[青森県内観光]

「恵雲と辻風の珍探訪」

 

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その27

■二十一番 鬼泊巖屋観音堂・袰月海雲洞釈迦堂A(おにどまりいわやかんのんどう・ほろづきかいうんどうしゃかどう/今別町)<5日目>

○一筋の滝のそばに祀られる滝見観音

 鋳釜崎から崖沿いにグウーッと入り江に向かって落ちていく道。
青森市出身の絵本作家さわだとしきの絵本「ほろづき」に描かれた景色とそっくりだね、と辻風さんと話しながら降りていった。
“鷲の山”が迫る海沿いの一本道に漁師小屋や民家がまとまって建っている旧袰月村。
三厩も今別もここも、かつては津軽海峡や北海道沖で鮑(あわび)や鰊(にしん)漁でにぎわった時代があった。
漁師や網元の立派な屋敷、蔵が今も残っていて往時をしのばせる。
袰月海雲堂は坂道を下りきった集落の入り口付近にある。
朱塗りの橋が見え、「袰月海雲洞釈迦堂」の石柱が建っているのでここだとわかる。
その奥を見ると、落差10メートル以上ありそうな滝の白い一筋。
その流れが朱色の橋をくぐって海にそそいでいく。滝の前の鳥居の横に集会所のような建物が海雲堂だった。
 ガラリと玄関を開け、中に入ると長テーブルに産直の海藻の袋と金色の郵便ポスト型の貯金箱が。
「これってワカメかな? 500円だって」と辻風さんも興味を示す。
20畳ほどの畳敷きの部屋に木のベンチが3脚置いてあって、ガラス戸の向こうには流しとガスコンロが見える。
「部屋の中に無人販売のもの置いてあるってことは、けっこう人が集まるのかな」なんて思った。
 正面左側に観音様の厨子(ずし)があり、木の格子扉越しに袈裟(けさ)を掛け、ふっくらしたお顔の木彫の観音様が見えた。
合掌――。部屋の中にかかっていた縁起によると、袰月の海雲堂は正平、貞治年間(南北朝時代、1360年代)の頃からあって、江戸時代には津軽2代目信枚(のぶひら)が大飢饉が続いたのを憂いて、人々の生きていく喜びを与えるために津軽三十三観音霊場を定め、第二十一番「袰月の海雲堂」とした、という。
舎利石を洗う清らかな滝のそばだから滝見観音と呼ばれたのかな。
 正面中央には金色の阿弥陀如来、向かって右に庚申様、左に釈迦牟尼が祀られていた。
その釈迦牟尼仏をのぞきこんでびっくり。
「ナニコレ!!!」と辻風さんと声をあげてしまった。
ごつごつした岩の塊というか、溶けているような、浸食されて原形をとどめていないのか、自然の奇岩を祀ったものなのか。
今にも崩れそうな白っぽい石の塊がそこにあった。後でガイド本を読んだら、舎利浜より現れた釈迦如来を御本尊としているとあって、なるほどこれが、と思った。
 海雲堂の外には堂々とした「光明の松」が一本、天を仰いでいる。その横に地蔵堂があった。
7体のお地蔵様も顔がない! こちらもごつごつした岩のお地蔵さまだったのだ。奇妙な気分になって、お堂を後にした。
(恵雲)

袰月海雲洞釈迦堂
本尊 聖観世音菩薩(滝見観音)
御詠歌:鷲の山誓いも重き母衣月の 影を浮き世に殘す砂利濱
〒030-1513 東津軽郡今別町袰月字袰月元98-1











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