[連載]

 51話〜60話( 佳木 裕珠 )


前へ          次へ


◆その51
新名物(4)


 口上の後は演奏のみ、そして二回り目は手の振りだけの動きを抑えた重々しい演技として組み立てた。
 それは、手振り鉦を叩いて行う次の演技を引き立てるための作戦であった。
 二回り目の演技が終わった途端に、三回り目では跳ねを入れた動作に移って若さを爆発させ、応援する者達のテンションを一気に上げる。
 応援が盛り上がれば、そのエネルギーは選手に伝播し士気を高めることが出来るだろう。
 そしてチャンス到来の時には、只ひたすら三回り目を繰り返す。
 そのためにはどのような状態であっても跳ねながら手振り鉦を叩くことが出来るようにしなければならなかった。
 彼等は、昌郎を手本として手振り鉦の練習に精を出したが、その練習は容易なことではなかった。
 手振り鉦の叩き方の順番を間違えずに完全にマスターすること自体大変なことである。
 そして、鉦の叩き方を覚えたからといって跳ねながら叩くことは、更に並々ならぬ練習を積まなければ出来るものではない。
 山村も真治も克也も狂ったように練習した。
 やるしかないのだ。
 手振り鉦は真鍮で出来ていて長時間持ち続ければ男でも結構重くなる。
 また金属で出来ているから間違って指を挟んだりすると血豆も出来るし皮も剥ける。
 3人の掌は皮が剥け血豆だらけになった。
 しかし、直ぐそこに野球応援の本番が待っていると思えば弱めを吐いてなどいられない。
 ただ良かったことには、応援は白い手袋を穿いて行うので、幾分痛みをカバー出来たこと。
 ある程度演技が身に付き手振り鉦が叩けるようになった段階で昌郎達は吹奏楽部と一緒に練習をすることにした。
 その練習の初日、由希が手振り鉦を持って練習場所に現れた。
 バレー部3年で由希のクラスメートの戸山政子も一緒だった。
 彼女達は桶胴太鼓の横に立ち出番を待った。
 三回り目の昌郎達が手振り鉦を叩いて跳ねる演技に合わせて由希達も鉦を叩いた。
 跳ねながら昌郎は中学生の由希を思い出していた。



◆その52
新名物(5)


 いよいよ、甲子園大会の予選を兼ねた県大会の幕が切って落とされた。
 昌郎達の学校は大会3日目に第1回戦があった。
 第1回戦の応援は吹奏楽部と応援団だけである。
 2回戦に進めば生徒会役員と3年生有志を送り込むことになっていた。
 第1回戦の応援に行く前日、応援団の練習場へ由希と政子が来た。
 昌郎達は吹奏楽部との練習を終え、太鼓など次の日の準備をしているところだった。
 炎天下の中での応援は大変だけれど頑張ってください。
 そう労いながら、由希は夏空のような美しい青色の紙袋に包まれた物を昌郎達の前に差し出した。
 これ、私達で作ったの。
 是非、ねぶた囃子の応援の時に使って。
 何ですか。
 袋を受け取りながら昌郎達が訊ねた。
 開けて見て。
 由希と政子の声に促されて、昌郎が袋の中身を取り出した。
 それは、真っ赤な幅広の襷(たすき)と黄色の扱き帯(ねぶたのハネトが腰に巻く長い帯)そして青海波模様の鉢巻だった。
 それらは袋縫いにされ、きちんとアイロンが当てられていた。
 見るからに長さも十分だった。
 これを俺達に作ってくれたんですか。
 ええ、間に合ってよかったわ、ねえ。
 由希は政子に同意を求めた。
 間に合わないかと思ったわ。
 でも、昨日二人で夜なべしてやっと間に合った。
 今夜はたっぷり寝なくっちゃね、由希。
 由希が政子と一緒にそれらのものを作ってくれたことに昌郎達は感動した。
 剽軽者(ひょうきんもの)の真治はそれを恭しく頭上に上げて最敬礼した。
 今使っている真っ白な鉢巻と襷も由希が作ってくれたものである。
 昌郎達はそれを大切にして使っていた。
 それを身に付けるだけで昌郎は由希を深く感じることが出来た。
 それだけでも十分なのに、更にまた作ってくれた。
 それも扱き帯まで添えて。
 ねぶたの衣裳を考えて、鉢巻は青海波模様の手拭を何本も継ぎ足して作り、襷は真っ赤、そして腰に巻く鮮やかな黄色の扱き帯も添えて作ってくれたのだ。
 思いがけない厚意に、昌郎達のやる気が更に盛り上がった。



◆その53
新名物(6)


