[連載]

   その81〜90


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その81

「今、なぜ太宰治か」
その7
『家紋を表紙に』

 全巻の編集は太宰さんが自分の手で行い、A5判固表紙カバー装の本の、その白地の表紙に、生家の「鶴丸」家紋を型押ししてほしいと強く要望したということです。
 家紋で表紙を飾った作家はそれまでなかったと言われています。
 また、決定版と銘うっています。
 野原一夫氏は「決定版と銘うったこの全集によって、自分の全業績を完結させようとしたのだろう。…太宰さんは故郷へ、金木へ、津島家へ帰っていった」と書いています。
 また相馬正一氏は「戦前、戦中、戦後を通して文字通りペン一筋に生きてきた自分の業績を誇る気持ちである、もう一つは、衣錦還郷の念が裏返した意識であ る。つまり、太宰さんは戦前に個人全集を持つことの稀だった当時にあって、作家としての実力を誇示することで家郷への対面を保とうとしたのである」と述べ ています。
 完結した全業績を集大成してこそ全集と呼べるのですが、生前の作家が「全集」を出すということは数少ないということです。
 野原氏は「まして、まだ40歳前の、旺盛な文筆活動を続けている最中の太宰さんのような作家が全集を出すとは…」と語ります。



その82

「今、なぜ太宰治か」
その8
『八雲書店版全集』

 昭和23年4月20日、鮮やかな金で『太宰治全集』と箔押し、左下に「鶴丸」の家紋を型押しした全集は、第2巻『虚構の彷徨』を第1回配本として刊行を開始します。
 第2回配本『二十世紀旗手』が刊行される前に太宰さんは急逝します。
 八雲書店は急遽増刊の計画を立て、全16巻を18巻とし、「書簡集」、「未発表作品・補遺」の2巻を加えます。
 しかし、この全集は八雲書店倒産のため、昭和24年12月、第14巻配本(第15巻『人間失格』)をもって中絶になります。
 私は5年前、この全集14巻を古書店で見つけ、12、16、17、18巻が欠落のため、値引き交渉をして入手。
 その後の調査で全巻とわかり、今では600冊を超える太宰蔵書、評伝、研究書の中で「幻の全集」として自室の書架を飾り輝きを見せています。
 この全集企画が、後に発刊される筑摩書房全集に影響を与え予想以上に売れます。



その83

「今、なぜ太宰治か」
その9
『精神の技師』

 八雲書店編集部の亀島貞夫氏は「太宰治の文字を正当に理解し、評価することは今日もとより肝要である。…作家は人生の教師であり、精神の技師であるとい う。太宰もまた、もとより、この例外ではない。私は彼の作品が多くの人々によって読まれることを望む。無用有害の伝説によって汚染されることなく、一個独 立の文学作品として読まれることを強く望む。健全正常な人間の正当な評価に十分耐えうるものであるが故に…」(昭和38年)と強調している。
 金木町を訪れた大館の安部宗左ヱ門さん、新潟の五十嵐みさをさんは、太宰作品を読んで心が癒され救われたと語っています。
 作家の陽羅義光氏は、若い頃病床で『人間失格』を読んで感銘。「こんな僕でも生きていける」と救われ、命の恩人、昭和最大の小説家を再発見したい思いから『太宰治新論』を著述しています。
 まさしく「精神の技師」といわれる所以でしょう。



その84

「今、なぜ太宰治か」
その10
『太宰治年譜研究家』

「太宰治年譜」研究での第一人者は、前神戸女学院長の山内詳史先生です。
 山内先生は「太宰治年譜考」(昭和38年)、「太宰治年譜の虚実」(昭和44年)などで年譜考証をしたことが発端となり、「伝統的事項上での疑問点が多く、これを正していかなければならないと思った」と書いています。
 その後30数年、あらゆる太宰治に関する著書を調査研究し、検証を積み重ねてきています。
 そして、第十次筑摩書房版「太宰治全集」を編集、その最終巻「太宰治全集別巻」(平成4年)に「太宰治年譜」を詳細に記載しています。
 これについての異論は見当たりません。
 この「太宰治年譜」」に「東京帝大学部仏蘭西文学科に入学者選抜試験はあった」と、明確に記述されています。
 私はその「裏付け資料」を確かめたく先生に直接手紙を差し出し、ご指導をお願いしたところ8月27日付けで丁重な返事を頂戴しました。



その85

「今、なぜ太宰治か」
その11
『山内先生書簡』

 太宰治の東京帝国大学入試については、花田俊典氏が詳しく考証しておられましたので、複写を同封ご送付申し上げます。
 その他、平岡敏男氏の「太宰と旧友たち」や、同じ試験場で受験した中村地平の「失踪」や当時の「帝国大學新聞」の記事などを参考にして拙稿「年譜」を書きました。
 東京帝国大学入試に関しては今のところ「太宰治全集別巻」所掲の「年譜」の記述でいいように考えています。
 というご指導があり、各種裏付け資料も同封されていました。



