[連載]

   21話〜30話( 如 翁 )


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◆その21
 「無題」
 「白玉の 歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり」
 ご存じ若山牧水の代表的な歌である。何でも牧水は飲み過ぎのため43歳で亡くなったらしいが、年齢のわりには、悟りきったような情感が作品に漂っているのは、若くして“酒道”を極めつくした成果なのだろうか。
 それは常日頃酒を憎からず思い、長い間つきあってきたこの翁にして、ようやく最近到達できた境地のような気がする。「石の上にも3年。酒を飲んで50年」といったところかの。
 ところで、酒は百薬の長とも言われるが、ご存じのようにただの薬ではなく毒薬の側面も有している。なにせ「初め人酒を飲み、次に酒酒を飲み、終いに酒人を飲む」というからの。
 かく言う翁もだいぶ酒に飲まれたことがある。いわゆる本地を落とした状態だ。
 そんな次の日は頭痛と自己嫌悪で絶縁状をたたきつけたい気分に陥るのだが、「酒のない国に行きたい二日酔い。でも三日目には戻りたい」という、我が半生そんなことの繰り返しであったな。
 うむ、なにやら今回はとりとめのないことを書いてしまった。やはり酒を飲みながら文章を書くのは無理のようじゃ。



◆その22
 「一目の網は鳥を得ず」

 昔の中国の人は実によいことを言ったものだ。
 その集大成が故事成語として今に伝わっているわけだが、翁もその智恵を時々とりあげることにしよう。
 初回は「一目の網は鳥を得ず」。
 鳥を捕まえるため網を仕掛けたところ、結果よろしく一羽が網にかかったとしよう。
 もちろんその鳥はたくさんの網の目のうちの、たった一つの目に引っかかったのだが、だからといって一つの目しかない網を張っても鳥はひっかかりはしない、というのが、この格言の趣旨。
 う〜む、奥が深いのう。
 その意は、何か有用なものを得たいと思うのであれば、平素から人脈を広げたり、多岐にわたって知識を蓄えておかなければならない。
 そうした知的ネットワークが張り巡らされていればこそ、いざというときに貴重な情報を入手することができる、と、まあこんなところであろうか。
 確かに翁の人生においても、思い当たることがあったわい。
 老婆心ながら、若い方々も決して偶然のラッキーは期待せず、普段から大いに努力するべきじゃ。
 ましてやこの格言を、宝くじは1枚買っても当たらないが、大量に買えばどれかは当たる、などと解釈するでないぞ。



◆その23
 「究極の合体」
 市町村合併については国や県が旗振り役となって推進を図っているが、なかなか思い通りにはいかないようだ。
 当初県が示した合併モデルも大分崩れているらしい。
 まあ、財政的なこと、政治的なこと、感情的なこと等々地元には地元の事情もあろうから仕方ない面もあるだろう。
 そこで翁からの緊急提案なのだが、この際、県内の67全市町村が大同団結して合併し、「『青森県』市」をつくってみては如何か。
 国や県が言うように、交通事情も格段に向上し、ITも著しく発達した現在であれば、少々の距離など屁でもあるまい。
 それにみんなが東奥日報を読めば、住民の一体性も十分確保されるだろう。
 その上で、職員も全て県と統合し、県職員と市職員を兼務させるのだ。
 例えば、月、水、金は青森県職員として働き、火、木は『青森県』市職員として働けば行政サービス上の支障もないじゃろう。
 もちろん知事には日替わりで『青森県』市長を務めてもらわなければならぬ。
 つまりは青森県と67市町村を<合体>してしまうのだ。
 これぞ究極の行政改革ではないか、と思い着いたのだが、やっぱり、このアイディア、行政を知らぬ者の暴論じゃろうか。



