[連載]

 21話〜30話( 佳木 裕珠 )


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◆その21
 「いないのかい、母さんだよ」
 東京で暮らす息子のアパートを母親は初めて訪ねた。
 やっと探し当てたアパートは薄暗い露地の奥にあった。
 錆び付いた鉄の階段を上って一番奥が息子の部屋。
 郷里の家も安普請で古かったが、そのアパートも負けないくらい安普請で古く汚かった。
 呼び出しブザーのようなものもない。
 彼女はコンコンとドアをノックした。
 しかし、中からは何の応答もない。
 もう少し強くノックをしてみたが、やはり応答はない。
 彼女はベニヤ板で作ったようなドアに向かって声を掛けた。
 いるかい、母さんだよ。
 初めは低い声で呼び掛けたが、やはり何の返事もなかったので、少し声を大きくして呼んだ。
 いないのかい、母さんだよ。
 そう声を掛けた瞬間にドアが内側に開き、彼女は思わずよろめいて部屋の中へと転がり込んだ。
 痛い、彼女は狭い玄関の床に、強く膝をぶつけて転んだ。
 強打した膝をさすりながら何が起こったのか理解に苦しんだ。


◆その22
 「ああ、この目は」
 早く中に入れ、押し殺したような声が彼女の頭の上で聞こえた。ドアが手荒く閉められた。
 転んで膝をついた彼女の目は、男の足を捉えた。
 あ、息子の足だ。
 彼女の視線は足から腹、胸へと上がり、そして息子の顔へと辿り着いた。
 居たのならもっと早くにドアを開けてくれればいいのに、急に開けたから、バランスを崩して転んでしまったじゃないか。
 母親は、笑顔で懐かしい息子に語り掛けた。
 しかし、息子の顔は強ばったままだった。
 母親は、出鼻をくじかれた思いで、強打した膝をさすりながら起き上がった。
 そして、息子の顔を覗き込んだ。
 久し振りに見た息子の顔は、以前にも増して険悪な目つきをしていた。
 ああ、この目はキレかかっている時の目だ。
 突然に、なんだよ。来るなら来ると連絡してからにしろ。
 彼は完全にキレていた。
 そんなこと言ったって、ケータイにも出ないじゃないか。だから心配で来たんだ




◆その23
 「ウルセー」

 母親は、キレている息子を宥めようとした。
 お母さんは、お前が心配だから、仕事を休んで出てきたんじゃないか。一体どうしたんだい。仕事は見つかったのかい。
 ウルセー、黙っていろ。今日借金取りが来るかも知れねえんだ。だから、居留守を使っているところへ、のこのこと出てきやがって、もし俺が借金取りのやくざに捕まったら、お前のせいだからな。お前の押しつけがましい親切はゆるせねー。
 母さん、そんなこととも知らずに、のこのこ出てきてごめんね。
 小さい時から息子がキレれば母親は専ら謝って宥めた。
 親や祖父母に対して耳を覆いたくなるような暴言を吐こうとも、それを叱り口の利き方を教えることはなかった。
 父親は、初め叱ろうとしたこともあったが、子供の言葉だから、子供だものと母親が息子を庇い通した。
だから彼は、キレれば誰でも口汚く罵って暴言を吐いても構わないと思うようになっていた。



◆その24
 「もう自分だけでは解決できない」

 キレて親や祖父母に暴言を吐く彼も、サラ金の取り立ては恐いのだった。
 嘘を付いて、親から巻き上げた金だけでは、遊ぶのに足りず、彼はサラ金に手を出していたのだ。
 いくら借りているのか聞きだした母親は、その金額の大きさに驚いた。
 それは到底、母親一人の手には負えない額だった。
 もう自分だけでは解決できない。
 夫や舅に相談するしかない。
 彼女は今まで、何があっても子供のことだから、愛情を持って許してあげなければいけないと言い続け、息子が祖父母に暴言を吐こうとも、父親に口答えしようとも、キレて壁に穴を開けようとも、ただただ息子を庇い通して甘やかし続けてきた。
 そして、息子の行動を正当化しようと、狂ったように夫や姑・舅に食ってかかった。
 それが子供に対する愛情だと強く信じていたが、実は舅達との確執、そして夫婦の不仲への言い訳の行動でしかないことに、彼女は気付かなかった。



◆その25
 「先生が気に食わない」

 「三つ子の魂百までも」と言う諺があるが、成人に達した息子のねじ曲がった性格は、もうほとんど治らない。
 子供をしっかりと躾けてから小学校に入学させることが、親としての責務。
 しかし小学校に上がった時、既に様々な問題を抱えている子供がいる。
 彼の暴言や虚言癖は、小さい時であれば、まだ直すことは容易であったが、年齢が上がるにつれて、それを直すことは容易でなくなった。
 大きくなってから矯正するには莫大なエネルギーと努力を必要とするが、学校はその子供一人だけを教育しているわけではない。
 自ずから、学校と親の連携が大切になる。
 しかし、母親は、何かあるとすぐ家に連絡を寄こす先生が気に食わなかった。
 学校から家に連絡があれば、日頃から諍いの絶えない姑から、母親の躾がなっていないと責められる。
 それが我慢ならなかった。
 そこで、子供の非行で連絡を寄こす学校に怒鳴り込んで行った。



