[子育て]

81話〜90話      柴田学園大学短期大学部 学長 島内 智秋



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[その81]

●「体と心と脳の元気のもとは朝ごはん!」

 朝ごはんは、心と体だけでなく、脳にも栄養をもたらします。
 脳の栄養はブドウ糖だけ。  しかし、このブドウ糖は、食事の4時間後には消えていくこという困った性質を持っています。
 こうしたことから、三度三度の食事をしっかりととっていくことが脳の健康を保つためにも重要なことになってくるのです。
 1日の中で、食事と食事のあいだが4時間以上あくことが必ずあります。
 寝ている間にあたる、夕食から翌日の朝ごはんまでの時です。
 翌朝には脳の栄養、ブドウ糖が消えてしまっているということになります。
 その時に朝ごはんを食べないとすると、前日の晩ごはんから翌日の昼ごはんまで脳が全く栄養をとることができないことになり、脳の働きもにぶくなってしまうのです。
 朝ごはんの重要性を家庭の中でも今一度、確認していくようにしたいと思います。



[その82]

●「自分の気持ちの表わし方」

 通勤の乗り物で、たくさんの人と毎朝出会います。
 いつも見かけると、その人が元気な状態なのか、普段と違うのか、なんとなくわかるよう気がします。
 ある朝、乗り物の車掌さんが、乗客の方を向いてアナウンスを始めましたが。
 疲れていたのかどうか、暗い表情で何度もため息をつきながらのアナウンスに、私だけでなく、乗客の多くの人が、暗い気持ちになったのではないかと思われました。
 幼稚園の先生をしていた時には、自分の気持ちのあらわし方について気づかせる機会が多かったように思われます。
 話した言葉や態度によって傷つく人や嫌な気持ちになる場合にはそのつど、自分が言われたときにはどんな気持ちになるのか、考える機会をもうけて一緒に考えてきました。
 大人がすすんで爽やかに挨拶をしたり、お互いに気遣う言葉がけをしていると、子どもも自然に身についていくように思います。



[その83]

●「お話を聞かせよう! 聞く楽しみを育む」

 幼稚園の先生をしていたとき「せんせ、せんせ、今日のお話なあに?」、毎日、毎日、子どもたちがおはなしを楽しみにしてくれる時間をつくっていました。
 明日への幼稚園生活に期待を膨らませる降園の時間です。
 保育所であれば、お昼寝の前のホッとした時間に、ご家庭でいえば、おふとんに入って、おやすみなさい、の前にはいかがでしょう。
 10分から15分のほんの短い時間でも毎日決まって聞ける喜びが、子どもたちをおはなし好きにしていきます。



[その84]

●「聞く力を育てる」

 言葉にはいつも、それを発する人の気持ちが込められています。
 そして、人の話を聞くということは、相手の言葉に込められた気持ちを受け入れることになります。
 ですから、話し手は、心を込めてやさしく語りかけてほしいものです。
 子どもたちは、話し手の声のひびき、呼吸、言葉の織りなす心地よいリズムとイマジネーションの世界をまるごと受け入れ、聞く喜び、充足感を味わいます。
 語る者と聞く者とが一体となった世界こそ、大切にしたいものです。
 耳を傾け、その言葉の意味がわかり、イメージがふくらんでくると、子どもの表情が輝きだします。
 そして集中して聞く力がはぐくまれます。
 相手を受け入れ、全身を耳にして聞き取ろうとする姿勢が喪失している時代だからこそ、お話の時間を大切にして子どもを育ててほしいと願っています。



[その85]

