[青森県内観光]

 

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津軽の一代様めぐり17

■辰・巳の一代様「橋雲寺」(弘前市) 守り本尊「普賢菩薩(ふげんぼさつ)」

○その由来は400年以上前にさかのぼる

 橋雲寺の由来は、弘前藩の初代藩主・津軽為信が、軍神である勝軍地蔵を信仰しており、慶長7年(1602)、浅瀬石城を攻め落とす際にそれを祀る地蔵堂を建立したことによる。
為信が慶長5年の関ヶ原の合戦で大垣城を攻めた際に、現地の愛宕様に戦勝祈願をしたところ、少数の軍勢だったが、見事勝利を手にし、そのとき貰い受けてきたのが勝軍地蔵尊像だとされている。
その後この寺は、慶長14年(1609)、2代目藩主・信枚によって現在地に移され、護摩堂は明治19年(1886)、弘前市の豪商「金木屋」から寄進された。
愛宕権現は、京都府愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の信仰で、慶応4年(1868)の廃物希釈以前は、愛宕山白雲寺から全国へと広まった。
愛宕権現(勝軍地蔵)は軍神で、火難除けにもご利益があるとされているが、普賢菩薩の生まれ変わりとも言われている。
この「普賢菩薩」は釈迦の重要な弟子で、文殊菩薩と並んで「釈迦三尊像」の脇侍(わきじ)を務め、徳を与える慈悲の仏として知られている。
普賢菩薩は辰・巳年生まれの一代様の守り本尊である。









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