[連載]

 31話 〜 40話     ( 佳木 裕珠 )



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◆その31
新学期 (5)


 全定合同の入学式が行われる四月七日は、穏やかに晴れた気持ちの良い日だった。
職員朝会で、その日の日程と係の確認があった。
式場となる体育館は、昨日のうちに全て準備が整えられている。
昌郎は、入学式に出席する保護者の接待と会場への誘導などが主な分担だった。
式は十一時から挙行されるが、新入生の集合時間は十時で、様々な諸注意や連絡を伝えた上で体育館へ入場する予定となっている。
九時半を過ぎると新入生と保護者が集まり出した。
定刻の十時には新入生全員が揃うだろうと思っていたが、あと二分程で十時になるというのに、一人生徒が来ていなかった。
生徒昇降口で事務の所沢と一緒に受付を担当していた絹谷が、職員室に入ってきて教頭に伝えた。
「もうそろそろ受付の時間が終わりますが、まだ一人だけ来ていません」
 長津山は、やはり心配していたとおりだと思った。
「まだ来ていないのは三山奈々さんだね」
絹谷は頷いた。
「やはり登校は無理なのでしょうか。もう少し待ちましょうか」
 新入生が待っている教室に行こうとしていた福永が言った。
「あとの生徒達は全員来ているから、予定通り十時から新入生への説明を始めてください」
「はい、分かりました。それでは教室の方へ行きます。川北先生お願いします」
 担任の福永と副担任の川北が職員室を出て行った。
「絹谷先生、三山さんのお母さんの携帯電話に、連絡を入れてみて下さい。
こんなこともあろうかと思って、入学説明会の時にお母さんから聞いていました」
 長津山がそう絹谷に頼んだ時、職員室の電話が鳴った。
十時になって保護者の控え室から職員室に戻ってきた昌郎が、受話器を取った。
「はい、鈴ケ丘高校定時制職員室です」
 困り果てたというような声で、新入生の三山奈々の母親が名乗り、担任に取り次いで欲しいと言った。
担任の福永は既に教室の方に行ったことを伝えると、それでは教頭先生に取り次いで頂けないでしょうかと言った。
「はい。少しお待ち下さい」
昌郎は、三山の母親の電話を長津山に伝えた。長津山と三山の母親のやり取りがあった。
新入生の三山奈々が入学式に出るのを渋っているようだった。
「入学式に出席するのはどうしても無理ですか。そうですか、分かりました。
あまり無理強いされない方がいいかと思います。でも、入学式が終わって皆が帰ってしまった後でも構いませんから、今日学校に来られるようなら、奈々さんを連れてきてくれると嬉しいです。
その方が、奈々さんも、明日から学校へ来やすくなりますから」
 長津山の電話での応対を聞きながら、自分には考えられないことだったが、入学式にどうしても出席できない生徒がいることを、昌郎は知った。



◆その32
新学期 (6)