◆その24
 「東西南北雑感」

 天の四つの方角にはそれぞれ守り神がおられる。すなわち東には青龍、西には白虎、南には朱雀、そして北には玄武である。
 青房や赤房など相撲の土俵吊り屋根、会津の白虎隊などでお馴染みじであろう。
 また、四天王も四つの方角を守護されておる。持国天は東方を、広目天は西方を、増長天は南方を、そして毘沙門天(多聞天)は北方を、それぞれお守りしている。
 四天王は古い彫像が多く残されており、特に奈良東大寺のものが有名だが、翁は右手に宝塔を高く掲げ、邪鬼を踏みつけている毘沙門天の姿に強く魅かれるものがある。
 ところで戦国時代の武将上杉謙信は自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じていたらしい。
 何故今の新潟県に相当する越後国を支配していた謙信が北方の守護神を自任したのか、少しばかり不思議であったが、奈良や京都が我が国の首都だった時代においては、「北」とは現在の北陸地方を指していたと知り、納得した次第。
 ちなみに今の青森県、かつての陸奥国は関東地方などとともに東国に分類されていた。であるならば、青森県から“持国天”のような立派な人材は輩出されないものだろうか。翁たっての願いなのじゃが……。



◆その25
 「古きよき言語文化」

 よく「アメリカでは」とか「イギリスでは」などと海外における知見をひけらかす輩がいるが、そんな人物を「出羽守」と言うのだそうだ。
 「守」というのは昔の地方長官、今で言えば知事に相当するが、いわばそのような死語を用いるレトリックもなかなかに味わい深い。
 いくつか類例を挙げると、ただ乗りのことを「薩摩守」と洒落るのは平安後期の武将平忠度(ただのり)が薩摩守であったことによる。ご本人には誠にお気の毒と同情する他ない。
 また、折込式の小刀を「肥後守」と称するのは、大方が熊本製品であったことによるらしい。熊本と言えば肥後守加藤清正公、ということからの連想。いずれ、古きよき日本をこよなく愛する翁にとって涙が出てくるような表現だ。
 では、ここで伝統的言語文化を守るため、翁からの問題じゃ。(1)ビール好きの人、(2)ふんどし愛用者、(3)仏頂面の人、(4)ダンス好きの 人、(5)うどん好きの人、これらの人々はそれぞれ「何の守」と称されるか、以下から選択せよ。ア.豊前守、イ.讃岐守、ウ.阿波守、エ.越中守、オ.丹 後守。
 さあ、如何かな。なお、正解については、また改めて、ということで。



◆その26
 「カラスの惑星」

 最近、カラスがますます図々しくなっていると感じるのは翁だけだろうか。
 ゴミの収集場に群がっているカラスどもはこちらが近づくと、一応“敬意を表して”ちょんちょんと避けていくが、「この爺早く行ってしまえ」と言わんばかりのすっかり舐めきった表情で見つめてくれるわい。
 このカラス、平素はゴミ袋の残飯が“主食”だが、クルミをコンクリートに落下させ割って食べるなど、その知能水準は犬以上らしい。
 さらにチームワークを発揮して小動物の「狩り」をするという。なんでも残飯が出ない正月の三が日など銀座のネズミや野良猫達はカラスの格好の標的となり、パニック状態に陥るというぞ。全く侮れない連中である。
 昔は童謡に歌われ親しまれたカラスたちだが、どこで道を誤ったものか。
 杞憂かも知れぬが、ますます進化したカラスが天下を簒奪し、この地球が「猿の惑星」ならぬ「カラスの惑星」などになりはしまいの。
 いや、日本の一部の都市などは既に「カラスの惑星」状態と言ってもよいかも知れぬ。
 う〜む、恐ろしいことじゃ。
 こら、そこのカラスども、念のために言うとくが、この翁など食ってもうまくないぞ。


◆その27
 「最後の晩餐」

 一昔以上前のことになろうか。猫も杓子も「むらおこし」とか「まちづくり」とかで盛り上がっていたことがあったな。
 何でも国が各市町村に1億円を渡して好きなことに使ってよい、などと今では考えられないようなことが「政策」という名の下に行われたこともあった。
 その資金で、純金のこけしやカツオの像を作ったところもあれば、温泉を掘ったり、シンボルタワーを建てたり、そういえば中には海上で画像が見られる設 備をつくったはよいが、うまく映らず、また金をかけて撤去した市町村もあったの。「地方の時代」などと称して日本中が熱にうなされていたような状態だっ た。
 翁はそれはそれで意味のあったことだと思うのだが、翻って、現在そうした動きがほとんど見られないのはどうしたことだろう。
 「むらおこし」も、「まちづくり」もどこへ行ってしまったのじゃ。もっとも「おこす」べき村や、「つくる」べき町が市町村合併でなくなろうとしてるのだから、無理もないことかの。
 とすれば、今にして思えば当時の「政策」は地方自治“最後の晩餐”だった、というわけだ。踊らせておいて、足場をなくしてしまう。国も罪つくりじゃの。



