[連載]

  101 〜 110       ( 鳴海 助一 )


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◆その101
 『えんび・えび』

 名詞・農具の名。えび。えんび。土や堆肥塵芥などを、簡単に持ち運ぶ一人用の「モッコ」の如きもの。大ていは、あ る種の柳の枝などで編み、形はちょうど、二つに割ったアワビ貝のようである。又ツバメの尾に似ているところから、この名がついたのであろう。洋服の一 種に、燕尾服(エンビフク)というのがあるが、その「えんび」である。同じ恰好に板で作ったものを「はごえび」という。ゴミサライ・塵取りの仲間とみ てもよい。編んで作った「えび」は、軽くて、なかなか重宝なものだ。



◆その102
 『えぷたェ』

 形容詞。意味は、ケムッタイ・ケブッタイ(煙ったい)。
 語源の上からは、「えぷたェ」と「けぶったい」とは、本元は少しちがうようだ。次のように。

 イ.イキブル(息吹・息振)―イブル―えぷたェ。
 ロ.キ・ケブル(火気振)―ケブル―けぶたい。

 しかし、そもそも「キ・ケ」は空気・天気・息気・火気・熱気・気分、並びに哲学上の「理気」等の「氣」であり、いずれも本元は同じものであるから、実は みな同じ語族である。また「たい」は、「つめたい・ひらたい(冷・平)などの「たい」から連想し関連して「重ったい・くすぐったい・じれったい」等の形容 詞となったのと同じ。

※ハヤグトシメロジャ、えぷたェシテ、マナェデァ。
○早く戸をしめなさい。けぶたくてだめだよ。

※シタグドゴァえぷたェハデ、マナグァエグナェグナルダネ。
○火焚場が煙ったいから、トラホームになるのだ。

※シタゲバ、えぷたェしテマナェハデ、スミオゴシテ(クベデ)コダジネシベシ。
○焚火は、けむったくていけないから、スミ(木炭)をおこして、炬燵にしましょう。

▲「えぷたェ」の「えぷ・えぶ」は、前条の「えびる・えびり」の「えび」と同じであり、さらに標準語の「いぶかしい・いぶかる・いぶかしむ・いぶせし」等 の「いぶ」とも同じである。すべて、心が、うっくつして晴々としない。気にかかる、不思議だ、あるいは、火が内でくすぶって燃え得ないでいる状態から、類 推して出来上がった語である。



◆その103
 『えふりし』
 動詞サ変。「好い振りをする」「身なりを飾る・見栄を張る」「いい気になる」等の意味に当る。

※アノ「メラシコァ」コンダ、えふりコしテキタ。
○あの娘さんこんど、なかなかシャレてきたね。

 上は、田舎の娘さん、もとは、地味で内気で飾り気のない子であったのに、年頃になったので、人目をひくほど身なりを気にして、おしゃれになったということ。

※アノトシネナテ、えふりしテ、ドジァムスメダガ、ワガラナェンネシテアサェテル。
○あの年になって、大したおしゃれで、どっちが娘でどっちが母親だか分からないくらい若くして、歩いているよ。(娘と一緒の、母親の派手なのは、決して見よいものではない)



その104
 『えぷたェ』
 形容詞。意味は、ケムッタイ・ケブッタイ(煙ったい)。
 語源の上からは、「えぷたェ」と「けぶったい」とは、本元は少しちがうようだ。次のように。
 イ.イキブル(息吹・息振)―イブル―えぷたェ。
 ロ.キ・ケブル(火気振)―ケブル―けぶたい。
 しかし、そもそも「キ・ケ」は空気・天気・息気・火気・熱気・気分、並びに哲学上の「理気」等の「氣」であり、いずれも本元は同じものであるから、実は みな同じ語族である。また「たい」は、「つめたい・ひらたい(冷・平)などの「たい」から連想し関連して「重ったい・くすぐったい・じれったい」等の形容 詞となったのと同じ。

※ハヤグトシメロジャ、えぷたェシテ、マナェデァ。
○早く戸をしめなさい。けぶたくてだめだよ。

※シタグドゴァえぷたェハデ、マナグァエグナェグナルダネ。
○火焚場が煙ったいから、トラホームになるのだ。

※シタゲバ、えぷたェしテマナェハデ、スミオゴシテ(クベデ)コダジネシベシ。
○焚火は、けむったくていけないから、スミ(木炭)をおこして、炬燵にしましょう。

▲「えぷたェ」の「えぷ・えぶ」は、前条の「えびる・えびり」の「えび」と同じであり、さらに標準語の「いぶかしい・いぶかる・いぶかしむ・いぶせし」等 の「いぶ」とも同じである。すべて、心が、うっくつして晴々としない。気にかかる、不思議だ、あるいは、火が内でくすぶって燃え得ないでいる状態から、類 推して出来上がった語である。



◆その105
『えふりこぐ』
 動詞(ガ行四段)。えふりこぐ。前の「えふり」すると全く同じだが、こちらは卑罵の意が強いようだ。「こぐ」は「こく」で、「うそこく」「庇をこく」、方言の「からきずこぐ」「しともつこぐ」など皆同じ。「何々する」という意味で、動詞性の接尾語として考えてよい。

※ソレダバマナェノ、コレダバマナェノテ、えふりこェデ……。ハッカラコレァ、サダダモンダデァ。
○その羽織はいやだの、この帯ではダメだのといって、見栄ばかり飾って……。ハッカラ(早くから)まだ年もいかないのに……。これァ困ったもんですゼ。