 全定合同の入学式が行われる四月七日は、穏やかに晴れた気持ちの良い日だった。
職員朝会で、その日の日程と係の確認があった。
式場となる体育館は、昨日のうちに全て準備が整えられている。
昌郎は、入学式に出席する保護者の接待と会場への誘導などが主な分担だった。
式は十一時から挙行されるが、新入生の集合時間は十時で、様々な諸注意や連絡を伝えた上で体育館へ入場する予定となっている。
九時半を過ぎると新入生と保護者が集まり出した。
定刻の十時には新入生全員が揃うだろうと思っていたが、あと二分程で十時になるというのに、一人生徒が来ていなかった。
生徒昇降口で事務の所沢と一緒に受付を担当していた絹谷が、職員室に入ってきて教頭に伝えた。
「もうそろそろ受付の時間が終わりますが、まだ一人だけ来ていません」
 長津山は、やはり心配していたとおりだと思った。
「まだ来ていないのは三山奈々さんだね」
絹谷は頷いた。
「やはり登校は無理なのでしょうか。もう少し待ちましょうか」
 新入生が待っている教室に行こうとしていた福永が言った。
「あとの生徒達は全員来ているから、予定通り十時から新入生への説明を始めてください」
「はい、分かりました。それでは教室の方へ行きます。川北先生お願いします」
 担任の福永と副担任の川北が職員室を出て行った。
「絹谷先生、三山さんのお母さんの携帯電話に、連絡を入れてみて下さい。
こんなこともあろうかと思って、入学説明会の時にお母さんから聞いていました」
 長津山がそう絹谷に頼んだ時、職員室の電話が鳴った。
十時になって保護者の控え室から職員室に戻ってきた昌郎が、受話器を取った。
「はい、鈴ケ丘高校定時制職員室です」
 困り果てたというような声で、新入生の三山奈々の母親が名乗り、担任に取り次いで欲しいと言った。
担任の福永は既に教室の方に行ったことを伝えると、それでは教頭先生に取り次いで頂けないでしょうかと言った。
「はい。少しお待ち下さい」
昌郎は、三山の母親の電話を長津山に伝えた。長津山と三山の母親のやり取りがあった。
新入生の三山奈々が入学式に出るのを渋っているようだった。
「入学式に出席するのはどうしても無理ですか。そうですか、分かりました。
あまり無理強いされない方がいいかと思います。でも、入学式が終わって皆が帰ってしまった後でも構いませんから、今日学校に来られるようなら、奈々さんを連れてきてくれると嬉しいです。
その方が、奈々さんも、明日から学校へ来やすくなりますから」
 長津山の電話での応対を聞きながら、自分には考えられないことだったが、入学式にどうしても出席できない生徒がいることを、昌郎は知った。



◆その33
新学期 (7)

 一時間ほどで学校に行けますと言っていたが、三山奈々の母親が学校へ来たのは、電話があってから二時間後の午後三時頃だった。
奈々を一緒に連れて来ようとしていたのだろう。母親は憔悴しきったような顔で、受付窓口に現れた。
「待っておりました。さあ、どうぞ此方へ」
 担任の福永が職員玄関まで三山の母親を出迎えた。
そして、職員室の隣の部屋、一応幾らか本が並べられている図書室兼応接室の方へ、母親を通した。
 母親は初め、担任の福永を用心深く観察しながら、ぽつぽつと話した。
教頭先生が対応してくれると思って学校に来たらしいと福永は直截に感じた。
しっかりと対応して、母親が奈々のことを相談しやすい関係を築くことが出来なければ、担任としての役目を果たすことは出来ない。
母親は、自分でも娘のことをどうして良いのか分からないのである。
切羽詰まった状態が、福永にはよく分かった。彼はまず、中学時代の奈々のことについて聞いた。
「中学からの書類では、三年生になって欠席が大分減っているようですが、もしかしたら保健室か別室登校だったのではありませんか」と、単刀直入に聞いてみた。
母親は頷いて、福永の言葉に同意した。
「そうなんです。出席日数の殆ど、いえ全部は皆とは違う別室登校でした。」
母親は、福永に縋るような眼差しを向けた。
福永は、重ねてこう聞いた。
「でも奈々さんは、修学旅行には行ったのでは」
母親は、吃驚したように福永を見詰めた。
「そうなんですよ。あの子修学旅行にだけは皆と一緒に行ったんです。だから、てっきり学校に行けるようになったんだと思ったんです。でも、修学旅行から帰ってくると、次の日からまた、教室には入れずに保健室や別室で勉強していたんですよ。一体どうして、そうなるのか、私には全く理解できないんです。今日の入学式のことを楽しみにしていたようなのですが、今朝になって、学校に行くのを嫌がったんです。自分の娘ですが、どうしてそうなるか私に全く分かりません」
そう話すと、母親は大粒の涙を零して泣き出した。
福永は、母親が落ち着くのを根気よく待った。そして、母親が話したいことをじっくり聞くことにした。
奈々の母親は、ひとしきり涙を流すと、娘のことを話し出した。自分達夫婦には、なかなか子どもが授からなかったが、結婚して九年目にやっと出来たのが一人娘の奈々。
大事に大事にして愛情を目一杯かけて育てたと思う。夫も理解のある父親だと思う。
小学校までは、普通の子どもと同じように元気に学校に行っていたが、中学一年生の途中から、学校に行けなくなった。
その理由が今でも分からない。母親は、堰が切れたように話し出した。福永は、母親の話にしっかりと耳を傾け、相槌を打ちながら聞いた。



