルトは野球用の幅広のもので、腰にはこれまた何時洗濯したともわからない醤油色に変色した日本手拭いを下げていた。
 足許は裸足である。
 そして4人揃って頭は青々とした五厘刈りであったが、真ん中の昌郎だけが汚れでてかてかに光った穴だらけの学生帽を目深に被っていた。
 そして彼等は、目に痛いほどの真っ白な長い襷を掛けていたのである。
 騒然とした体育館に太鼓が一つ鋭く鳴り響き昌郎達が演技を開始した。
 すると間もなく、ざわめきと笑いの波が引き、生徒達は昌郎達に見入った。



◆その84
幻の応援歌(10)


 素肌に学生服を纏った彼等が、体を動かすたびに短い学生服の裾から若い素肌が見えた。
 文化祭の成功を祝すエールの後、昌郎が今日のバンカラな服装の訳を話した。
 今から50年以上も前、応援団を創設し団長として活躍していた畑山勝男さんという大先輩が自ら作詞をし、当時の音楽の先生によって作曲されて、待望の応援歌が作られた。
 応援歌は、その後しばらくの期間は後輩達に受け継がれていたが何時の間にか歌われなくなり、現在ではその存在すら知られていなかった。
 その応援歌の歌詞が古い生徒会誌に掲載されていたのを今年発見した。
 しかし、楽譜がなく歌うことが出来なかった。
 そこで、この応援歌を作詞された大先輩の畑山さんの消息を辿った。
 そして運良くお会いすることが出来た。
 既に作曲された先生は他界されており譜面も散逸してしまったが、畑山さんがきちんと応援歌を覚えて居られ歌ってくれた。
 そのテープをもとに、音楽の正木先生に応援歌のメロディーを譜面に起こして貰らい、本校の応援歌を復活させたのである。
 それを今日ここで紹介するに際して、当時の応援団員を偲んでこのバンカラの服装にした。
 そして、この帽子は、応援歌を作詞された畑山さんが本校の応援団長だった時にかぶっていた物で、今まで大切に仕舞っておかれたのを今回我が応援団に寄贈して下さった。
 こんな昌郎の説明に初め笑っていた生徒達も応援団員のバンカラな服装を納得し、昌郎が高く掲げた古い学生帽子に注目した。
 そして、これから紹介されるという応援歌に興味を抱き期待に胸を膨らませた。
 体育館の空気がきーんと引き締まって静まった時、昌郎達は直立不動の姿勢を保ちつつ、太鼓一本でその幻の応援歌を歌い始めた。
 率直すぎて無骨ながらも腹の底に力の入った朗々とした声が体育館一杯に響き渡り、何時しか生徒達の手拍子が重なった。
 そして、体育館のギャラリーの一隅に目を閉じて応援歌を聞く畑山夫妻がいた。



◆その85
幻の応援歌(11)


 秋の日の朱に輝く夕陽を浴びながら、老夫婦が黄色く染まった銀杏並木の下をゆっくりと歩いていた。
 夫人は年老いた夫の足取りを気遣いながら、この人も随分と足腰が弱くなったとしみじみと思っていた。
 若い時は意気揚々として、一緒に歩いている私は、何時も早足で息を切らして付いていくのがやっとだった。
 しかし、今は違う。
 私の歩幅と同じくらいにゆっくりと歩む。
 そして私の方が夫の歩調に合わせて歩調を遅くすることもある。
 3年前に彼女の夫は癌で胃の大半を摘出していた。
 高齢になってからの大手術で術後の体力回復には長い時間が掛かった。
 2年もすると日常生活には何の障りもない普通の生活がまた戻ってきたが、体重は手術前よりも大分少ないままで増えることはなかった。
 元来太っている方ではなかったが、痩せすぎというわけでもなく骨太の美丈夫な人だった。
 高校時代は応援団長であった彼を、憧れにも似た気持ちで見ていた女生徒が何人もいた。
 自分もその中の一人で、一番目立たない何の取り柄もない女子生徒だった。
 そんな自分が憧れの応援団長と結ばれたことは、奇跡に近いと彼女は今でも思っているが、その気持ちを口に出して話したことはない。
 夫は今でも自分にとって一番大切な人であることは変わりはなく、夫をいとおしく思う気持ちは日を経る程に増すように、老夫人には思われる。
 そんな大切な夫が一番恐れていた癌の再発が数日前に告知された。
 彼の悲嘆と消沈振りは直視に耐えないほどだった。
 今度は、癌の病巣が肺にあった。
 今回も手術以外に治療方法はなかった。
 あんなに苦しい思いを又しなければならないのだろうか。
 術後の苦痛を思うと彼は胸が塞いだ。
 しかし今日、若者達が自分の作った応援歌を力強く歌う姿を見て心に力が湧いて来た。
 もう一度頑張ってみよう。
 横にいる老いた妻を見て弱音を吐いていられないと思った。
 「おい、俺もう一度手術を受けるぞ」
 畑山は妻に言った。



◆その86
幻の応援歌(12)


