[連載]

  371 ~ 380       ( 鳴海 助一 )


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その371
「きしびじ」(2)


 ▲ところで、「米びつ」のことを、津軽で「きしびじ」というのはどういうわけか。
「びじ」は「ひつ」の訛りで問題はないが、「きし」は何か。
 まず、大辞典によると、
ケシネビツ 方言。米ビツ。津軽(物類称呼)。
新潟県中魚沼郡。千葉県君津郡。安房郡。
ケシネブジ 方言。米ビツ。秋田県南部。
キシネビズ 方言。青森県上磯郡。岩手県。
キシノ 方言。米ビツ。青森県津軽地方。とあり。
上の「物類称呼」というのは、江戸時代に出来た「方言辞書」であって、当時の民衆の「ことば」の実態を知り得るものとして、極めて貴重な存在である。
その書の中に、津軽地方で「キシネビツ」ともいった、というのである。
それを大辞典編集者が引用したもの。
また、津軽で、「キシノ」ともいう、とあるが、筆者はいかんながら聞いたことがない。
「ノ」は「ネ」の訛り。ところで、家の用例等により、「きしね・けしね・きしの」が、いずれも津軽の「きしびじ」の「きしに当たる、ということが分かる。
津軽ではその「な・の」を省略したものということになる。
次は「きしね・けしね」について。やはり大辞典等によると、以下の通り。

ケシネ 方言。
①飯米。自家用の精米。秋田県平鹿郡。栃木県河内郡。茨城県猿島郡。大分県玖珠郡・日田郡。
②雑穀。東国。西国。(物類称呼)
③米・麦・粟等を搗(ツ)く作業のこと。熊本県北部。
④速製にして初物の意味。壱岐島。
(ケシネ野菜。ケシネ醤油の実。などという。)

キシネ 方言。精(シラ)げたる米・粟など。
青森県南部地方。岩手県上閉伊郡。
上の例により、「ケシネ・キシネ」は、「米・粟」等の主食を指す、ということが分かる。
この「けしね」は「食稲・ケシネ」の意味で、上古から主として「いね・米・飯米」のことに用いた。
「きしね」はその訛とみる。
(「いね」と「しね」との転成関係については、今のところ研究しかねる。)
結局、津軽の「きしびじ」は、上古から各地にいわれてきた「けしねびつ」の訛りであり、「きし」は「「米」のことである。



その372
「きしびじ」(3)


 ▲津軽の「きしびじ」(米びつ)を、他県の方言ではなんというか、若干紹介しておく。
①コメカラト=京都・富山・大分。
②キシ=米殻類を入れる木製の大形の箱。岩手県。
③きしねびつ・けしねびつ・きしびつ=前述の通り。
④キス・キツ=米を入れる箱。魚を飼う木箱。
秋田・岩手・新潟等。
⑤キッツ・キツ・ヒツ=米倉のこと。
仙台。板倉のこと。
秋田・岩手・宮城。木製のヒツ。青森・秋田・茨城県多賀郡。米びつのこと。
岩手県和賀郡・宮城・福島。木製の銭箱のこと。会津若松。
⑥ゲビツ・ゲブツ=米びつ。
大阪・堺(俚言集覧・物類称呼)・奈良・和歌山。
飯びつのこと。大分県。
⑦コカビツ=米びつ。香川県三豊郡・奈良県葛城郡。
「嫁にこかびつを渡す」=嫁に世帯をゆずること。
上は津軽の「かまどをまがへる」「かまどわだす」と同じもの。
「かまど」は火炊場から転じて「世帯」の意味となる。
「こかびつ」も「米ばこ」だから、最も大切なもの。
「財布」を渡すなど皆同じ意味。
⑧コメブネ=米びつ。
山口県大島・大分県の一部。
⑨コメボシ=米びつ。
島根県簸川郡。
⑩その他。コメンムロ・セビツ・ドーマイビツ・ドーメ・トビツ・ヨノケ・ハンマイビツ等々。



その373
「きしもンど」(1)


 名詞。きしもンど。
「ン」は例の津軽発音のクセだから、文字に書く場合は「きしもど」と書くのがよい。
これは、囲炉裏の坐席の名称の一つ。
田舎の台所の入口近くに取り付けてある「いろり」は、長方形の大きなものであるが、その四方には、それぞれ名称がある。長方形だから、いうまでもなく長い二辺と短い二辺が、それぞれ向かい(対)合っている。その長い方は、入口から座敷の方へ(奥へ)見通して考える時はまさしくタテ(縦)だから、それに対して上座の方がヨコ(横)である。
ここにすわると、入口の方へ向かうことになるが、これが「横坐」であり、上坐である。
この横坐に対して、向い側の方は下坐になるわけだが、これを津軽では「きしもど」というのである。
また、長い二辺のうち、入口に近い方を「客坐」、その向かい側を「かかァ坐」というそうだが、津軽では、主として「横坐」と「きしもど」だけをいうようだ。