●「初めてのこと」

 経験して振り返ってわかることってとても多いですよね。
 子どもにしても大人にしても。
 ある日曜日、娘が陸上記録会に出たいというのでエントリーしました。
 娘の小学校からは4人だけの出場で心細く、その上、娘がエントリーしたのは走り幅跳びで、その種目を選んだ理由が「やったことがないけど面白そうだったから」でした。
 小さい頃から初めてのことに臆する娘にしては思い切った選択をしたものだと思っていました。
 そして記録会当日を迎えましたが、当日になってわかったことが次々と。
「ジュニアの大会では走り幅跳びも踏み切った場所から計測するのですが、今回は記録会ということで正式に白い板(正式名称がわかりません)からでると失格になること」
「4年生から6年生までオープン種目で、どの選手も本格的に練習を重ねて出場していること」
「走り幅跳びには自分にあった助走のスタート位置を決めることをすること」
 これらが次々にわかっていくうちに娘の言葉数が減り顔色もわるくなるのです。
 それでも練習をしていく中でうまく踏み切れたこともあって本番に臨みました。
 1人3回本番の1回目、板から足が少し出て失格。
 すると娘はお腹を押さえて「ぐ…ぐあいわるい」とやっと聞こえるような声でうずくまりました。
 次々と他の選手の幅跳びがすすみ、もう少しで2回目の娘の番ですが、そこで急に嘔吐しだしたのです。
 気持ちの問題だということはあきらかだし「もう一度跳んでみて自分の記録がわかったら帰ろう」と励ましてみるものの、つきあげはとまりません。
 先生方もしっかりもので通っている娘の意外な姿に慌てたようでしたが、娘に気持ちを確認して、棄権をすることにしました。
 心のどこかで「登録料もかかったんだし、朝、早起きしてお弁当も作って、列車を乗り継いでようやく来たのに、せめてもう1回跳んで娘にとって有益な経験をさせたい」と思っている自分がいました。
 また、そのことを娘にこぼしてしまいそうな自分もいました。
 苦しそうに何度も嘔吐する娘をかわいそうに思って背中をさすったり、よかったところをほめたり、今の悔しい気持ちを代弁したり…。
 そうしているうちに娘も落ち着き表情も明るくなり「おなかすいた」といい、もりもり食べる娘はさっきまでとは別の人のようです。
 落ち着いた娘がぽつりぽつり話し出しました。
「行ったらさ、わからないことだらけでびっくりした。ドキドキしたら吐き気してびっくりした。棄権すること恥ずかしかった。泣きたかったけど我慢した」
 と自分の気持ちを次々と話し出したので私も「お母さんは初めてのことに挑戦したことがすごいと思うよ。
 今回、本番は残念だったけど練習で初めてなのにピッタリ足があって跳べていたじゃないの。次にやったらできていたかもね。」
 と自分の気持ちを話したところ「次にまた出場してみた」と話していました。
 いろいろ聞きださずに、娘が落ち着くのを待ってよかったと思いました。
 案外、落ち着かないうちに聞き出したりするとこういう終わりかたにはならなかったのではないかしらと思い、大きくなり次第、自分で気持ちに整理をつけるのを待ってあげることの大切さに気付かされました。
 いろいろな経験ができる環境に子どもを送り出すということが大切なんだな〜と思いました。
 次にどんな初めてのことに出会ってどんな挑戦をしていくのか、娘のこれからを楽しみに思うのでした。



[その86]

●「夏休み最後の1日、宿題は?」

 子どもが3人いるとおもしろい。本当に三者三様なのだなーと思います。
 長女は慎重派。毎日コツコツツやったり、遊ぶ予定を入れている前日は、その日の分も宿題をやっておくという様は、安心して見ていられます。
 長男は計画的でないものの、遅くまでかかってもやってしまうところがあり、土壇場で発揮する力が大きいので心配ありません。
 頭を悩ませているのは、小学校3年生の次男です。毎日1ページの一人勉強ノートがたまりにたまって、夏休み終了3日前で15ページも残っていたのです。
 次男には、身近な先生が、長男、長女、父、母、祖父、祖母と6人も居るのですが……。
 少し書くとお姉ちゃんのところにいって遊びを誘いかけ、気がつくと、1、2時間は経っていて、ノートは1ページも進んでいないという状態でした。
 褒めたり励ましたりと、側にいてあげるとようやく進み、時々自分の気持ちをもてあましてはかんしゃくをおこし、「もう、ダメだ!もーう、間に合わない!」と泣き叫ぶことを繰り返します。
 家族のだれもが口をそろえて「だから毎日ちゃんと少しずつやっておくように言っていたのに、やらなかったんだから自業自得だ!こんなにゴンボをほっている時間があれば、手を動かして書けば終るのに」とイライラが充満しています。
 そんな時、一つ上の長女が「お姉ちゃん、1日1行日記の天気もみんな教えてあげるから泣かないで。今日5ページ、明日5ページ、あさって5ページやれば、終るから大丈夫」と次男の心配がやわらぐように語りかけました。
 一つしか違わないのに、お姉ちゃんなんだなと、嬉しく思いました。
 夏休み最終日の朝、一人勉強ノートが4ページと作文、俳句、自由研究が残っていました。
 しかし、この日は私も主人も仕事。長男は学校、長女は午前中が部活で、家には次男と祖父母だけ。
 どうなることかと思ったので、たくさん励ましてから私も出勤。
 心配になり、途中で電話を入れたところ、あと2ページまで進んでいるとのことで、私の心配をよそに本人は「だいじょうぶだよ、ちゃんと間に合うから心配しないで」と電話を切りました。
 まわりの大人がいることで甘えることが多かった次男が、一人になって、自分で考えて動き出したことからくる言葉だったようで、頼もしく思いました。
 長男と長女が次々と帰ってくると、「宿題すんだ?」と聞きました。
 それに得意気に「おわったよー」と答えた次男にかなり驚き、めちゃくちゃ褒める兄妹たち。
 これもまた次男の心の栄養になったように思いました。
 一つの挫折は次に大きくステップアップするための助走なのだと実感した、うれしい一日となりました。