◆その28
 「言葉のにおい」

 以前「なぜ最近便所と言わずにトイレというのか」という解説を読み、感動したことがある。
 つまり、長い間使われていると「便所」という言葉そのものに臭いが染みつき、くさくなる。だから仕切直しのため、まだ臭いのついてない「トイレ」という 新しい言葉が使われるのだ、という説であった。もう30年程も前のことだから、既に「トイレ」も大分くさくなっていると思うが、誠に的を射た指摘であっ た。
 ところで近頃国立国語研究所なるところが、「ノーマライゼーション」→「等生化」といった外来語の日本語言い換えを提唱しているが、いかがなものだろう。
 自分ではあまり使わないが、翁は、日本人が外来語を多用するのは、まだ「におい」のついていない言葉を使うことが新たな発想のきっかけになる、という知恵を無意識のうちに共有しているからではないか、と推測している。
 その意味で、むしろ外来語をどん欲にのみこむことのできる日本語の奥深さを誇るべきと思うぞ。
 少なくとも、某新聞社の「ミスマッチをマッチお嬢さんと間違えないように」という、人を小馬鹿にしたような迎合社説とは別次元でこの問題を考えたいものじゃ。



その29
 「上善は水の如し」

 故事成語シリーズ2回目は、老子の「上善は水の如し」。
 水は万物の源というギリシャ哲学の教えがあったような気がするが、東洋にも「水」を最高の善とする思想があるのは偶然であろうか。
 その意味するところは、人は一歩でも高い位置を望むが、水はその反対に、低い方へ低い方へと自然のまま流れていく。
 その欲のない有り様が、小川がやがて大河になるような可能性も招来するのだ、というものか。
 確かに水はその時々の最大傾斜線を選んで、迷いも憂いもなく淡々と進みゆく。その姿が古の人の心に訴えるものがあったに違いない。
 豊臣秀吉に仕えた軍師、黒田官兵衛もそうした一人であったのだろう。その号は「如水」であり、黒田如水という名で人口に膾炙している。もっとも、その生き方は水が低きから高きに登るような、一筋縄ではいかない複雑怪奇なものではあったが。
 そういえばこの言葉は現代にも固有名詞としてしっかり生きておる。新潟の銘酒「上善如水」がそれじゃ。酒好きの翁ももちろん飲んだことがあるが、心なしか、その味が水っぽく感じられたのは、まだまだ「上善如水」の域に達していないということかの。



◆その30
「東京の哀れ?」

 年に1回か2回東京に出かけることがあるが、さすがは我が国の首都、田舎とは諸事スケールとレベルが違うし、また行くたびに街が若々しく変貌していてこの老体を驚かせてくれる。
 それに加えて、東京で感心するのは、人々のマナーが非常に優れていることだ。
 例えば、エスカレーター。誰が指示するわけでもないが、左側はスローペースの“走行車線”、右側は急ぐ人用の“追い越し車線”と、見事に仕分けされ流れゆく。
 また、電車を待つ人々も自らの順番をよくわきまえ、すし詰め状態の車両の中に粛々と乗り込んでいく。実に見事なものである。
 しかし、その裏の事情を推察してみれば、東京のような大都会においては、ルールを遵守しないとパニックを引き起こしてしまうことを皆が知っているから、身を慎まざるを得ない、という側面があるのではないか。
 なにやら哀れさを覚えてしまう。
 さて、そんな東京と、パニックのおそれはないが、バス乗車の際、横入りしてくる人はいるわ、いきなり馴れ馴れしく話しかけてくる人はいるわ、といったマナー“無政府状態”の青森と、どちらで暮らす方がよいか。ここは意見が分かれるところじゃのお。




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