◆その34
新学期 (8)

 「まず、聞き上手になれ」
長津山が常に言っている言葉を、福永は心に刻んでいた。
しかし、三山奈々の母親の話から、何故奈々が学校に来られないのか、その理由を探ることは出来なかった。
強いて言うならば、母親が奈々を構い過ぎたのかも知れない。
しかし、そんなに簡単に理由が特定できるものではない。生徒達が抱える問題の原因は、一つだけを特定できるものではない。
様々なことが重なって、時と共に出現するものだ。
だからこそ、簡単に問題行動を治せるものでもない。
要は、じっくりと時間をかけて一つ一つの問題に対処して行くより仕方ないのだ。
定時制は全日制と違って在籍年数が一年長い。
その利点を活かして気長に対応しよう。
子ども達の一年は大きな成長に繋がる。
これも、長津山が何時も言っていることだった。
三山奈々の母親は一時間ほど一人で一方的に話してから、ほっとしたような表情を浮かべて帰って行った。
それから然程の間もおかずに、立て続けに二人の新入生の保護者が来校した。
一人は男子生徒の母親で、息子はアスペルガーで日常生活の中で突然起こる変化に対応しきれないところがあり、その時にはパニック状態になることもあることを告げた。
福永は、三年前にアスペルガーだと言われていた男子生徒を受け持ったことがあった。
彼は、いつも笑顔で人懐っこい生徒だったが、入学式や卒業式などの厳粛な式の時もにこにこしているので、人を馬鹿にしているように誤解されることがあった。
しかし、授業は真面目に受け成績も悪くはなかった。
クラスメイトも彼のことを良く理解してくれて、一昨年クラスメイト達と一緒に無事に卒業していった。
その生徒と今日入学式に来た彼のことを重ね合わせるように思い出しながら、福永は母親の話を聞いた。
一通りの話を終えると母親が、これだけは皆さんに気を付けて頂きたいのですがと付け加えた。
「私どもの苗字は官崎(かんざき)です。
でも、さっと見ると宮崎に見えるので、よく宮崎大介とうちの子を呼ぶ方がいるんですが、息子はそれを大変嫌います。
先生方には特にそこを注意して頂きたいと思います」
少し強い口調で母親は話した。
きっとそのことで様々な問題があったのだろうと福永は察した。
母親を玄関まで見送ってから職員室の戸を開けると、入り口近くの所沢が、教室の方で新入生の吉田谷亜里菜さんのお父さんが、先生をお待ちですと福永に告げた。
「今日は忙しいわね」
絹谷が、福永に労りの声をかけて寄こした。
「いや、忙しいくらいの方が遣り甲斐がありますよ」
そう言って福永は、休む暇もなく教室へ急いだ。
お待たせしましたと声をかけながら教室に入ると、憮然とした顔で腕を組んだ一見どこかの組員ではないだろうかと思われる男が、大股を広げて教壇の真ん前の席に座っていた。




◆その35
新学期 (9)