※アコデマダ、オヤジァ、きしもどサネマテ、カガァヨゴジャサネマテルァネ。
○あそこのうちでは、亭主が下坐にすわって、おかみさんが、横坐にすわっていますよ。
これは、別にカガァ天下だというわけでなくとも、亭主の方は、薪を割るとか、仕事着のまま、いきなり炉にあたる場合などもあって、なにかと「きしもど」の方が便利だから。
また、おかみさんも、縫い物などの場合、燈火に近いとか、子どもらの傍らで、あやしながら手仕事をするとか、これも横坐の方が便利だからである。
しかし、大ていは、主人が横坐にすわるのが普通で、特に人寄せの場合、来客があった場合などは然り。

※ムガシカラ、ヨメドカレゴァ、きしもどダ。
○昔から、嫁と借子(奉公人)は、「きしもと」にすわることに、きまっている。

※きしもどサアダテレバ、ヘナガサ、カジャ、ジージテルデァ。
○きしもどにすわっていれば、背(うしろ)から、風がシーシーとあたるよ。
(入口に近いから、寒い風があたる、ということ。)



その374
「きしもンど」(2)


 田舎の大やけの台所の「ろぶち」は、特に大きく出来ている。
その中央から、やや上坐(横坐)に近寄った点が「ほど・火処」だから、下坐(きしもど)は、火から大ぶはなれている。
人数の少ないうちなら、何もわざわざ火から遠い「きしもど」にあたる必要もないのだから、大人数の家庭になると大へんである。
嫁は、夕飯を終えるや否な、食事の後片づけをして、凍えた手のヒラを、下坐からちょっと差しのべる(かざして暖める)程度ですぐ台所の中央の燈下で縫い物などをする。
縫い物などはよい方で、納屋で藁仕事を二・三時間もするのが普通であった。
また「借り子」も、夕食後、直ちに「きしもど」に坐って、ちょっと一プクする間もなく、翌朝炊くだけの薪割り(小さく割る)をする。
あるいは、馬の飼糧を煮るのに手伝うとか、ワラ靴の一足も作るとか、何や彼やで、とにかく「きしもど」近くにすわることになっている。




その375
「きしもンど」(3)


 ▲さて、「下坐」を「きしもど」というのは、文献だけによると、青森県津軽とだけ出ているが、どうして、津軽で「きしもど」といったのか。
これについて、まず私案を述べてみる。
常識的に考えて、この「きし」というのは、川の岸(きし)・海の岸・山の岸などの「きし」ではなかろうか。
山・岡・崖などでは、その麓(ふもと)がつまり「きし」である。
台所の「いろり」を中心とした坐席のうち、下坐がもっとも壁(板戸・板障子)に近いから「壁際・壁岸・かべきわ・かべぎし」である。
その「きし」に、柱の本(もと)・足もと・ふもと・根もと等の「もと」がついて、「きしもと」。「と」が濁って「きしもど」となった、と一応考えたいのだが……。
だからこの「きしもど」は、ひどく転訛した方言訛語の類ではないようだ。
大辞典によると、群書類従本(かの名高い塙(ハナワ)保己一篇)の、字鏡の中の説として、下記の如き引用がしてある。
すなわち次の如し。

▲たとえば「岸本」という姓も、山田・上田・高田・窪田・川上・下山等と同じく、地形からきたものだということがいえると思う。
「いろり」の「きしもと」も、「岸本」などと同類語であったのではないか。
「村岸・山岸」とか、「家岸・ヤゲシの田」とかともいうが、それらと同じ言い方ではなかろうか。
なお、「横坐」「客坐」「きしもと」等の区別は、現在では、さほど窮屈に考えなくなったようだ。
ただし、いきなり、お客が「よこざ」にすわるようなことは、今でもめったにあるまい。
また、祝言の場合などは、前言の如く、きまって「よこざ」には、本家の「とうさん」がすわって、亭主代となる。
そうして、「きしもど」はやはり昔ながらに、はるかに位が低くなる。



その376
「きしふむ」


 成句(名詞・動詞)。
格助詞の「を」は略されている。
これは「岸を踏む」ことであるが、方言として用いられる場合は、①金銭を出ししぶる。
②けちけちする。
③必要以上に念を入れる・疑う等の意味となる。

