[青森県内観光]
 
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遊歩写真旅!あおもり岬めぐり

下北半島─その2

〇見事な眺望に魅せられる愛宕公園

 野辺地町の景観で、ぜひ紹介しておきたいのが、愛宕(あたご)公園からの眺望風景です。
中でも花見の頃の眺めが秀逸です。
この公園は町中心部南側に位置し、高台に整備されています。
歴史は古く、今から135年前の明治17年(1884)につくられました。
まさに町を一望でき、展望台からは、町内中心部の街並みはもちろん、その向こうに野辺地湾と陸奥湾が広がり、右手には下北半島とむつ市の釜臥山(かまぶせやま)を望むことができます。
公園は桜の景勝地としても知られ、花の時期には祭り会場となり、何匹もの鯉のぼりも飾られるなど、この公園ならではの見事な景観が演出され、必見です。
公園の真ん中に建つ馬の銅像は、明治9年に明治天皇の東北巡幸の際にお供して、この地で倒れた「花鳥号(かちょうごう)」という馬のモニュメントで、今では公園のシンボルとなって、りりしくたたずんでいます。
園内にはほかにも見どころがあり、水飲み場として親しまれている「御膳水(ごぜんすい)」は、古くから町民に親しまれてきた湧水。
明治天皇巡幸の際には調理用の水として使われたことから、この名がついています。
この「御膳水」付近の石段は、北前船によって香川県土庄町(とのしょうちょう)から運ばれてきた花崗岩とされています。
「潮かをる北の濱辺の砂山のかの濱薔薇(はまなす)よ今年も咲けるや」
この短歌は石川啄木が詠んだもので、この歌が刻まれた文学碑も公園に建っています。
野辺地町は啄木との縁が深く、同町常光寺の住職を務めていた葛原対月(かつらはらたいげつ)和尚は、啄木の母カツの兄で、啄木の父一禎(いってい)の師僧でもありました。一禎がこの常光寺に一時身を寄せていたこともあり、啄木は2度、野辺地町を訪れています。
この文学碑は、啄木の没後50年を記念して昭和37年5月4日に建立されました。
最後に愛宕公園とは関係ありませんが、ぜひ紹介しておきたい野辺地町の名物を一つ。
それは駅弁の「野辺地とりめし」です。
その歴史は古く、昭和27年(1952)の国鉄時代からJRを経て青い森鉄道の今に至るまでの67年の長きにわたって野辺地駅で売られている弁当です。
ひし形の容器が特徴的で、中身は鶏肉の旨みを含んだ茶飯の上に鶏肉の照り焼き、鶏肉と卵の2色のそぼろ、シイタケ、グリーンピースがのっていて、ご飯のわきには柴漬が添えられています。
JRから青い森鉄道に営業母体が変わる際に一時姿を消しましたが、すぐに復活して、今は駅舎内の「駅そばパクパク」で1個800円で販売されています。


鯉のぼりか飾られた愛宕山公園の桜まつりの景観


公園のシンボル「花鳥号」の銅像


御膳水


石川啄木の歌碑


野辺地駅の名物駅弁「野辺地とりめし」


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