 文化祭が終わった次の土曜日、昌郎達応援団四人は畑山勝男氏の家を訪ねた。
 みんなで少しずつ金を出し合って最近オープンしたばかりの評判の鯛焼き屋で手土産を買った。
「旨そうだな」
 山村が言った。
 克也が頷いて同意すると、真治は手土産は必ず出してくれるから俺達この鯛焼き食えるさと自信たっぷりに言った。
 彼等は文化祭の折に発表した幻の応援歌のお礼に畑山家を訪ねようとしていた。
 からっと晴れた秋の空は何処までも高く抜けるような青さが気持ちよかった。
 文化祭の時の幻の応援歌発表のために五厘刈りにした頭髪も少し伸び始めてはいたが、まだまだ青い。
 その清々しい頭に秋の爽快な風が心地よいと彼等は感じているらしく、しきりに自分の頭を撫でながらたわいもないおしゃべりに興じた。
 畑山家の前で彼等は学生服の身なりを正した。
 玄関の前に立って昌郎が呼び鈴を押した。「はーい」と言う畑山夫人の明るい声を期待していたが、
 応答はなかった。
 事前に訪問のことを伝えていたわけではない。
 突然に訪問することの失礼も彼等は考えたが、行きますと伝えていれば、前の訪問でもそうだったように、菓子だの果物だの寿司だのと準備されることが予想された。
 だから彼等は事前に連絡せずに訪問しようと話し合ったのである。
 もう一度呼び鈴を押したがやはり返事がない。
「やっぱり、前もって電話でもしておけば良かったかな」
 ぽつりと山村が言った。
「いなければ、この鯛焼きどうする」
 真治と克也が顔を見合わせた。
「そりゃお前、仕方ないが俺等が食うのさ」
「やはり食わないわけにはいかないよな」
 二人のやり取りはたわいない。
「これだけは郵便受けに入れておこう」
 昌郎は学生服のポケットから封筒を取り出した。
 山村も頷いた。
 真治も克也も頷いた。
 その封筒の中には、文化祭の時に彼等が披露した幻の応援歌が吹き込まれているカセットテープが入っていた。



◆その87
幻の応援歌(13)


 夕方に畑山夫人は一人で家に帰って来た。
 今度の月曜日、明後日に夫の手術が行われることが決定されていた。
 心配だが、病院に全てを委ねる以外畑山夫妻には為す術がない。
 病院を信じ、夫の生命力を信じることだけが、今の畑山夫人に与えられた道であった。
 幸い嫁いだ二人の娘達が同じ市内にいるので力になってくれるが、娘達にもそれぞれの家庭がある。
 自分に出来ることは出来うる限り自分でしよう、畑山夫人は以前にも増してそう考えていた。
 秋の夕暮れは早い。
 家に着いた時は既にとっぷりと日が暮れ、日中天気が良かった分、気温も随分と下がっていた。
 寒くなると気持ちまで寒くなる。
 そして心細くもなる。
 ましてや誰もいない電気が点っていない真っ暗な家に帰って来るのだから、それは尚更であった。
 彼女は玄関の鍵を開ける時、大きな溜息を一つ漏らした。
 玄関の中に入って明かりをつけた。
 下駄箱の上にある郵便の受け口から入れられた数通のダイレクトメールに混じって茶色の封筒があった。
 何かしら。
 夫人はそれを手に取ってみた。
 無骨なほど大きな字で、「畑山勝男様」と書かれているが住所が記されていないところを見て、訪問者が投函した物だとわかった。
 封筒には長方形の少し厚みのあるものが入っているのがわかった。
 裏書きを見るとあの四人の高校生の名前が書かれてあった。
 夫人は足許に荷物を置いたままで、その封筒を開けた。
 「このたびは幻の応援歌を教えて下さりありがとうございました。お蔭様で文化祭の折に全校の前で披露することが出来ました。同封のカセットテープに、 その文化祭で発表した時の応援歌が吹き込まれています。どうぞお聞き下さい。これからは、畑山様が作られたこの応援歌をずっと歌い継いで行きます。本当に ありがとうございました。また、応援団のことについてご教示頂きますようお願いします」
 封筒の中から一本のカセットテープを取り出して彼女はじっと見詰めた。



◆その88
幻の応援歌(14)