[その87]

●「変だと思う感覚が変なのかな?」

 マナーやモラルは大人が伝えないと子どもが学べないことだと思います。
 子どもにとって身近な大人のマナー、モラル違反を日常的に目にしていると、そのことがその子にとっての〈普通〉になってしまいます。
 身近なマナー違反をあげると「公共の場で大声でおしゃべり」「人前で口を大きく開けてのあくび」「列車内、人前で化粧」「大きな声でのひとりごと」「人 前で、はしたない表情や動作を平気でする」「並んでいる所に横はいりをしたり、何かを見ている人の前を平気で横切る」など。
 私は実際、JRで足のつめを切って靴下をはく60代の女性と、電車内で足にマニキュアをぬる10代の女性を見たことがあります。
 見かけたモラル違反となると「駅の電源に電話の充電器を差込んで充電」「公衆トイレに2、3人一緒にはいり弁当をたべる」「店内のペーパーナプキ ンを全部とり持ち帰る」「自分が出したゴミを公共の場に捨てていく」など、どの人からも自分さえよければ…という雰囲気が感じられます。
 こうしたことを防止するために防止用道具が取り付けられたり、注意書きが書かれたプレートがつけられたりするのをみると、一人一人が守っていれば、準備しなくてもいいものばかりで、まったく無駄だと思います。
 マナー、モラル違反の大人の中で過ごし、社会人となって初めて社会に出ると、カルチャーショックを受け、とても窮屈に思ってしまうようになります。
 そして、ルール、モラルを助言されても、すんなりと受け入れられずに、注意をする人の感覚を逆に批判するようになり溝ができ、結局は長く続かなくなってしまうのです。
 社会に出て当たり前の「自分が先にしたくても、上司や目上の人を優先する」「自分から進んで挨拶する」などは、なかなかすぐには身につきません。
 がさつな態度もその場で取り繕ってもぼろが出るものです。
 子育ては特別なことではなく、日頃の子どもとのやり取りの中での、ひとつひとつの積み重ねが大切なのだと思います。



[その88]

●「子どもがぐんと育つ場面」その1

 少子化がすすみ、きょうだいと触れ合うことや、異年齢の子ども同士の関わりが少なくなっています。
 こうしたことから、子どもが関わる人間関係が限定されていき、コミュニケーション能力も低下の傾向にあるように思われ、とても気になります。
 弘前市の相馬地区では、10年前から地域の中で、赤ちゃんや幼児と小・中学生が触れ合う機会を設けています。
 私も縁があって6年ほど前から、中学生と幼児のふれあいを通した体験事業に講師として関係しているのですが、数々の嬉しい場面を発見します。
「ふれあい体験事前学習」の時間には、中学3年生の男子も仲間の目が気になるのか、わざとふざけたりすることも見られ、心配な点もあったものの、当日は、 事前学習での約束通り「姿勢を低くして目線を子どもと同じにすること」「ゆっくり語りかけ、お話をしっかり聞くこと」「いろいろな場面でいい所を見つけて 褒めること」─をしっかり守り、楽しそうに関わっていました。中には、敷地つづきの保育所まで送っていく道をおんぶや抱っこをしたり、肩車したりする生徒 の姿も見られました。 幼児は、保育所の中ではお兄ちゃん、お姉ちゃんである年長組の子どもたちですが、お父さん、お母さんよりも年の近いお兄ちゃん、お 姉ちゃんということもあってか、思いっきり甘えていました。 
 その中で発達の状態が少しゆっくりな子どももいましたが、テンションがあがったのか、その子なりの嬉しい表現(走り回ったり、立ち歩いたり、いろいろな 中学生にくっついたり、マイクをとろうとするなど)をしていました。体育館でマットの上をころがったり、ジャンプしたり、ボールを入れるなどのサー キット遊びをした時、その子は初めは順番に関係なく、割り込んだり、走り回っているだけでしたが、ペアになっている生徒の関わりもあって、2回目からは 部分的に参加し、3回目からは最後まで参加した上、順番を守ってやり遂げていました。