 「何時まで、待たせるんだ。先生も忙しいかも知れないが、こっちも仕事を投げ出して学校にわざわざ来ているんだ」
福永は深々と頭を下げて侘びた。
「申し訳ございません。前のお母さんとの話が少し長くなってしまいました」
「まあ、此処に座れや」
これから自分の娘が世話になるという親らしからぬ横柄な口調で福永に言った。
福永は多少かちんときたが、此処が我慢のしどころと自分に言い聞かせて、吉田谷亜里菜の父親の斜め横に座った。
こんな場合は正面切って向かい合わない方がいいと、今までの経験からそうした。
福永が座ると父親はすぐ切り出した。
「先生、ちょっとお聞きしますがね、授業料等一年間分全額まとめて払ったあとで、退学するとなった時には、その期間に応じて授業料は戻してもらえるもんですかね」
「いえ、誠に申し訳ないのですが、授業料は戻りません」
「え、戻らない。何でだ。途中で辞めれば、そのあとは授業を受けないんだぜ」
「ええ、その通りですが、授業料は年度当初に一括して収めて貰うのが本当なのですが、皆様の御負担を考えて、分割も認めていると言うことなのです。ですから、大変申し訳ありませんが、お返しできないことになります」
「お宅達は、勝手にそんな決まりを作っているが、道理に合わないぜ」
「申し訳ございません。ただ、授業料以外のPTA会費や学年費などは、退学された以降の分はお返し致します」
そう言ってから、福永は率直に聞いた。
「ところで、亜里菜さんは、何れ退学するかも知れないと言うことでしょうか」
 父親は、今までの威勢の良い声を急にトーンダウンさせて言った。
「大きな声じゃ言えないが。俺は、高校を中退している。亜里菜と俺は男と女の違いはあるが、性格的には非常に似ているんだよ。だから、俺と同じように中途退学って事になるかも知れないと思ってさ、一応聞いておこうと思っただけだよ」
「そんな悲観的なことをお考えにならず、亜里菜さんの頑張りに期待しましょう」
 福永がそう言うと父親は、そう簡単に期待はできないと言って話を続けた。
「うちはよ、俺と亜里菜の二人家族。つまり父子家庭って言うことよ。小さい頃は明るくて、真面目な子どもだったんだが、中学に入ってから、ぐれだしてさ。何度か学校にも呼び出されたぜ。中学の先公はよ、俺の育て方が悪いみたいな口振りで、しっかりと育ててくださいなんて、阿呆なことを言いやがる。まったく、頭にくるぜ。だから、俺は学校不信だ。先生、そこんとこを忘れちゃ嫌だぜ」
 話が、どんどんと学校批判になっていく気配だった。




◆その36
新学期 (10)

 吉田谷の話も一方的な話だったが、福永は相槌を打ちながら聞き役に回った。
やっと吉田谷亜里菜の父親が帰ったのは、五時を回った辺りだった。
吉田谷の父親を玄関先に見送ったあと、福永は職員室に帰って、三山奈々と官ア大介の母親、そして吉田谷亜里菜の父親と面談した内容を教頭の長津山に報告した。
その報告は、職員室にいる皆にも聞こえた。
先生方に報告していることでもあった。
彼等は、生徒達の情報は事務の所沢も含め定時制の職員全員が共有するべきものだと認識していた。
それもまた、長津山の方針だった。
生徒達や保護者の最初の窓口は、担任である。
しかし、生徒達は、担任だけの生徒ではない。
この鈴ケ丘高校定時制教職員全員の生徒である。
様々な問題を抱えている生徒達が多い。
ほとんどが何らかの問題を抱えていると言っても良いかもしれない。
だからこそ、教職員が一丸となってそれぞれの生徒達に対応しなければならない。
長津山は、この方針を貫いてやって来た。
他の先生達も、教頭のその方針を受け入れていた。
「記録を取っているね」
報告を受ける時、長津山が福永に確認した。
「はい。保護者の方の了承を得て、メモを取りながら話を聞かせて貰いました。そして最後に、メモを見ながら、要点を保護者に確認しました」
長津山は、大きく頷いてから福永からの報告を促した。
教頭に報告する福永の話を聞きながら、この定時制に求められていることが、昌郎には何となく分かるような気がした。
報告を終えて自席に戻ってきた福永に、お疲れ様ですと昌郎は声をかけた。
「入学式の日は、何時もこんな風に保護者の方々からの相談があるのですか。入学式が終わった後で相談されれば良いのに、わざわざ家に帰ってから、もう一度出直さなくてもと思うのですが」
「何時もだったら、新入生の入学説明会の時に、何人かの保護者から相談などがあるんだが、三山さんの不登校については、高校に入学すれば改善されるんじゃないかと、お母さんは思っていたんだと思う。そして、あとの保護者の方は、子どもに内緒で来たんでしょう。官ア君のお母さんの場合は、学校側に話そうかどうかと迷っていたところもあったと思うよ。そして吉田谷さんの場合は、娘さんが退学したらって言うことだからね」
「そうですか。色々な生徒達がいるんですね」
「当然のことだが、一人一人の個性は違う。それは全日制よりも顕著だよ。そして抱えている課題も深くて大きい場合が多い」
 昌郎は、そんな生徒達を相手にして、自分は本当に教師としてやっていけるのだろうかとまた不安になった。
福永は、そんな昌郎の気持ちを察した。
そして、木村先生ならやって行けると勇気づけた。




