[青森県内観光]
 
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遊歩写真旅!あおもり岬めぐり

夏泊半島─その3

〇椿山・椿神社…ツバキにまつわる悲恋伝説の地

 夏泊崎から南下して間もなくのところに椿山があります。
ここは陸奥湾に面した丘陵地で、県道9号沿いの傾斜地には大小約1万本のヤブツバキが群生しています。
北緯41度のこの地が、ヤブツバキ分布の北限で、「ツバキ自生北限地帯」として国の天然記念物に指定(指定年月日:大正11年10月12日、指定面積:約20ha)されています。
 そのヤブツバキの開花は、4月下旬から6月上旬にかけてで、紅色に咲く様子は、県道を走る車窓からでも容易に見ることができます。
 この椿山にまつわる伝説も有名です。
その昔、越前商人の横峰嘉平という人が、船で夏泊半島の東田沢に交易に来て、いつしか村の娘お玉と相思相愛の仲になり、いずれは夫婦になろうと約束しました。
嘉平は商用のため一時越前の国に帰らなければならなくなり、お玉は京の女がつけている椿の油が欲しい、今度来るときは、その実を持ってきて欲しいと、名残りを惜しんで泣いて別れました。
 お玉は嘉平を待ち続けましたが、約束の年もその次の年も船は来なく、待ち焦がれたお玉は、約束に背いた嘉平を深く恨んで、海に入って死んでしまいました。
村の人は、その死を悲しみ、海が見えるところにお玉の墓を作って埋めました。
3年を経た次の年に嘉平は約束の椿の実を持って帰ってきましたが、お玉の死を村人から聞き嘆き悲しみ、せめてもの慰めにと椿の実をお玉の墓の周りに埋めてやりました。
それが芽を出し、年々繁殖し椿が山を覆うようになり、今日の椿山になったと伝えられています。
花咲く頃になって枝を折る者がいると、清らかなお玉が現れて、その花を折り給うなというのだそうです。
 明治・大正の文人・大町桂月(1869─1925)は、自らの紀行文に、この伝説を書きとめ、次の短歌を残しています。
ありし世のその俤(おもかげ)の偲ばれて
 今も八千代の玉つばきかな
 椿山の「椿神社」もこの伝説にちなんでいます。文治年間(1185年頃)の初めに伝説にまつわる祠があり、天正年間(1573〜91年)には椿崎大明神と称し、明暦年間(1655〜57)頃から椿大明神を祀るようになったとされています。
創立はその後の元禄11年(1698)4月3日で、椿宮女人を神霊として建立しました。
安永2年(1773)には椿神社と改称し、明治6年(1873)に村社となり、猿田彦大神を祀るようになりました。
 神社周辺の海岸も風光明媚です。
椿山海岸と呼ばれ、平成8年には「日本の渚百選」に認定され、夏にはキャンプや海水浴客でにぎわいます。


 
紅色のヤブツバキの花





椿山神社


「日本の渚百選」の石碑


椿山海岸


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