※ジンブシンボダフトダバテ、ムシメケルジギダバきしふまナェデ、タエシタモダヘダジデァ。
○随分、物惜しみの強い人なんだけれども、むすめ(娘)を嫁にくれる時には、ケチケチしないで、衣類諸道具をたくさん持たせてやったそうだよ。

※アノフトァ、キフダバきしふまナェダシァネ。
○あの人は、寄付なら、気前よく出しますよ。

※ソウダノコウダノテ、きしふんデ、ナガナガ「ン」テサナェデァ。(エパダネ)きしふんデ。
○そうだのこうだのといって、むやみに念とって(警戒して)、容易に「うん」とは言ってくれない。

▲「きしふむ」は、津軽一帯ではないらしい。
方言辞典には、「けちんぼ・しわんぼ・りんしゃく・しみってれ・倹約家」等の意味の方言は、全国のもの百以上も載せているが「きしふむ」とは出ていない。
津軽の「までだ・までくそ・よぐたがれ」などはある。
さてこの「きしふむ」というのは、如何なることか。
案ずるにこれは、たとえば、人や馬などが、少し巾の広い堰や小川などを跨ぐ時には、こちらの岸で、足場をしっかりさせるために、二・三度踏んでみてたしかめるだろう。
つまりちょっとためらいながら足許に念を入れる。
チュウチョする。瀬ぶみをする。
たしかに、あの心理とあの動作からきたものだと思うが如何。
用心深いという意味を表わすのに「石橋をたたいて渡る」という諺があるが、あれにも似た言い方であろう。
それから転じて、半信半疑の態度や、妙に用心深い、悪く言えば、引込み思案や臆病なさまなどにも用い、さらに金銭などを出しぶる人、りんしょく漢などにもいうようになったものにちぎない。
このように考えると、「きしふむ」という語も、なかなか捨てがたい味のある言い方ではないか。
津軽にはまた別に、似たようなものとして、「しっぱだふむ」という語もある。
これらはいずれ、この世から消え去っていくであろうが、われらの先祖が、永い間用いてきた言葉だと思えば、むやみに軽蔑するわけにもいかないようだ……。
これは筆者だけの悪趣味だろうか……。



その377
「きたげる」(1)


 動詞。きたげる。
これは「切る・斬る」「ずたずたに切る」「伐り払う」等の意味。

※ダェンジネシテラ、テシバダゲ、ワラハドァ、グットきたげ(きぱじ)テシマタデァ。
○大切にしてしまっておいた「手柴竹」を、子どもらが持ち出して、切ったり折ったりしてしまいました。

この「手柴竹」というのは、夏の頃畑の瓜やササゲなどの「支え棒」に用いる小竹のこと。
いくさゴッコや何かで、近所の子どもらも混ざって一本盗み、二本盗みして、とうとうあらかた無くなって……。
しかもみんな長短さまざまの鉄砲や槍や刀などになっているというのである。

※オラダバ、タンガェダバ、ハラきたげるダバ、シギデナェバテ、ワガェモンドァ、ソエデモ、ドキョァエシテ、ヤーヤド、ニュエンシタネ。
○おいらは、なるたけなら、腹を手術(切開)するなどは、いやなんだけれども、若い人たちはそれでも、度胸がよくて、早速入院しましたよ。
(手術を受けたこと)。

※オゴテキタデバ、カカノキモノデモオビデモ、ムタムタド、きたげテシマルジァネ。
○病気が起こってくると、あの亭主は、おかみさんの着物でも帯でも、シャニムニ、切りきざんでしまうそうです。

※エマノオナゴワラハドァ、カミきたげテシマテ。
○今の女の子は(娘達は)、髪を切ってしまって。

※ダブリノオパコ(シパコ)きたげテ。
○トンボの尾を、チョン切って(切り取って)。

※スズメノハネコきたげテ、コゴコサヘデオェダ。
○雀の羽を切って、籠に入れておきました。



その378
「きたげる」(2)


 ▲「きたげる」は標準語のどれに当たるか、ちょっと求めかねる。
「ズタズタに切りきざむ」というような意味。
「ブッタ斬る」「斬りまくる」とも少しちがう。

ここで思い出すのは、古事記上巻の「八俣遠呂智・ヤマタノヲロチ」の物語である。
その中の「須佐之男命が大蛇を退治する」様子を、次のように表現している。
「……ソノミハカセル、トツカツルギヲヌキテ、ソノオロチヲキリハフリタマヘバ……」。
上の「切り散り」が、津軽の「キタゲル」と大たい一致するようだ。
「きたげる」の「きた」は、「きった」と促音を入れていうのが本当らしい。
「げる」「げェる」は「斬る・切る・伐る」の「きる・「ぎる」。
そこで問題は、「切る」の上の「きった」は何か、ということである。
語調を添えるための接頭語だ、といえばそれまでだが、本元は何であったか、少々考えてみよう。
標準語にも、少し乱暴な言い方だが、「ぶち斬る・ぶつた斬る」がある。
あるいは、「ぶちまける・ぶッぱなす・ぶッたまげる」など。