◆その37
新学期 (11)

定時制の職員室に、昌郎と福永だけが残っていた。
明日からいよいよ、定時制の生徒全員が登校してくる。
昌郎は、初めて二年生の生徒達と会うことになる。
昨年度一年生の担任だった福永から、新二年生の生徒達のことについて、一人一人の特徴や注意点などの引き継ぎのために、二人は残っていたのだ。
福永は、十四冊のノートを取り出して、昌郎の前に提示した。
「この中に、各生徒達の様々なことが記録されています。あとからゆっくりと目を通してください」
「福永先生は、生徒全員について、このような記録ノートを作っているんですか」
「自分が担任する生徒だけです。他の学年の生徒については、それぞれの担任が、同じように各生徒の記録簿を持っています。一年生の担任が作った記録ノートが引き継がれています。ただ、途中から転校や編入してきた生徒達は、その時の担任が新たに記録簿を作ります。新しい二年生は男子九人、女子六人の合計十五人ですが、その中の天宮準一は編入生ですから、彼の分の記録ノートはないので、木村先生から作って記録して行くことになります」
 昌郎は、二年生の名列表の一番最初に書かれている天宮準一の名前を鮮明に思い出していたが、編入生という言葉が今一つ分からなかった。
「編入生と転校生は違うんでしょうか」
「違うよ。転校は違う高校からこの学校に来ること。編入とは一旦学校を退学した者が、再度高校に入りたいと希望し編入試験に合格して入ってくる生徒のことだ」
 昌郎には、分かったような分からないようなことだったが、転校生と編入生が違うことだけは認識した。
「天宮君は、何処の高校を退学して本校に編入したんですか」
 福永は、都内でも著名な進学校の名前を言った。
「え、あの有名な進学校からですか」
 昌郎は、正直驚いていた。
現役で大量に東大に合格させている著名な進学校を退学して、本校定時制に編入を希望する者がいることを想像もしていなかった。
「どうしてでしょう」
「多分、授業について行けなかったんじゃないだろうか。秀才ばかりが集まる学校にも、ついて行けない者は必ずいる。以前にも同じようなケースの生徒が編入してきたよ。まあ、天宮については、そのくらいにして、他の生徒達のことについて伝えるよ。でも、木村先生、俺が言ったことで先入観を持たないで欲しいんだ。飽くまでも、参考として伝えるよ。彼等は、これからどんどんと変わって行くからね」
福永は歯切れよく言った。



◆その38
始業式の日(1)

