[青森県内観光]

「恵雲と辻風の珍探訪」

 

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その57

■三番 求聞寺@(ぐもんじ/弘前市・旧岩木町) <12日目>

○栄華をほこった百沢寺の後身

 札所めぐりは、残すところあと1カ所となった。
目指すは岩木山神社隣の求聞寺。
弘前市街地を通り抜け、岩木山麓を目指して県道3号(鰺ヶ沢街道)を上る。
求聞寺のある百沢地区は、冬は温泉とスキーで賑わう観光地。
岩木山麓は、果樹園やリンゴ園などが多く、“嶽きみ”(トウモロコシ)などの多くの特産物を育んできた。
秋には無病息災や五穀豊穣を願って、夜通し登山する「お山参詣」が行われるなど、岩木山は万物を生み出す母なる山、津軽の人にとってなくてはならない存在なのだ。
収穫の時期にまた来たいなと思いながら、御朱印をもらいに行く。
 岩木山神社の右隣の道を奥に入って行き、橋をこえると求聞寺だ。
境内に入ると正面に牛と虎の像が並んでいた。
恵雲さんが「あれ、一代様の像だろうか」と気づく。
津軽一円で信仰されている、自分の生まれ年の干支の信仰「一代様」の丑・寅の像だ。
守り本尊は虚空蔵菩薩。津軽三十三カ所の本尊は聖観音だから、人気者の仏様がさまざま安置されているのだ。
参拝客が絶えないからか、お寺の中まで入らなくても、正面にすぐ窓口があり、住職が朱印を押してくれた。
 この寺の前身は、歴代藩主が愛した“百沢寺”(ひゃくたくじ)。
三番札所として栄華をほこっていたが、神仏分離令のあとに岩木山神社となり、明治8年に廃堂となった。
一方、初代藩主為信の死後、三男の信牧(のぶひら)と長男信建の遺した子供の大熊の間で後継争いが起こり、二代藩主となった信牧は御家の安泰を願って、百沢寺そばの森の中に穴を掘り、そこで“求聞持法”という過酷な修行をした。
自分の命が10年縮んでもいいから家中の安泰をと、10本の指を寿命に見立てて傷をつけ、その血をささげたという。
ここに求聞持堂というお堂を建てたが、明治9年に焼失し、明治26年に斎藤方善住職によって再建され、“求聞寺”に昇格して現在にいたる。
 百沢寺も求聞持堂もなくなってしまったのに、百沢寺は岩木山神社としてよみがえり、求聞持堂も再建されて求聞寺となった。
かつて百沢寺にあった仏像や寺宝は一部は無くなったが、津軽のあちこちの寺社で大切に保管されているものもある。
仏様でも神様でも、代々信仰を受け継いでいく民衆のたくましさを感じる。
次は最終章、なぜ、こんなにも三十三観音は民衆に愛され、親しまれてきたのか、振り返ってみたい。(辻風)

岩木山求聞寺(真言宗智山派)
本尊 聖観音
御詠歌:父母の菩提を願う百澤寺 佛といわれ神といわれん
〒036-1343弘前市百沢字寺沢29
TEL 0172-83−2279

 













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