[連載]

     1 〜 10       ( 鳴海 助一 )


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◆その1
 「あぐど」
 名詞。あぐど。これは「かかと」のこと。「くびす・きびし」と同じ。漢字では、足へんに「重」をかく。足の後方、クルブシの下から地につく部分をいう。
※ハダシデアサェタキャ、あぐどサ、トギサシタ。
○はだし(跣・肌足)で歩いたら、かかとにトゲをさしました。

※あぐどサ、ミシツブァネパテラ。
○かかとに、めしつぶ(飯粒)が、くっついている。

 上は、お隣りの「秋田音頭」の文句の一部。
 「……うちの娘をにわとり(鶏)が慕って、後をついて行く。どうしたわけかと、よくよく見たれば、あぐどサ、めしつぶがついてあった。」というのである。
 津軽でも、しつけの悪い田舎の娘や嫁などを、あざ笑っていうに用いることがある。
 「あぐど」の語源は何か。試みに言えば、
@足掻く所(処)つまり「あがくところの」約言か。
A歩く処「あるくところ」の約言か。「ところ」は「と」と同じ。
 たとえば「戸・窓・港・火処」は「と・まど・みなと・ほど」だが、その「と・ど」はすべて「所・処」の意味である。「あくど」の「ど」もそれと同じものではないかと。
 「約言」というのは、二つ以上の音が、短かく「つづまる」こと。
 例えば「折れ屈む」が「おろがむ」となり「おがむ・拝」となり、「仕へまつる」が「つかまつる」となるなど。



◆その2
 「あぐだェもぐだェ」

 名詞。多ぐだェもぐだェ。これは、@悪態。A悪口雑言。B陰口。C捨てぜりふ。等の意味に用いるようだ。

※トゴジマデ、ムタムタドキテ、ウダデグ、あぐだェもぐだェツデエタツケァナ。
○家の入り口まで、いきり立ってやってきて、ひどく悪口(わるぐち)をいって、帰ったそうですねェ。

 上は、他家の入口までドナリ込むこと。津軽ことばでは「ぼッこむ」ともいう。

 △「あげだェもげだェ」の語源は、「悪態・あくたい」に似た語呂の「もくたい」と、その「あくたい」と、二語の結合かと思うがどうか。例えば津軽ことば の「ずぐもぐどす」(ずんぐりした形をいう)なども、「もぐ」の方は、単に語呂を整えるために、または意味を強めるために添えたものである。「ちょっとや そっと」「ちんぷんかんぷん」などみな、そのようにしてできた語であろう。
 大辞典(一巻一七八頁)の、次の解説は参考になるようだ。(多少補説する)
 アクタモクタ=あくた(芥)もくた(藻芥)、つまり意味は「芥藻屑」のこと。これは上の「あくた」の音に連れて、「藻屑」の「くず」をも「くた」といっ て、上からの調子を整えたもの。それで「あくたもくた」は、「ちりあくた」や「もくず」のようなもの、「つまらないもの」の意ともなる。また、俚言集覧 (江戸時代の方言辞書の如きもの)の説に、「もくず」の「ず」を「ぞ」にして、「もくぞ」、それに連れて上の「あくた」を「あくぞ」とし、「あくぞもく ぞ」「あくぞうもくぞう」ともいう。とあり。人の欠点を挙げて悪しざまに言い罵しる語なり。例語として、「あくたもくた、ぶちまける。」とか、「あくたも くたをいう。」など。



◆その3
 「あげた」

 名詞。あげた。これは口腔内(くちの中)の前上部のあたりをいう語。

※エソェデクタキャ、あげたサ、モジァネパタデァ。
○急いで食べたら、アゲタに餅がくっついたゼ。

※アツシルノンデ、あげたヤェダジデァ。
○熱い汁を呑んで、口を焼いたそうだゼ。

 「あげた」は、「くっつく・ねばりつく・ひっつく」などでは、どうもしっくりしない。やはり「あげたサ、モジァねぱた。」といいたいところ。

△「あげた」の語源について。「上げ舌・あげした・あげた」かとも考えられるが、上顎(うわあご)の内部だからそれもどうか。そこで津軽の「したげた」を 吟味してみよう。下顎(したあご)を下げて、口をしまりなくあけているような、不恰好なさまを、「したげた、ガッタラェドサゲデ……」という。 「下あごをダラシなくさげて……」の意味。この「したげた」に対して、「うわげた」と呼んだものではなかろうか。「うわ」は「うあ・うァ・あ」と訛るこ とは自然である。
 ところでその「げた」は何か。おそらくは「桁・けた」から転じたものだろう。家屋内の「ハリ・カモイ・ケタ」のその「けた」にちがいない。そうだとすると、ずいぶん奇抜な言い方(命名)である。
 なお念のためにもう一つ気にかかることを記しておく。それは、魚の「あぎと」との関係である。「あぎと」が訛って「あげと」ともなり、「あげた」ともな ることは容易に考えられるし、方言辞典によれば、香川県のあたりでは、方言として「顎」の意味で、「あげと」という語があり、中部地方以西では「あごた」 ともいうそうだから……。なお後考にまつ。



