[連載]

   51 〜 60       ( 鳴海 助一 )


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◆その51
 「いぬもむらずぎ」

 成句。やはり津軽のことわざの一つ。いぬもむらずぎ。「犬も村ずき」ということで、犬でさえも、他村と何か争いご とでもあった場合は、自分の村の方に加勢する、という意味。現今最も問題になっている町村合併、分村又は選挙などには、この諺がピタリと当てはまるフシ が甚だ多いようだ。青森県人がとかく本県出身の相撲に、夢中になって声援を送るのもまた同じか。



◆その52
 「うじげる」

 動詞(ガ行下二段)。うじげる。意味は「甘える・甘ったれる・頼る・力にする・よりかかる」等で、やや広く用いられる。

※シタコァナェハデ、七ツネモナッテ、マダアバサうじげデ、チコサガシタリシテル。
○下の子がいない(ない)ので、七才にもなって、まだお母さんに甘えて、乳房をさがしたりしています。

※マダ親父サうじげでる。
○父親に頼りすぎる。

※補助金サバレ、アンマリうじげダェンテナ。
○あんまり、補助金にばかり頼りすぎたようでね。

△語源は、いかんながら研究しかねている。試みに言うならば、まず、その始めは「幼児語」ではなかろうかと。母親に幼児が、顔をすりつける、すべて動物の 「生れッ仔」が、親の肌にすり寄るという姿態から、出来た「語」ではないかと。すなわち、「ウナ」は、頭・首の意味で、それに「ツケル」が続くと「ウナ ヅケル」その「ナ」が略されて、「うづける・うじける」となったと。ただし自信はない。

 次に、他県の方言から暗示を得たい。
@うつける=ふざける(山形県米沢地方)
Aうずける=甘える・ふざける(秋田・山形)
Bうじける=腫物が化のうしてただれる(対馬)
△うむ=熟す(ウミ・甘も同じ)



◆その53
 「うじやめぐ」

 動詞(ガ行四段)。うじャめぐ。名詞化して、うじやめぎともいう。春めく・時めく・ざわめく・ガダメグ等、皆同じ。意味は、「うじャうじャテシ」と、多少似ているが、これは、特に「悪寒(オカン)がする・寒けがする」という意味にだけ用いられるようだ。

※カンジャフエダキャ、カラダうンじャめデ、ナンモエノキタェグナェデァ。
○風邪ひいたので、寒けがして、ちっとも動きたくないよ。

※ネゴモノァデデモ、カラダうンじャめぐモンダナ。
○できもの(腫れもの)がでても、からだが、ゾクゾクして、寒けがするのんだねェ。

※エッシュカンモ、クラシタバテ、うンじャめぎァトェナェデサダダデァ。
○風邪ひいて、一週間もたったけれども、寒けがとれないで困ったよ。

△「うじャうじャめぐ」の語源について。まず標準語の「うんざり」に関係がある、ということは、容易に見当がつく。その「うんざり」の本元は、「倦む」 で、「仕事にウム・ウマナイ・ウミテ」のように、マ行四段活用の動詞である。この「ミ」が、音便で「ン」になるのは普通だが、更に「軽みす」「重みす」が 「軽んず・重んず」になるように、「倦みす」が「うんず」となる。それに、存在のアリ(在・有)が結合すると、「うんずあり・うんざり」となるのである。 「降らずあり・咲かずある・知らずあり」が「降らざり・咲かざり・知らざり」となるのと同じ。この「うんざり」の約言「うざ」が、「うじャ」と訛り、繰返 して「うじャうじャ」となる。うんじャらの「ら」は、「うんざり」の「り」の名残である。

 倦む=うみ=うみす=うんず=うんずあり=うんざり、それが訛って方言の「うんじャら」となったのであるが津軽方言では、「り」のつく語が、副詞に用い られる場合は大てい「ら」に変わる。こっそり=コッソラド、ばったり=バッタラド、ごろり=ゴロラド、そっくり=ソッコラドのように。
 また、「うじゃ」と「うじゃうじゃ」との関係も標準語・方言を問わず、その例が頗る多い。
 例えば、むざ=むざむざ。わざ=わざと=わざわざ。それが訛って「わじャわじャ、わンじャと」となるように。



