[青森県内観光]

「恵雲と辻風の珍探訪」

 

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その6

■三十二番 苦木観音長谷堂(にがきかんのんはせどう/大鰐町)<1日目>  

○りんご畑の中、こんもりと杉林の聖域

 今日はもう少し回る時間がありそうなので、一番南側の大鰐町の2カ所へ行くことにした。
ガイド本で調べると、どちらも熊野神社境内と書いてあるけれど場所は違うようだ。
こうなったら住所とカーナビだけが頼り。
国道7号に出て南下。大鰐の町中には入らず、道なりに進むと、平川の流れが右手すぐそばまで近づいてきた。
橋がかかっている。橋のたもとには「苦木観音橋」の石碑と「長谷堂参道入口」の立て看板があった。
ここを右折して川を渡り、案内板の矢印に従って集落の中を進むと、なんとリンゴ畑のど真ん中に出てしまった。
車がすれ違えないくらい狭い農道だ。「え〜っ、ほんとにこの道で大丈夫なのかな……」と不安になってきた。
間もなく十字路の向こう側に茶色の看板。苦木観音長谷堂の説明が書かれていた。
南北朝時代の天文の頃(1532〜1554)、南朝の長慶(ちょうけい)天皇側の武将水木堅正(みずきかたまさ)一族がここ苦木地区を開墾し、観音像を安置したと伝えられている。
明治の神仏分離令により、観音堂は熊野宮になったという。
この案内板から80メートル先にあるようだ。よかった〜。

 右側に龍神宮があり、広く開けている。左手には杉林の小山に急な階段が真っ直ぐ伸びていて、その上に熊野神社の鳥居が見えた。
辻風さんが「この木、目がいっぱい付いてるみたいじゃない?」という白っぽい木の幹には、そういわれると、ポコポコと何個も目があるように見え、奇妙な感じがした。
トドマツだろうか。階段を1段2段と数えながら登って行った。
54段で鳥居をくぐる。左手には子宝神社と書かれた小さな社(やしろ)。
子どものお菓子がお供えしてあった。さらに進んで次の鳥居をくぐると、境内が開け、正面に小ぶりな熊野宮、その左側が観音堂だ。
軒下にわらじが何足も奉納されていた。戸は開かなかったので、手前で拝んで戻ろうとすると、「こんにちは」と初老の男性がお参りに来た。
手には白い荷札のようなものを持ってきて、お堂の横のお札が掛かっているところに結び付けた。これが納札(おさめふだ)というものだった。
巡礼の願いと祈願者の名前を記して、一カ所一枚ずつ納めていく。巡礼の回数を重ねると、白ではなく、赤、青、銀もあり、十回目で金色なのだと本に書かれていた。
階段を降りると、先ほどの男性の車が止めてあり、姫路ナンバーだ。わざわざ兵庫から巡礼にきているの?!どんな願掛けをしているのだろう。
御朱印所は先ほど通った集落の中のプレハブだった。3畳ほどの無人の小屋に御朱印台が置いてあった。
御朱印をいただき、次は居土へ向かう。

               (恵雲)


苦木観音長谷堂(熊野神社)
本尊 聖観世音菩薩
御詠歌:幾度も法に歩みを運ぶなり 甘き苦木は後の世のため
〒038-0201 南津軽郡大鰐町苦木熊野平91





 


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