◆その4
 「あげたぐりだ」

 形容詞。あげたぐりだ。これは、@あべこべだ。A逆だ。反対だ。B拙劣だ。下手だ。等の意味に用いる。主として、農家の諸種の作業の仕方・手わざ・手つ き・やり方・仕事の順序・段取りなどが、不馴れで、幼稚で、下手で、みていられない場合など、「仕事があげたぐりで困る」「あげたぐりに仕事をする」など といって、若い者たちは叱られる。
 語源は「上げ手繰り」か。「手操る」は「たくる」で「めくる・むく・巻き上げる・たくし上げる・ひろげる」等の意味に用いる。
 「あげたぐり」は、下がっているものを逆にたくしあげるものだから、そんなことから、逆だ、あべこべだ、反対だ、などと転意し、仕事の仕方では、結局、下手だ不馴れだ、等と転用するようになったものではなかろうか。



◆その5
 「あけらぽんと」

 副詞。あけらぽんと。これは、@ぼんやりと。呆然と。Aあきれてものも言えないでいるさま。Bあけらかんと。津軽では別に「あッけらど」ともいうが、意味は大たい同じ。

△「あけらぽんと」は「あけらかんと」の訛ったもの。これらの語源について、大言海の説などを参考として述べてみよう。
 まず本元は「開け・明け」らしい。口をあけているさまである。その「あけ」に「ん」が入って「あんけ」となり、「っ」が入って。「あッけ」ともなる。こ れは、「あまり」が「あんまり」となり、「そと・とくと」が「そっと・とっくと」となるのに同じ。音韻現象として極めて普通のことである。
 次に、「あんけ・あっけ」がさらに延び転じて、「あんけら」「あっけら」となる。これも、「こそと・ひそと」などが、「こっそりと・ひっそりと」となる のに同じ。この類も甚だ多い。ここまでで「あんけらど」「あっけらと」という方言の副詞が出来上がるのも不思議でない、ということが分かる。
 次にまた、その「あんけら」「あっけら」に、さらに「けん・かん」がついて、「あんけらけん」「あッけらかん」となる。これは「チンプンカンプン」「メチャクチャ」などの語の成立と同じで、国語の生成・分派して行く過程は、およそかくの如きものである。



◆その6
 「あしびと」

 名詞。あしびと。これは、お客さま。遊びに来た人。遊びに行く人。しかし正確なところはやはり、嫁(婿)に行った人が、婿さまと一緒にとか、あるいは誰 かに送られて(付き添われて)、正月とかお盆とかに、実家に遊びにくる、それを「あしびと」というのである。待ち構えていた親もとでは、「あしびとァ キ タデァ」といって喜ぶ。先方では、「やっとあしびとバ、タダヘダデァ」といってホッとする。婿や奉公人や分家した人たちなども同じこと。

※チョネンコナェハデ、コドシダラクルガサシー。エノあしびとンドァ‥‥。
○去年遊びに来なかったから、今年なら来ますかねェうちの娘たちが……。

 娘の親たちは、嫁にやって、子どもが一人二人あってからでも、やはり「くれてやったうちの娘が……」という。

△「あしびと」は「あそびひと」の「ひ」が脱略したもの。「正人・まさひと」「隼人・はやひと」が、「まさと・はやと」となるように。
 「あしびと」は、標準語では適当なことばが見つからない。ぶらぶらと遊んでいる人ではもちろんなく、芸人・粋・通などのそれともちがう。主として盆・正 月の嫁婿のことをいふ点が、なんとなく郷土にふさわしい気がする。今急に、そういう言い方をするなといっても、どうにもなるものではない。



◆その7
 「あだ・あだコ」

 名詞。あだ。あだコ。これは「子守り」のこと。幼児をお守りする少女。時には、男の子でもおとなでも、そう呼ぶことがある。また、子守りだけでなく、家 の雑事をしても、あるいは子どもが全然ない家でも、つまり、若い女の奉公人・召使い・女中のことも「あだ」という場合がある。

※オヤオヤ、オドチャ、チョア、あだコヤテエシタナ
○おやおや、だんなさん、きょう(今日)は、お守りさんですかェ。

※あだバ、エサアシミネヤテラキャ、フトリコデ、エソガシグラェデナェゴシジャ。
○女中さんを遊びにやっていますので(里へ)、わたしひとりで、忙がわしいったらありゃしませんよ。(奥さんが、家事全般を切りまわすのに。)

