[青森県内観光]

「恵雲と辻風の珍探訪」

 

前へ           次へ
その30

■十八番 無縁山海満寺A(むえんざんかいまんじ/中泊町)<6日目>

○ライオンに徐福、そして太宰とキャラが豊富な小泊地区

 帰り際、ここまで来たのだから名物の権現崎まで行こう!
と思ったのだが、あいにく天気が荒れてきたので、とりあえず「太宰治とたけの銅像」だけでも見ていこうと少し竜飛ラインを北上することにした。
海岸に架かったライオン橋は、小泊12景の1つライオン岩(ライオンが座った形に見える)にちなんで建てられたものらしいが、いつみても度肝を抜かれる。
なんで突然ライオンやスフィンクスが現れるのか、ライオン岩よりもこれらの像の方が異形なので、初めての人には意味不明に映るもしれない。
以前、私もライオン岩のことを知らなかったので、シンガポールのマーライオンを真似たのだと勘違いし、ライオンズクラブの寄進だと思った友人もいた。
追い討ちを書けるように恵雲さんが「像の作者は私たちの高校時代の恩師、田村先生の作品なんだよ」と言う。二度びっくりだ。
そして、小泊の道の駅「ポントマリ」へ着くと、三度目のびっくりが待っていた。
なんと、ここは中国は秦の始皇帝に仕えたとされる“徐福”という人物をテーマにした「徐福の里」いう広場となっている。
ヒゲをたたえた徐福の像と、秦の時代の建物に似た、緑と赤の装飾が施された公衆トイレが眩しい。
どうも小泊の権現崎に徐福がたどり着いたという伝説に由来するらしいが、徐福伝説は日本各地にある。
徐福自身が神武天皇だという説もあり、司馬遷の「史記」には登場するが、実在したかどうかも定かではない。
 さて、太宰治と幼少時の子守役たけの像は、近くの「ふれあい運動場」を見下ろすようにひっそりと佇んでいた。
ここは旧小泊国民学校運動場で、小泊に嫁いだたけと太宰が再開した場所。
二人の像がそこを見下ろすのは最もなのだが、なぜか小泊の海を見渡せるような場所に立っている勝手なイメージがあって、ちょっと期待がしぼんだ。
というより、ライオンと徐福のインパクトがあまりにも強すぎたために残念ながら霞んでしまったのである。
 小泊は本州最北の地にあって諸外国との接点となりうるため、三厩の義経伝説などと同じように「海を渡って偉人が流れ着いた」という渡海伝説があるのも頷ける。
けれども、中国の徐福と日本のものではないライオンのミスマッチが、小泊らしさなのか。
例えば徐福が神武天皇だとしたら日本人よりの紹介の仕方もできただろうし、ライオン岩とせずに日本風に獅子岩と見なせば狛犬のような像に落ち着くこともできたかもしれない。
けれどあえて、外から入ってくるものを侵略者とは見なさず、ありのままを受け入れるという村民性こそが、旧小泊村に昔から受け継がれたものなのかもしれない。
やさしい村なんだなと感じた。(辻風)

無縁山海満寺(浄土宗))
本尊 聖観世音菩薩
御詠歌:見渡せば御法も深き海萬寺 鐘の響に浮かぶ海女人
〒037-0522北津軽郡中泊町字小泊204-1
TEL 0173-64-2301









前へ           次へ
 歩っきゃ!“津軽三十三観音”TOP

トップページへ