◆その54
 「うたうた」

 名詞(サ変動詞ともなる)。幼児語。これは、かわいらしい言葉であると同時に、極めて注意すべき語である。生れた 「あか児」はまず、高らかに泣く。産声(うぶごえ)である。これは自己を他に発表する第一声であり、人間の発表欲の源(みなもと)となる。次に母の乳房 (ちぶさ)をさがし、口にふふむ(ふくむこと)、これは、外界から自分のために「もの」を摂取するという営みの、第一着手である。
 この「発表する」と「摂取する」とは、人間の本能であり、権利である。「うたうた」は、その発現するという本能の、具体的なものとしての一例であろう。 すなわち幼児の両の手を内にむけて、ピタピタと「うつ」あの動作のギ態語である。「ウマウマ・ウワウワ・ウタウタ」みな同じ。これは「機嫌がよい・満 ち足りた」感情を外に発表することであり、大人の世界では「手の舞い足の踏むところを知らず」の境地であり、これが音楽舞踊の本源でもある。
 津軽では、幼児語にいろいろなのがある。「うたうた」に似たものとして、「かんぶりかんぶり」というのもあるが、これは、「かがふり」「かんぶり・かん むり」でつまり「冠」の語源ともいうべきもので、幼児が上手に頭を振る動作につけて、そばからハヤス言葉である。「かんぶりかんぶり」といえば、頭を振 り、「うたうた」といえば、両手で拍手する。これらの動作が、やがて遊戯・舞踊となって、人間の表現本能を満足させるのである。

△次に注意すべきことは、この「うたうた」の語源である。結論を言えば「歌」に関係がある。「歌」は「打つ」の変化したものであり、「打つ」は「訴える」 と転化する。人間の感情を声音に具体化して、他に訴えるということ、これが「うた」である。この「うた」の本元「打つ」と、津軽の「うたうた」と全く一致 することは愉快である。「歌ふ・歌ひ(謡)」い等皆同族語。



◆その55
 「うだで」(1)

 形容詞。うだで。きたない(けがれ・汚)・むごい・むごたらしい・気味が悪い。いやだ(厭)・無理だ・残酷だ等の 意味に用いる。標準語の「うたてし」と言う形容詞の訛ったもので、津軽方言の中でも、重要かつ広範囲の用途をもつ語である。この標準語の「うたてし」は、 古代語だから、現代の口語では、ほとんど聞かれなくなったが、幸いにも、津軽その他の地方語として、その面影を止めているのである。

※ゲンクゎンバレリッパダバテ、カクジサエゲバ、うだでぐカチャマシデァ。
○表通りの玄関ばかり立派だけれど、裏へ廻ってみたら、ひどく汚なくゴミゴミしていたよ。

※イヌケンクワダバ、うだでしテミデエラエナェ。
○犬喧嘩ならむごたらしくて(かあいそうで)、とても見ていられません。

※マエンジノンネ、フトゴロシァアテ、マアマア、うだでヨノナガネナッタモンダ。
○毎日のように、人殺しがあってサ、まあまあ、ひどい世の中になったもんだねェ。

※うだでワゲェモンダ。メグサェモメヤグモシラナェダベナ。
○ひどい若者だ。義理の人情も知らないのかな。

この「うだで」はさらに転じて、普通の「大へん」「おそろしく」「あきれるほどりっぱな」等の意味にもなる。

※うだでぐツカラツヨェオドゴダデァ。
○おっそろしく力の強い男ですゼ。(力試し。相撲などで)

「うだで」は形容詞だけれども、例の通り津軽ことばでは、「うだでぐ・うだで・うだでして」の三つの形しか用いない。また、他の形容詞と同じく、動詞化する場合は、接尾語の「がる」がついて、「うだでがる」となる。

※アノフトァ、アエデ、モノうだでがるンダ。ムスメノシュジュツ、ナンボヘモ、ミエナェデエタネ。
○あの人は、ああ見えても、気が弱いところもあってねェ。自分の娘の手術するのを、どうしてもみておれないであったよ。



◆その56
 「うだで」(2)

 △語源は、「いと・いどんど・いだえなェ」等の「いと・いた」と同じで、やはり「甚し」が本元らしい。つまり標準語の「うたてし」は「甚し」である。「うたてし」の古代の用例を少々。
@常に思ひ歎くと聞き侍るはいとうたてくてなむ。
Aこちたく酔ひののしりてうたてく乱りがはしく。
B…ちごさくり上げて泣きければうたてしやな。
Cかまつかの花ぞうたげなり名ぞうたてげなり。
Dこようなう年老いうたてげなるおきな二人。

 @は宇津保物語の一節、人の歎くのを聞けば、聞く自分までが、カチャクチャとなるという意。Aは栄華物語。酔っぱらいの乱行は、昔の今も変わらない浅ま しく厭なもの。Bは宇治拾遺物語、ちょとお預かりした「ちご」が、親を慕ってやたらに泣くのでみなで持て余して、「うたてしや」と、こっちが泣きたくなる ところ。Cは、枕草子で、「かまつか」という花の名は、厭だというのである。Dは、大鏡の冒頭で、百五十才と百四十才の老人が二人並んで坐っている様子 が、如何にも現代ばなれがして、この世のものとも見えないところから、「うたてげなる」と評した。以上いずれも平安時代。
 以上はほんの少しだけの例だが、「うたてし」は上代においては、すこぶる勢力のある語であった。それが、さまざまな意味をそのまま含めた語として左記のように、地方語として現在に名残りを止めているのである。「うだで」の使用地域左の如し。
@きたない・厭だ等=青森県、秋田、山形、福島。
A気の毒・哀れだ=千葉県、飛騨、郡上郡。
B申訳ない・恐縮=北飛騨。
C遠慮する=山梨県。
D困る・うるさい=奈良県、徳島県。
E如才ない=滋賀県。
Bの意味は、津軽でもある。