○子守り・召使いを「あだ」というに至った経路を考えてみる。結論を先きにいえば、「あだ」と「はだ」がこの語の本家本元である。濁音をとると「あた・はた」となる。「あた」は「当たる(充てる)」の意味で、二つのものが互いに当たる、その事に当たる(充てる)こと。

 次に、「はた」は「端」というのが原義で、人間ならば、すはだ(素肌)・はだか(裸体)のことで、心・内部に対して「外・表面」の意味がある。津軽こと ばの「はンだ」は「肌・はだ」の訛りで、「母親」のことであるが、人間も鳥獣も、自分の子を肌に当てて暖めたり、肌に抱いて乳を吸わせたりして育てる。 「あた」「はた」は同義語であり、したがって「あだ・はだ」も同じ意味である。母親は「あだ」であり、「はだ・はンだ」である。その母の「あだ」から、そ の母の代りに、子どもをオンブしたりする「子守り」をも、やはり「あだ」と呼ぶようになった。

△以上は、私の持論であるが、さらに日本語源の一二三頁に、「……この当の「ア」は、ハ行の「ハタ・端」に通う音なり」とある。なるほど、返事をする場合の「ハイ」と「アイ」、感歎詞の「ハレ・アレ」「ハァー・アァー」などの例をみても合点がいく。
 なお、「あだ」は方言として、山形県では「母」であり、広島県のあたりでは「外」であり、岡山県では「はし・端」の意味だそうである。(全国方言辞典)日本語の発生と分派と転化の歴史的事実を前にして、私は粛然たらざるを得ない。



◆その8
 「あだはだと」

 副詞。あだはだど。あンだはだど。これは、ゆっくりと。おだやかに。アンジマシグ。平和に暖かそうに。等の意味にあたる。前条の「あだ・はだ」の説明により、読者は直ちに、この語の成立過程が了解できると思う。

※オヤツガテモサェ、ミンナ、あだはだどクラシテエシァネ。
○腹変わりの兄弟たちも、みんな仲よく暮らしておりますよ。

※あンだはだどネマテ、ハンシコシタェゴシデァ。
○すわって、ゆっくりお話しがしてみたいものです。(坐るまもない主婦の方など)

△「あだ」「はだ」が結合して副詞となったもの。津軽の似た方言に「なこなこしぐ」というのがある。(後出)



◆その9
 「あたらまし」

 形容詞。あたらまし。これは@惜しい。Aいとしい(愛)。Bもったいない。C大切だ。同じ意味の形容詞に、あたらむし・あたまし・あたむし、がある。

※トゲホシバテ、ジェンコァあたましシテ。
○特計を欲しいんだけど、お金が惜しくてねェ。

※マダダバあたらましシテ、トッテモ、ケデヤラエヘンデシデァ。
○まだ年もいかないんだし、手放すのが惜しくてねェ、とてもくれてやられませんですよ。(娘の縁談など)

 なお、接尾語の「がる」をつけた、動詞の「あたらましがる・あたましがる」というのもある。

※アノジギ、オモイキッテ、ウレバエシテエタェジ、あたましがテ、ウナェデランダ。
○あの時思い切って、売ればよくてあったのに……。惜しがって売らないでいたもんだから……。(リンゴなど)

△「あたらまし」の語源について。
「あたら・あったら」と「おしい・愛・惜」とが結合して「あたらおしい」となり、訛って「あたらまし」となったとみる。標準語の「惜しい」に比べて、はる かに強い微妙な感情が含められている。「あたらし」という語も「惜しい」という意味の古語である。それの語幹が、「あたら」で、これだけでも「惜しい」と いう意味に用いられた。「あたら若者・あたら御身」などと。その「あたら」と「おしい」と同意語を二つ続けていったもの。
 万葉集時代から「あたら」の用例もたくさんみられる

○秋の野に 露おへる萩を 手折らずて 安多良(あたら)盛りを 過してむとか(廿)
○たまくしげ 明けまく惜しき あたら夜を 衣手離(か)れて 独りかも寝む(十五)

 現代でも、「あたら若き身を捨てに行く……」などと用いられるが、津軽ことばでは、この「あたら」と「おしい」と一つにして、古語のおもかげを伝えているところに、なんとも言えぬうま味がある。



◆その10
 「あッちャ」

 名詞(人称)。あッちャ。これは母親の呼び名である。「かッちャ」と共に3・40年前までは、中流以上の家庭か、勤め人などでなければ用いなかったものが、現今では、田舎の中流以下でも誰でも、大ていいうようになった。
 「アッパ・エデ」は、おかあさん・おとうさんの意味で、津軽生粋の称呼であるが、今はあまり聞かれなくなったようだ。よい傾向だといえよう。これは、文化の程度や、生活程度が、都会と田舎と、だんだん差が少なくなってきた証拠でもあろう。



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