◆その25
 「先生が気に食わない」

 「三つ子の魂百までも」と言う諺があるが、成人に達した息子のねじ曲がった性格は、もうほとんど治らない。
 子供をしっかりと躾けてから小学校に入学させることが、親としての責務。
 しかし小学校に上がった時、既に様々な問題を抱えている子供がいる。
 彼の暴言や虚言癖は、小さい時であれば、まだ直すことは容易であったが、年齢が上がるにつれて、それを直すことは容易でなくなった。
 大きくなってから矯正するには莫大なエネルギーと努力を必要とするが、学校はその子供一人だけを教育しているわけではない。
 自ずから、学校と親の連携が大切になる。
 しかし、母親は、何かあるとすぐ家に連絡を寄こす先生が気に食わなかった。
 学校から家に連絡があれば、日頃から諍いの絶えない姑から、母親の躾がなっていないと責められる。
 それが我慢ならなかった。
 そこで、子供の非行で連絡を寄こす学校に怒鳴り込んで行った。



◆その26
 「全て学校のせい」

 学校で先生が、あまり厳しくするから、この子は息が詰まって間違ったことをするんだ。
 先生達は、子供に対する愛情が足りない。
 そんなことを子供の前で感情を露わにして言った。
 母親は、自分が正論を吐いていると思っていた。
 息子の暴言や虚言癖は、全て学校のせいだと彼女は言って憚らなかった。
 何でも、自分の主張は言うべきだと彼女は信じていたが、それが本当に言っていいことなのかどうかを顧みることは決してなかった。
 つまり、彼女の価値基準は好きか嫌いかでしかなかったのだ。
 それが子供に伝わり、社会のルールやマナーを無視しても、したいことをしないでは、気が済まないように息子はなっていった。
 そして、ついに息子は仮病を使って会社を休み、それで解雇され、仕事もせず親の仕送りで暮らす気楽さに慣れ、遊びで仕送りが足りず、サラ金に手を出し、膨大な借金を抱える羽目になってしまった。



◆その27
 「あれで本当に…」

 舅は、先祖から引き継いで長年野菜を作ってきた畑を売った。
 そして、それで得た金で孫の借金の全てを清算した。
 息子にも嫁にも舅は何も言わなかった。
 言っても、素直に聞いてくれることはないだろうと思ったのだ。
 孫は、狭い家の中でぶらぶらしているだけで、仕事を見付けようとすらしない。
 この家は、この孫に食い潰されるかも知れないと祖父は思った。
 父親は勿論、ずっと息子の言いなりになってきた母親も、本当にこの子は自立して行けるのだろうかと不安に苛まれ始めた。
 しかし、息子は勝手気ままに自堕落な生活して、母親は勿論、誰の忠告にも耳を貸さなくなっていた。
 何時からこんな風になったのだろう。
 母親は、初めて自分の子育てを振り返った。
 勝ち気な性分の彼女は、舅や姑の言葉は勿論、夫の言葉にすら耳を貸さず、思うまま息子を甘やかし続けて育てた。
 あれで本当に良かったのだろうかと彼女は思った。



◆その28
 「覆水盆に返らず」

 初めは、舅達や夫も彼女と言い合いをしていたが、何を言っても自分の主張だけを繰り返し、子供が出来てからは、舅達に対抗する分、息子を甘やかし続けた彼女に対して、何時しか夫も舅達も何も言わなくなっていた。
 子供が祖父母に対してどんな嘘や暴言を言おうとも、彼女は注意するどころか、それは当然のことだと裏の顔でほくそ笑んでいた。
 しかし、息子が発したそれらの言葉は、彼自身の心を苛んでいることに彼女は気付かなかった。
 この嘘や暴言が許されるのなら、誰に何を言っても許される。
 思うさま言いたいことは言った方が勝ちだ。
 「覆水(ふくすい)盆に返らず」口を突いて出た言葉は、もう元には戻らない。
 人を慰め癒すのも言葉なら、人を傷付けるのも言葉。
 そして、人を誹(そし)り投げ付けた嘘や暴言は、他人ばかりではなく、その言葉を吐いた当の本人をも深く傷付けることに、母子は気が付かず、彼等は暗闇に落ちていった。



◆その29
 「本当にこれで…」

 彼の暴言やキレた態度は、もう母親一人では矯正できなかった。
 祖父母が畑を売って得たお金で、彼の借金を返したことも、祖父母であれば当然だと彼は思っていた。
 しかし、母親は気が付き始めていた。
 もしかしたら、自分の息子に対する愛情はねじ曲がっていたのではないだろうか。
 姑達との確執に、息子の存在を利用して、自分の思うとおりにしたいと考えていただけではないだろうか。
 今の息子の生活態度は、どんなに贔屓目に見ても決して良いとは言えない。
 毎日仕事もせず、夜になると遊びに出て明け方近くに帰ってくる息子を見て、何時からこんな風になってしまったのだろうかと母親は悩んだ。
 彼女は、その時初めて、自分の今までの言動を省みた。
 夫をとことん言い負かしてきた。
 舅達には、ことごとく逆らってきた。
 そして息子の言い分だけをひたすら聞き入れてきた。
 本当に、これで良かったのだろうか。



◆その30
 「あの時の教師の言葉」
 「暴言を吐いたり嘘を言った時は、たとえキレて暴れても、それを容認してはいけない。その時は、体を張ってでも、嘘や暴言は良くないこと、そしてキレることなく人の注意を聞くことを教えなければいけないんです」
 キレて暴言を吐き教師の制止を振り切って家に帰ったことで、学校から連絡があった時、母親は先生があまり厳しくするからだと、逆に食ってかかったことがあった。
 これは、その時に先生から言われた言葉だった。
 彼女は、声を荒げて更に言った。
 「あんたは、教師として子供に愛情を持っていない。私は母親として、息子のことを心から愛している。あんたは、どれくらい生徒を愛しているか言ってみろ」教師は言った。
 「叱る時には、しっかりと叱ることこそが愛情です」
 彼女は、その言葉を思い出していた。
 あれは本当だったのかも知れない。
 今頃になって、あの時の教師の言葉を深く思い出していた。



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