 昌郎達が、畑山家を訪れてから一週間と少し過ぎた頃、学校宛てで応援団の彼等に手紙が届いた。
 それは畑山夫人からのものだった。
 あのカセットテープを聞いてくれただろうかと気にはなっていたが、此方から連絡して聞くことも遠慮された。
 きっと何らかの返事が来るものと昌郎達は思っていた。
 そんな矢先だった。
 辻先生が、生徒会室にいた昌郎達四人に、その手紙を持ってきた。
「おい、畑山さんからお前達に手紙が届いているぞ。また何か頼み事でもしたのか」
「いいえ、違います。先日文化祭で幻の応援歌を披露した時のテープを届けたのですが、お留守だったので郵便受けにカセットテープを入れてきたんです。きっとそのことだと思います。
 声を出して手紙を読む昌郎を山村達と辻が囲んだ。
「すっかり秋も深まりました。
 先日は、留守中においでいただいたようで、家に帰ってきたら郵便受けに、皆さんが文化祭の折に披露された応援歌が吹き込まれたカセットテープが入っていて吃驚しました。
 そしてとても嬉しく思いました。
 実は文化祭の時、辻先生にお願いして主人と二人で体育館のギャラリーから皆さんの応援歌を聞かせて貰ったのですよ。
 とても感動しました。
 主人は私よりもっともっと感動したと思います。
 なにせ自分の作詞した応援歌が、皆さんのお陰でまた復活したのですから。
 実は文化祭の時まで主人は肺ガンの手術を受けようかどうかと迷っていたのですが、皆さんの応援歌を聴いて勇気が湧いてきたのでしょう。
 文化祭からの帰り道で、肺ガンの手術を受けることを決心したのです。
 皆さん方が家に来て下さった時、主人は手術のために病院へ入院していて、私も主人に付き添っていたのです。
 そして、手術はその二日後の月曜日と決定していたのです。
 次の日の日曜日、私は早速主人にあのテープを届けました。
 主人は繰り返し繰り返し皆さんの唄う応援歌を聴いてから手術に向かいました」



◆その89
幻の応援歌(15)


「手術は予定よりも一時間ほど長く掛かりましたが、無事に済みました。
 主人は皆さんの唄う応援歌を胸に、長い手術に耐えたのだと思います。
 そして私も皆さんの応援歌を何度も何度も繰り返し聴きながら、無事に手術が終わるのを待ち続けました。
 術後、主人は集中治療室に入りましたが、二日後、病室へ移された時、一番最初に私に言ったことは、皆さんの応援歌を聴きたいということでした。
 私は、テープレコーダーにカセットテープを入れて早速皆さん達の唄う応援歌を流しました。
 主人はじっと目を閉じて、皆さん達の唄う応援歌に耳を傾けていました。
 そんな主人の目尻から幾筋もの涙が流れていることに私は気が付きました。
 応援歌が終わると、主人はゆっくりと目を開けて、『ありがとう』と一言呟くと、再び目を閉じて昏々と眠り始めたのですが、彼の顔には安堵感が満ち溢れていました。
 大きな峠を無事に越せたという思いがあったのでしょう。
 その思いをしみじみと噛みしめることができたのは、偏に、あの応援歌を蘇らせてくれた皆さん方のお蔭だと私は思っています。
 本当にありがとうございました。
 主人が元気になった時には必ずご連絡いたしますので、また拙宅へ遊びに来てください。
 今、主人はどなたとも会おうとはしません。
 もう少し元気になってから皆さんに会いたいと言っています。
 皆さん方の元気なお顔を早く私も見たいのですが、主人の気持ちもわかりますので、もう少しお会いするのを我慢します。
 そのかわり、今度おいでいただく時は、是非是非前もってお約束をさせてください。
 大歓迎でお待ちしています。
 それでは、今度お会いできる時を楽しみにして、お礼の筆を置かせていただきます。かしこ」
 手紙を読み終えた彼等には、しばらくの間言葉がなかった。
 幻だった応援歌が再び蘇って人生の応援歌ともなった事実に彼等は深い思いを味わっていた。



◆その90
選択(1)


 十一月十日過ぎに初雪が降った。
 それも強い風を伴った吹雪だった。
 街路樹の葉も一気に散り厳しい津軽の冬の到来を思わせた。
 しかし、その後また小春日和の日々が幾日か続き、北国の空は何処までも澄み渡った。
 生徒会役員の改選は、何処の高等学校でも大体、文化祭や運動部の秋季大会が終わった十一月下旬に行われる。
 由希達の高校も例外ではない。
 生徒会長の由希は自分の後継者に根回しをして次期生徒会の体制を整えて引退をしなければならない。
 彼女達の高校の生徒会役員は、生徒会長と議長そして監事二人が生徒全員による選挙で決定され、副生徒会長と副議長、会計は会長の任命によって決められることになっている。
 次期会長と議長は、それぞれ今の副会長と副議長がそのまま繰り上がる形で立候補すれば、十中八九纏まることは間違いなかったが、問題は副議長はまだしも副会長を誰にするかということであり、これは毎年悩むところでもある。
 副会長になれば、大体その次の年度の役員では生徒会長をやることを覚悟しなければならず、そうなれば必然的に副会長を現在の一年生から出すことがベターである。
 しかし将来、生徒会長をしなければならないと言う暗黙の約束がネックとなって毎年人選が難航した。
 今回も次期副会長が生徒会役員の大きな課題となる中、副会長の候補者として昌郎の名前が挙がった。
 それは現役員みんなの意向でもあった。
 そのことをまず昌郎に伝え、次期副会長候補者として会長立候補者が表明して良いかということを、現生徒会長である由希が昌郎に打診することとなった。
 十一月も下旬ともなると、夕方五時を過ぎたあたりから既に日もとっぷりと暮れ、校舎は夜の帳に包まれてしまう。
 金曜日の放課後午後五時半、運動部やブラスバンドの練習も早々に引き上げられて閑散とした校舎の中で、教室棟では生徒会室の明かりだけが窓から外に溢れ出ていた。




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