 定時制教職員の勤務時間は、12時45分から21時30分までである。
しかし、昌郎は何時ものとおり6時には起床して9時には部屋を出た。
もっと早くても良かったのだが電車の混雑を避けようと思いその時間にした。
学校に着くと、全日制は既に始業式を終え授業が始まっていたが、定時制の出入り口はまだ施錠されていた。
昌郎は事務室に寄って定時制の職員玄関の鍵を借りた。
「木村先生、随分早いですね。定時制の先生方の勤務は12時45分からでしょう」
そう笑顔で言いながら技能主事の山崎光子が昌郎に鍵を手渡してくれた。
 昌郎は今日初めて、担任をする新二年生達と会うことになる。
どんな生徒達がいるのだろうかと楽しみが半分そして不安が半分だった。
強いて言えば、不安の方が多いかも知れない。
まだ大学生の気分が抜けていないような自分が、果たして教師として生徒達に認めて貰えるだろうか。
入学式の日に見た新入生達は様々な問題を抱えているようだ。
二年生達も色々な問題を抱えているに違いないと思う。
人生経験の乏しい自分が、そんな彼等をしっかりと指導して行けるのだろうか。
そう考えると楽しみよりも不安の方が大きくなってしまう。
自信があるかないかと言うことよりも、教師としてしっかりとやらなければならない。
昌郎は、そう考えて自分を勇気付けた。
定時制教職員の入口の施錠を解いて中に入ると、良い香りが昌郎の鼻孔を擽った。
教職員の入口と隣り合わせに続いている生徒昇降口の下駄箱の上に、花籠が置かれている。
それは、大学時代に応援団で苦楽を共にした親友源藤凌仁が、昌郎の為に作って送ってくれた花籠だった。
その花籠の中にある薔薇の花が高い芳香を放っていた。
無骨な手で一生懸命に凌仁が作ってくれた花籠。
その中の薔薇が良い香りを放ち、昌郎を応援していた。
凌仁も頑張っていると思うことで昌郎の心の支えになった。
職員室に入り、まず窓のブラインドを開けた。一挙に春の目映い光が部屋の中に差し込んで来た。
職員室の隅にあるガス台で湯を沸かしポットに入れた。
台拭きを濡らして自分の机を拭き、来客用の机の上や連絡黒板のチョーク受けも拭いた。
見た目にはゴミはなかったが、床は箒で掃くと結構綿ゴミが集まった。
それらの仕事を終えてから昌郎は自分の席に着き今日の日程を確認した。
 生徒達は、17時30分の登校となる。
各学年で出席を確認するホームルームが行われた後、すぐ職員室の隣の会議室に全生徒56人全員が集合して職員紹介がされた後に始業式が行われる。
続いて新入生と在校生の対面式が生徒会主導で実施され、それが済んでから各学年毎に教室に戻ってロングホームルームとなる。
対面式は、生徒会が運営する形になっているが、実際は生徒会担当の福永と昌郎が進行台本を作り、それに沿って生徒会役員が進行するのだった。
その打ち合わせのために、会長や副会長たち生徒会役員は、一般生徒達よりも早く午後5時には学校に来ることになっていた。



◆その39
始業式の日(2)

 対面式の進行台本は福永が作ってくれた。
会長の歓迎の挨拶と新入生の代表の挨拶を行うことは例年とほぼ同じ流れだが、今年度は今までと違うところがあった。
それは、新入生も上級生も全生徒が1人ずつ名前と学年そして出身中学校を自己紹介で発表することだった。
生徒は全員で56人だけしかいない。
一人30秒ほどで済むだろうから30分と掛からない。
全日制と違って、夜間に学ぶ定時制は家族的な雰囲気があり結びつきが強い。
新入生が、そんな雰囲気に早く馴染むためにも、先輩達と自分との共通点を見出すことが必要だ。
その意味で出身中学校が何処かと言うことは結びつきの一歩となる。
中学校と違い高校は、広範囲から生徒が集まる。同じ中学校の卒業でなくとも、近い地域にある中学校卒業ならば、共通する話題が必ずある。
そのためにも、出身中学を自己紹介に入れることの意義は大きいと福永は思ったのだった。
中学生の時に見る高校生は、とても大人に見える。
自分達の住む世界とは、大きくかけ離れているように感じているだろう。
ましてや、今まで日中に学校へ行っていた経験しかなく、夜間の学校は未知の世界だ。
新入生達は高校生活に対する期待感よりも、大きな不安を抱えて入学しているだろう。
そんな中で上級生達が自己紹介をしてくれれば、新入生の緊張感も和らぐ。
昨年度も、全生徒の自己紹介を対面式に入れることを福永が生徒達に提案していたのだが、生徒会役員達が消極的で、それは実現しなかった。
しかし、昨年の11月末に新しく生徒会役員になった生徒達に、対面式での全生徒の自己紹介の意義を丁寧に説き、今回の全校生徒の自己紹介の実現に繋げたのだった。
ただ生徒達の中には人前で話すことを極端に嫌う生徒や、やりたいと思っても出来ない生徒もいる。
その為に、年度末のロングホームルームの時間を使って、各学年で一度練習をさせていた。
学年と名前そして出身中学校だけの本当に簡単な自己紹介の練習を前もってしていたことは、昌郎を驚かせた。
その時、福永が言った。
「殆どの生徒は、自己紹介の練習をしなくとも大丈夫だが、ほんの数人だけれど練習が必要な生徒が、どの学年にもいるんだ。その生徒だけ特別に練習させても良いが、他の仲間達が自然にやっている自己紹介を見ることによって、自分にも出来ると言うことを実感して貰いたかったんだ。
そうすれば、本番でも上級生らしくしっかりと自己紹介が出来る。それが、これからの上級生としての自信に繋がると思う」
昌郎は、福永のこの話を聞いて、定時制教員としての心掛けの一端を教えて貰った気がした。
12時45分から職員朝会が始まった。
春休みも終わり久し振りに全学年が揃う新学期である。
昨日の入学式にも増して先生達は生き生きとしていた。
小さな定時制の校舎も、微睡(まどろ)みから醒めたような凜とした雰囲気が漂っている。
そう感じるのは、自分の気持ちが反映されているからかも知れないと昌郎は思った。