その86

「今、なぜ太宰治か」
その12
『昭和5年度帝大試験』

 太宰さんが合格した昭和5年度は、東京帝大文学部全体の志願者が447名で47名超過したので全学科に「普通試験」と「特別試験」が課せられています。
 太宰さんは、昭和5年3月4日以降に、金木の生家に帰って東京帝国大学仏蘭西文学科の入学者選抜試験を受けるために上京、「本郷區森川町の下宿屋に宿を取った」ということです。
 東京帝国大学の入学者選抜試験は、3月30日に国語(10〜11時)と漢文(1〜3時)、3月14日に外国語(英独仏の一つを選ぶ・10〜12時)と身体検査(1時〜)、3月15日に特別試験(10〜12時)と身体検査(1時〜)が実施されました。
 試験問題集も送付されています。



その87

「今、なぜ太宰治か」
その13
『特別試験』

 特別試験は、一般試験に対して各志望学科で実施するやや専門的な試験で、各科の意向によって決定されたということです。
 この年の仏蘭西文学科では「佛文和譯」と「佛蘭西語作文『好奇心』」が出題されています。
 この特別試験の試験場で「僕にはフランス語はできません。英語の答案を出しておきますが、試験は合格さして下さい」
 と監督者にいって、受験生たちが騒々しい喚声をあげたということです。
 同じ弘前高校出身の仏蘭西文学受験者の三戸幹夫も、手を挙げて同様の事情を訴えたということです。
 監督をしていた助教授辰野隆氏は、困惑して、嘆願書を書くように勧めた、と伝えられています。



その88

「今、なぜ太宰治か」
その14
『試験の結果』

 青森市S氏は「知られざる太宰…六五に」〈いま太宰治略年譜が出ているがあまりにも誤りと問題点が多すぎる。年譜に基づいて、裏を確かめようとすれば、 みんな裏がとれる。しかし実際には大部分、確かめることなく、他人の資料によって書かれている部分が多いように思われる〉。
 と、年譜作成上の問題点を指摘しています。
 もとより私も太宰治研究では浅学非才の身、試行錯誤の繰り返しです。
 しかし、太宰会の目的に賛同する211名の会員、共に学びあう「太宰を知る会」の常連メンバー、献身的な三役事務局と編集委員スタッフ、そして諸研究家の指導助言が会の研究活動を支え、謙虚に学びあっています。
「今、なぜ太宰か」のなかに、郷土の誇り太宰治の「人と作品」を正しく理解するため、謙虚に学び、批正しあう姿勢が基本になると思うのです。



その89

「今、なぜ太宰治か」
その15

 太宰治記念館「斜陽館」を訪問した東京の植山勝正さん(61歳)が「館内感想ノート」に〈昭和35年筑摩書房版『太宰治全集』を読んで以来、津軽金木を 訪れたいとの願望で26年。今回北海道旅行の帰途訪れて太宰の青春と自分のそれを重ねてみて本当に良かった>と、感動的に書いています。
 昭和30年以降、筑摩書房版「太宰治全集」によって愛好者が急激に増えていきます。今回は「太宰治全集」の刊行経過をまとめていきます。
「『全集』刊行の背景」
 近畿大学、関井光男教授は「太宰とテクトス」(平成9)に、<「太宰治全集」の歴史は、戦後の経済復興と重なり合っている>と解説しています。
 最初の八雲書店刊行の「太宰治全集」の歴史は混迷した戦後経済の立て直しが準備された昭和2〜3年でして。
 そして昭和25年の「全集」中絶は、八雲書店が復興金融公庫の融資の凍結と、微税の強化によって起こった不況のあおりを受けて倒産したとのことです。
 その後、太宰さんの代表的な作品をまとめた著作集は、昭和24年、新潮社「太宰治集」全3巻。昭和26年、創元社「太宰治作品集」全6巻。昭和27年、創弊社近代文庫版「太宰治全集」全16巻が刊行されています。
 これは朝鮮戦争による特需景気で、日本経済が回復したところです。



その90

「今、なぜ太宰治か」
その16

 筑摩書房版「太宰治全集」が構想され、新たに刊行されたのは、神武景気が起こった昭和30年です。
新収録の著作・書簡・研究・初期作品を大幅に加えて集大成した画期的なものです。
その後筑摩書房版「太宰治全集」は、戦後の高度成長の歴史の節目を刻むように増補されて刊行され、そのたびごとに新しい読者を作り出していきます。
○第1回、筑摩書房版は昭和30年5月から昭和31年9月まで「太宰治全集」全12巻別巻1が発刊。
○第2回、昭和32年〜33年「太宰治全集」(普及版)全12巻別1。
○第3回、昭和34年〜35年「太宰治全集」(新装版)全16巻。
○第4回、昭和37年〜38年「定本太宰治全集」全12巻別巻1。
○第5回、昭和42年〜42年巻別巻1(愛蔵版)。
○第6回、昭和46年〜47年「筑摩全集類聚太宰治全集」全12巻で別1。
○第7回、昭和50年〜51年ちくま文庫「太宰治全集」全10巻。
○第8回、昭和51年〜52年「太宰治全集」(新訂版)全12巻。
○第9回、昭和53年〜54年「筑摩全集類聚太宰治全集」(新訂版)全12巻。
○第10回、平成元年〜4年「太宰治全集」(初出版)全12巻別巻1。
○第11回、平成10年〜11年「太宰治全集」(決定版)全13巻。
 このように11回も「太宰治全集」を刊行した筑摩書房は〈個人全集でこれだけ売れる作家はそういない。以前は苦しくなると太宰治全集を出す時代もあった〉ということです。




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