※キナマダエッテ、うだでぐゴッチォニナエシタデァ。
○昨日またお邪魔して、大へんご馳走になりました。



◆その57
 「うどから」

 名詞。うどから。空洞(うつろなから)が語源であろう。中空(なかがうつろなこと)も同じ。ホラアナ(洞穴)、ホ ラガイ(ホラ貝)、ホラ吹きなどの「ホラ」や、ウドの大木、ウトウトしい(疎遠)などの「ウド」は、皆この「うどから」に関係がある。結局「中味が ない」「概観だけで、中はつまらない」「誠意がない」など、有形無形なものの形容である。

※シコロダワラ、うどからネナッテシマテラデァ。
○シコロ入れた俵が、ねずみに食われて、中味が空になってしまってるよ。

「シコロ」とは、脱穀する時に出来る、稲の屑(切れた穂など)のこと。昔は冬の間保存しておいて、春になってから、よく乾かして米にしたものだ。



◆その58
 「うらこ」(1)

 名詞。うらこ。木の梢。槍の穂先。針や釘やキリの先。棒さおの先。指の頭等を、津軽ことばでは大てい「うら・うらコ」という。

※カギノキノうらこサ、マダフタツミツノゴテラ。
○柿の木の梢の方に、まだ二つ三つ残っている。

※キリノうらオチョエダキャ、サンモアダェモナェデバナ。(サンモアダェ=三文値い)
○キリの先が折れたんででは、全然役に立ちませんものねェ。「キリの生命は、尖った先にある」

※ヤネサアアゲダマル、トテケルキガタバテ、サオノうらこァ、チョンドトジガナェ。
○子供等が屋根に上げたゴムマリ、取ってくれようと思ったけれども、さおのさきが、ちょうど届かない。「ちょうど届かない」は変な言い方だが、冗談に、あるいは、ちょっとふざけていう場合は許せる。

※ユビノうらこサトギサシタ。
○指の先に「とげ」刺した。



◆その59
 「うらこ」(2)

 「うら」は由緒正しい語である。その語源は「末」であり、国語では「ウラ」のこと。樹木の根元は「本」であり、上 部は「本」に対して「末」であり、「木末・梢」である。「モト」に対して「ウラ」ともいう。「表」に対して「裏」。「おもて」は「顔・面」であり、「心」 は「うら」である。表面・表向き・玄関等に対して、「裏面・内面・内部・陰・勝手口」等はみな「うら」である。この「うら」は樹木の「うら・末」と同族 語。詳しく言えば「ウラエ・末枝」が「うれ」となって、純然たる大和言葉として用いられたが、これが他の語につくと、「例えば「末枯・うらがれ」「末葉・ うらば」となって再び「うら」となる。これがすなわち、津軽ことばの「うら・うらこ」として、現代まで残されて来たのである。また、内面・陰・勝手口・心 等がみな「うら」と言われることは、一々例示する必要もないが、「心」の例だけを二、三示してみよう。
 うらがなし、うらさびし・うらやむ(心病)・うらやまし等々。更に、「うらなふ・占」の「うら」も実は「事柄の内部・事の由って来るところ・未だ知られざるもの」すなわち「裏・末」の意である。
 要するに「うら・うらこ」の語源は、「末」であり、上代語としては「うれ」である。



◆その60
「うるがす」

 動詞(サ行四段)。うるがす。意味は、@水に漬ける。水に浸す。うるおす(潤)。Aわざと時間をかける。わざと放っておく。故意に捨てて構わないでおく。この「うるがす」は、津軽ことばのうちでも、注意すべき味わいの深いことばである。

※キウリノタネコ、チトうるがしテデマゲバヤネ。
○瓜の種子を、少し水にひたしてから蒔けばいいよ。(早く芽が出るよ)

※タェヘァシシグダドゴデ、ヘゲサうるがしテオグ。
○漬物桶が乾き切ったから、堰に浸しておこう。

 「タェヘ」「大瓶」で、大きな「カメ」のこと。漬物に用いる「樽や桶」などを、「タェヘ」と津軽で呼ぶのは、古語の名残である。「シシギル」というのは、「乾干切る」で、これは乾いてしまって桶が「桟る」ことである。

※コンタラネうるがしテオエデ、コド、ウヤムヤネシテマルキダベガナ。
○こんなに長びかせて、事件をウヤムヤにしてしまおうとする魂胆だろうか。

※カゲうるがす。
○鍵(カギ)を穴に入れたまま忘れること。



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