◆その40
始業式の日(3)

 夕方5時前に、生徒会役員達が登校してきた。
「お早うございます」
 元気の良い声が、職員室に響いた。
教頭の長津山をはじめ先生達は、お早うとそれに応えた。
夕方なのに、お早うなのだろうか。
昌郎は戸惑った。その様子を察して福永が、昌郎に説明した。
「俺も最初は変だと思ったけれど、その日で一番最初に会うんだから、お早うでいいんだと納得した。定時制では、代々登校した時はお早うと挨拶をするんだ。そのうちに木村先生もその挨拶に慣れるよ」
 早く来た生徒会役員の生徒は6人だった。
その中に長い髪を金髪に染めて濃い化粧をした女子生徒がいて、昌郎はどきりとした。
そして、この子が花戸玲という生徒だと思った。
昌郎は、彼女のことについて福永から既に聴いていたが、実際に彼女を見て衝撃を受けた。
そんな昌郎に関係なく「皆に、新しくお出でになった木村先生を紹介しよう」と言いながら 福永は椅子から立ち上がった。
昌郎も福永に倣って立ち上がった。
「こちらの先生は、今年度から生徒会の顧問を私と一緒にやって下さる木村先生です。高校と大学で応援団として活躍してきた先生です。それじゃ簡単に、皆から木村先生に自己紹介しよう。まず、生徒会会長の岩村から」
 岩村と呼ばれた男子生徒が、少し照れくさそうに自己紹介をした。
「生徒会会長の岩村満です。4年生です。宜しくお願いします」
 岩村は、そう言ってから自分の左隣の男子生徒の方へ顔を向けた。
「3年生で副会長の下境憲弘です」
 そう言うと、岩村を真似て自分の左隣の女子生徒に視線を向けた。
その女子生徒は落ち着いたふうで自己紹介をした。
「4年生の樋口元子です。副会長をしています。宜しくお願いします」
 後の3人も、次々に自己紹介を繋いだ。
書紀は昌郎が担任する2年生の花戸玲で、見るほどに鮮やかな金髪で化粧も濃かった。しかし、意外にも話し方はしっかりとしていた。
「書記をしています2年生の花戸玲です。宜しくお願い致します」
外見を見れば、ギャルそのもの。
タメ口でぞんざいな話し方をするのかと思っていたが、全く違っていた。
今までの自己紹介の中では一番丁寧な話し方だった。
次は会計で3年生の柏葉子、そして2年生の小山田秀明。
彼も昌郎が担任する。
6人の中では一番小柄で、眼鏡をかけた彼は幼く見えた。
幼いと言うよりも弱々しいと言った方が良いかもしれない。
自分が担任する生徒のことが気になり、昌郎は小山田を凝視したが、その視線に小山田は少し緊張したようだった。



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