◆その106
 『えふりし・えふりこぎ』
 名詞。えふりし。えふりこぎ。これはどちらも、動詞の連用形が名詞化したもの。おしゃれ。派手好み。けばけばしく外観を飾る人。ハイカラさん。



◆その107
 『えへる』
 動詞・下一段。「えへる」「えせる」。意味は、すねること、ふてくさること、あまのじゃく、妙におこりっぽいこと等。単に「へぐ・へで」ともいう。津軽では、さかんに用いられる。

※コノベゴァ、えへダデバ、ナンボシテモアサガナェ。
○この牛は、すねたとなったら、どんなことをしても歩かない。(おこったとなると)


※アノフトァ、えへヤシシテマナェンダ。
○あの人は、おこりっぽくてだめだ。(こまる)

※アジハノ、タェンドァ、ミナえヘデ、タェジョシテシマタ。(タェンドは、連中または仲間)
○あっち派の連中が、みんなおこって、退場してしまった。(村の議会、常会、集会その他)

カミ(上)の好むところ、シモ(下)これにならって、昔も今も、常に見られる風景(出来事)なり。

※ウッテへがヘレバ、クジサベエグナル。
○うんと怒らせれば、あの人は、口を言えなくなる。(短気な人。せっかちな人。少々どもる人。)

※コノワラシァ、えへべこデ、サダダモンダ。
○この子は、剛情っぱりで(スネル・イセ牛)、困ってしまう。これはふてくさって口を言わないこと。現代語で言えば、黙秘権というところか。



◆その108
『えへらめぐ』

 動詞。えへらめぐ。「えへらえへら」の「えへら」に、動詞性の接尾語「めく・めぐ」がついて、複合動詞となったもの。「えへらえへら」は、標準語として も、下級のものであり「せせら笑い」のことで「あざわらう・だらしなく笑う・不敵な笑い」等にあたる。「えへらめぐ」の意味も、これと全く同じ。

※コノワラシァ、ナンボシカエデモ、えへらえへらテナマジルェモンダナ。
○この子は、いくら叱られても、せせら笑いをして(人を小馬鹿にしたようなさま)なまいきな奴だ。

※アノオナゴァ、エジミデモ、えへらめデ。
○あの女は、いつ見ても、だらしなく笑っている。

※エジダカジダ、えへらめデエラエルナ。
○いつもいつも、笑い顔ばかりみせていられるかェ。

 上は、親が子に対して、上役が社員に対して、親方が入夫達に対して、先生が生徒に対して等、いつもニコニコしていては、締りがつかない。統制がとれない。といったような場合の言い方。



◆その109
 『えまじね』(1)
 副詞(連語)。えまじね。今に、後で、のちほど、もう少したってから等の意味。この語は、津軽でも珍しい言い方で、現代ではもちろん、三、四十年前で も、あまり聞かれなかった。今では、七、八十才の老婆などが、小さな孫たちに、話しかけることばの中にたまに聞くことがある。

※アバ、ゼンコケロ。―アサマカラナ。えまじね、アメウリァクレバアラ、ケルァネ。(四十年前)
○かあさんお金をくれ。―朝っぱらから、またお金かい…。あとでアレ、飴屋さんが来たらネ、その時あげるよ。(現代風に言ったら、大体、このような言い方になるか。)

※コッタサビジキ、コダツサハッテアダテナガ…。えまじねシコァテテキタラ、デファナガ。
○こんな寒い時には、こたつに入って、暖まっていなさいよ。今に、日が照ってきたら、外へ出て遊びなさい。

 上について、私幼年の頃は、両親は分家して間もなくだから、生活が忙がわしくて、兄弟は、ほとんど祖母(本家から来て同居していた)にばかり、子守りを してもらった。冬の寒い日など、たこ揚げ、だるま作り、ズグリ(こま廻し)など、着物のすそが凍り、手や顔の腫れるのも知らずに、夢中で遊び廻ってい るまではよいが、夜になると大へんで、一晩中、垢切れや霜腫れ(冷えばれ・シンバレ)が痛んで泣くのである。祖母は、それがかあいそうでもあり、両親に 対して責任もあるので、さまざまな「ムガシコ」を聞かせたりして、なるべく、こたつに入れておきたいのである。
 えまじねぬぐぐ(あたたかく)なてから、えまじねシコァててきたら……と、こう言った祖母の慈愛の声が、今でも耳に残っているようだ。



◆その110
 『えまじね』(2)
 ▲「えまじね」は、「今に」が語源かと思われるが、その経路は、いささかはっきりしない。ただ、多少の手掛かりとなるのは、「このうちに・いまのうち に」などが略言・訛言によって、「コンチニ・イマンチニ」となることである。このことは他にもたくさん例があって、例えば、「僕の所へ。僕の家へ」という のが、「ボクントコヘ・ボクンチヘ」というように。そこで、次のように考える。
○いまのうちに―いまんちに―いまんじに―えまんじね―えまじね…となったと。

 そうして、その意味は、「このうちに」の意味と同じように用いられるに至ったものであると、一応結論づけておく。
 前述のように、この「えまじね」という語は、全く珍しい方言(訛語)で、津軽の人達でも、おそらく知っている者は少ないだろうと思う。ゆらい大光寺附近 は、為信公以前は、津軽の中心地であった関係からか、古語の名残りや、このような言葉が、かなり多く残されているのである。



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