[その89]

●「子どもがぐんと育つ場面」その2

 中学生と幼児がふれあう弘前市の相馬地区の「ふれあい体験事前学習」では、保育所の先生も感動して「今日は子どもたちの意外な所もたくさん発見できまし た。普段、しっかりしている子が、とても嬉しそうに甘えていたり、発言が少なく恥ずかしがりの子どもが手を挙げて大勢の前に行き発言したり、心配していた あの子は初めて順番を覚えました。嬉しくて!」と話していました。
 中学校の先生も、「生徒のプロジェクトチームが考えた装飾や、活動内容を、幼児が喜んでいたことを、生徒が嬉しそうに話していた。なかなかコミュニ ケーションが苦手な子が、気にしていたあの子の担当であったので心配しましたが、終始笑顔で関わっていてがんばっていた。その生徒は、終わってからも満足 そうで今度の体験で大きく成長したようで嬉しかった」
 また、私が感想を聞いた生徒は「子どもが思うように言う事を聞いてくれないときは困ったし疲れた。でも、いっぱい喜んでくれてかわいかった」と言っていました。
 まさに、子育てをする前に経験しておくべき貴重な体験をしていると思いました。
 この「大変だけどかわいくてやりがいがある」というところ、「子どもの成長を喜ぶ」というところを、育てられる側から育てる側の大人になっていく過程の中学生の時期に経験できたことが大きな意味があったように思いました。
 思春期の反抗期の時期、育てられてきたことへの感謝の気持ちを持った子も少なくないようです。
 いつも同じ環境の中にだけいて、関わる人間も限定された中にいると、このような伸びはなかなか見られなかったのではないかと思いました。
出かけることが面倒なときもあるでしょうが、子どもに多様な関わりが期待できるような場に連れて行き、少し客観的に我が子をみて成長を発見したいものですね。



[その90]

●「新年! 襟をただしていきましょう」

 毎年恒例となっている日本漢字検定協会の2007年を漢字一文字で表わすと「偽」でした。
 そういえばたくさんの大人たちの「偽」があったように思います。
 小さい頃から「うそをついてはいけない」と教えられてきていて、どの人も子どものときには、清く真っ直ぐな瞳をもっていたはずなのに、いつの頃から自分の利益を中心に考え、瞳も曇ってしまったのでしょうか。
 悪いことをしたときには、最初が肝心といわれます。
 万引きも初回で見逃された子どもの再犯率は高く、はじめに発覚してこっぴどく叱られた場合の再犯率は低いことからもわかります。
 こうした世の中、見て見ぬふりをすると、その子にとっての軌道修正のタイミングを逃してしまうことが多いのです。
 どの子も自分の子と同じような気持ちで、しっかり育てたいものです。
 この頃の叱れない大人の存在が、悪いことを助長していることもあるのではないかと危惧の念を抱いています。
 子どもは日本の宝です。
 この子どもがどう育っていくかは、周りの大人が大きく影響します。
 そのことを大人はもっと自覚して、自分の襟をただしながら、子どもに自信を持って「いいこと、悪いこと」をしっかり教えていかなければいけないと思います。
 子どもたちのモラルやマナーの低下は、大人自身の鏡だと思わなければならないのかもしれません。
 いま一度、自分を振り返って確かめたいと思います。
 みなさん! 2008年は子年! いい子どもに育つように、一緒に子育てを楽しみながらがんばっていきましょう! 今年もよろしくお願いいたします。




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