方言にもたくさんあって、たとえば、「放っておく」「捨てて省みない」「全然世話をしない」などの意味に「じぶんがもなェ(かまわない)」というのがあるなど。
あるいはまた、標準の言い方の「ぶんなぐる」。
これらの「ぶち・ぶつ・ブジ・ぶん」等は、みな接頭語であるが、特に「ぶった斬る」の「ぶった」に関係があるのではないかと思われる。
「ぶった」の「っ」は、「打ち・ぶち」の間に「促音」がはさまった例で、「あち・こち」が、「あっち」、「こっち」、「あはれ」が「あっぱれ」となるように、促音の生ずる場合の一例であって、これは不思議ではない。
要するに「きったげる」は、「ぶったぎる」の訛りではないかと思われる。
似たような方言を、他県にもとめるならば、「くッたぎる」千葉県市原郡。
「きュたぐる」宮城県石巻市(糸ヲキッタグル等と用いる)などがあげられるが、多くは見当らないようだ。
なお、前述のように結論づけたいのだが、「うち・ぶち・ぶっ・ぶった」等の「う」「ぶ」が「きっ・くっ」に変わる過程については、大いに疑問がある。
後考にまつ。



その379
「きたでだ」

 形容動詞(不完全)。
正しくは、「きたで」が名詞で、「だ」は指定(断定)の助動詞と見るべきであろう。
意味は、「山坂・崖・屋根の勾配」などの「けわしい」こと。あるいは「急な」こと。
つまり「急傾斜」のこと。

※アノ山ヨリ、コノ山ァきたでだ(急ダ)
○あの山よりも、この山がけわしい(傾斜が急だ)

※ヤネァきたでで、ユキオドシネアブネェシテ。
○屋根の勾配が急だから、雪をおとすのにあぶなくて困る。

▲「きたでだ」は、前述のように、名詞と助動詞であったが、形容動詞化して、述語になったり、修飾語になったりするようになったもの。例えば、
①この坂は(主語)ずいぶん(副詞)キタデダ(述語)。
この場合は、「キタデダ」が述語。
②ずいぶん(副詞)キタデダ(修飾語)坂だ(述語)。
この場合は、「キタデダ」が修飾語。
ただし、②の「修飾語」云々は、実は、形容動詞の連体形とみるのが正しくて、したがって、「キタデナ坂ダ」というべきところ。
方言では、連体形も、ほとんど「ダ」となる。
「丈夫ダカラダ」など。
さて、「きたで」は「切り立て」で、あたかも「切り断った」ような、けわしい様子をいう語であったが、方言では、意味も多少ちがうし、性能も形容動詞風に変わったもの。



その380
「きねなる」


 連語。(名詞・助詞・動詞)アクセントは特にないようだ。
「ね」も略して「きなる」ともいう標準語の「……気になる」がその本元。
意味も「何々しようとする」ということである。
だから、この連語の上の語は、かならず、用言(動詞・形容動詞・形容詞)または助動詞の連体形である。

※ミンナシテ、ンンテレバ、アレァ、エきなてへ。
○みんなで、はいはいといっているから、あいつ、いい気になってサ。
(いいきになりゃがってサ)

※モゴロ、アダコフトリ、オグきなてラデバ……。
○来年、女中(子守り)一人おこうと思っているが。

※ウッテサガシフトダバテ、ツト、エきなるオナ。
○うんとかしこい人なんだけれども、ちょっと高慢なところがありますオね。
(増長する)

※マ、ネゲルきなて。
ネゴァサガナクきなて。
○馬が逃げようとして。
猫が魚を食べようとして。
この例のように、「気になる」という連語が、あたかも助動詞、又は動詞性の接尾小詞のような役目をするのである。
さらにひどく訛ったものとして「きがる」というのがある。

※マレコドァ、ハダノドゴチャ、エグきがて。
○生れっ仔(猫や犬など)たちが、ハダネコ(親猫)のところへ、(そばへ)いこうとして。

※モドルきがて、カルきがて、ヤメルきがて。
○帰ろうとして。買おうとして。退職しようとして。
このように、「何々したい・しようとする」という意味で、あらゆる場合に用いられる。
……きになる=きねなる=きなる=きがる



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