[青森県内観光]

「恵雲と辻風の珍探訪」

 

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その50

十一番 下相野観音堂(しもあいのかんのんどう/つがる市・旧森田村)<9日目>

○津軽民謡「弥三郎節」発祥の地に音楽好きの観音様あり

 街灯や掲示板など、あちこちに遮光器土偶が目に付く旧木造町の街中を通り抜ける。
木造駅は、壁に高さ17メートルの遮光器土偶がどーんと立って出迎えてくれる名物駅舎だ。
田園地帯に入ると、正面に岩木山。
その脇を五能線のリゾート列車が走っていった。
下相野地区は津軽民謡「弥三郎節」の発祥の地だそうで、高城八幡宮の鳥居横に「弥三郎節の碑」が立っていた。
「一つぁエー木造新田の下相野、村の端ずれコの弥三郎エー」と始まる、なんともむごい嫁いびりの歌で、この悪習をなくそうと哀歌を作ったのではないかと書かれていた。
藩政時代、地吹雪地帯の新田開発に難儀をした人々の素朴な暮らしぶりを映しているとも言えるのか。
鳥居をくぐる前に、もう一カ所、気になる石碑があった。
「猿田彦大神」「月夜見尊」と彫られた石が6基並んでいたのだ。
丸と三日月の形も彫られている。
猿田彦大神は庚申塚にも見られた神様だが、月夜見尊と並んでいたのは初めて見た。
確か、月夜見尊は天照大神とスサノオ尊の兄弟。
ということは、先ほど行った月夜見神社もこの神様の名前からかもと、このとき気付いた。
さて、境内に入りお参りした。
拝殿は40畳ほどの広さで、御簾の前に鏡やお供えはあるが、観音様がいる気配がなかった。
外からまわって本殿を見に行くと、「後ろに観世音と彫ってあるよ。
これが観音様かな」と、辻風さんが本殿横に背の高い石像を見つけた。
上部に金属製の杖がある。
鳥居の向かいにある社務所がご朱印所で、宮司の奥様がご朱印を押してくれ、話を聞くことができた。
背の高い石像は竜神様で、観音様はご神体とともに本殿に祀られているのだそうだ。
竜頭観音とも呼ばれるこの石像は、昭和32年、めったに拝観できない観音様の姿を竜の上に彫って拝んだものだった。
学術調査の方などいろんな方がみえます、ということで、ある大学教授が如意輪観音は音楽が好きな神様だと話していたことなどを教えてくださった。
「観音様の写真はありますよ」ともいう。
日本海中部沖地震で本殿が傾き、修理の間、宮司宅に観音様を安置していた際に撮影したもので、本を出版するという巡礼者に貸したそうだ。
神社の林には小鳥がたくさん集まっていて、にぎやかなさえずりが響いている。青空を背に、電線に並んで止まる様子はまるで五線譜の音符のようだ。
音楽好きの観音様も楽しんでいるだろうか。
(恵雲)

下相野観音堂(高城八幡宮)
本尊 如意輪観世音菩薩
御詠歌:後の世を願う心は下相野 白髪の雪の降らぬその間に
〒038-2812 つがる市森田町下相野野田38-19











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