 昌郎達は早速、由希と政子の前でその鉢巻や襷(たすき)そして扱き帯を学生服の上に着けてみた。
 鉢巻や襷はたっぷりと蝶結びにしても尻の辺りまで届き、扱き帯も足元まで届く程の長さであった。
 黒い学生服に真っ赤な襷と鮮やかな黄色の扱き帯が異彩を放すように収まった。
 そして昌郎達の若さに輝く顔に青海波の鉢巻がよく似合っていた。
 政子は、似合うじゃないの意外と君達はイケメンなのかもねと、からかい半分で褒めた。
 由希は黙って彼等を見ていたが、目に優しさが溢れ昌郎の所で一瞬留まった。
 2回戦に勝ち進めば、私達生徒会役員も応援に行きます。
 そう言い残して由希と政子が帰った。
 鉢巻・襷・扱き帯は、それぞれ10本ずつあった。
 予備も含めて作ったのだろうが、来年はこの本数分の応援団員を確保しようと彼等が話している所に、今度は生徒会顧問で応援団の顧問も引き受けてくれた辻先生が顔を出した。
 彼等がまだ学校に居たことに安堵しながら、たった今、笹岡から届いたファックスを昌郎に手渡した。
 このファックスがたった今届いた。
 笹岡先生からだ。
 俺はまだ仕事があるから職員室に戻るが、これをよく読んで立派な応援を頼むよ。
 そう言い残して辻が慌しく帰って行った。
 そのファックスには、武骨だが力強く温かみのある笹岡の字で「野球の応援に際しての基本的な心得」と題が付され、その下に数項目の心得が書かれてあった。
 一、応援演奏やエールは自校の攻撃の時だけに限る。
 一、自校が3アウトになった時点で、途中でも応援は即座に終了すること。
 一、応援は相手チームが2アウトになった頃から準備するように。
 一、校歌は何度やっても良いが、1回、9回の攻撃に入る前には必ず行うこと。
 一、選手達には勝っても負けても、心からエールを送れ。特に負けた選手には心を込め、意を尽くしたエールを送ることが肝要。……
 それは十数項目に及ぶ心得だった。
 彼等はその心得を胸に刻むのだった。



◆その54
新名物(7)


 1回戦の当日は曇り空だったが、雨が降るほどでもなかった。
 試合は午後。
 吹奏楽部員と応援団員は午前中は授業に出て、昼食後に後援会のバスで市営球場へ向かった。
 相手校は、昨年度女子高校から共学になった高校で、野球部も今年出来たばかりのチームだった。
 選手達は、顔にも体つきにも幼さを残した1年生ばかりで、やっとメンバーが揃ったという感じのチームだ。
 1回表の相手チームの攻撃をストレートに下した。
 1回裏の自校攻撃の前に、昌郎達は吹奏楽部と打ち合わせて校歌を行った。
 試合は、昌郎達の学校が一方的に運び、4回までに13点を入れ、5回表の相手チームの攻撃がゼロで終った時点で、13対0の5回コールド勝ちとなった。
 この試合ではコンバットマーチやサウスポーの演奏に合わせた応援に終始し、ねぶた囃子(ばやし)の応援をする前に試合が終わっていた。
 1回戦は勝てるだろうと予想はしていたが、あまりにも呆気(あっけ)ない試合だった。
 しかし負けたチームは最後まで力を抜かずに懸命に戦っていた。
 惨敗した彼等は悔しさで一杯に違いないだろう。
 しかし爽やかな笑顔で、昌郎達のいるスタンドにも挨拶(あいさつ)にも来た。
 昌郎達は、自校選手達に送ると同じように、いやそれとはまた違った敬意を込めて相手チームの選手達にエールを送った。
「爽やかなー、試合をー、有難うー。私達はー、皆さんのー、健闘をー、心からー、称えるー」
 相手チームの選手たちが深く頭を下げて走り去った。
 その相手チームがフィールドを退場する間際、彼等の方を向いて昌郎達は無言・無音の演技で再びエールを送った。
 選手の一人がそれに気が付いて仲間達に告げた。
 選手全員が振り返り昌郎達の無音のエールを見た。
 エールが終わり昌郎達は深い礼をした。
 驚きながら選手達も一斉に深々とした礼を返した。
 来年は必ずいい試合をしてみせる。
 そんな熱い思いが、北国の初夏の青い空気を震わせて昌郎達に伝わって来た。



◆その55
新名物(8)

 第2回戦の対戦相手は、昨年度県大会ベスト4に入った実力も前評判も高い高校だった。
 第1回戦のようには絶対にいかないことは誰しも予想がついた。
 それどころか第1回戦の逆パターン、つまり自分達の学校がコールド負けの惨敗になる可能性が大きいことも懸念された。
 第1回戦の3日後、前回と同じ市営球場で昌郎達の学校の第2回戦が行われた。
 この日は午前からの試合で、吹奏楽部員と応援団員のほかに生徒会役員と3年生の希望者あわせて70人ほどが公欠扱いで現地に集合していた。
 朝のうちは曇っていた空も、試合が開始される頃には、すっかりと晴れわたり、球場は強い日差しに照らされていた。
 昌郎達の学校は先攻となったが、1回表はあっけなく終った。
 そして1回裏のノーアウトでいきなり3点を入れられた。
 昌郎達の応援スタンドは悪い予感に包まれた。
 しかし、その後はどうにかランナーを出さずに2アウトまで善戦したが、応援席は今一つ盛り上がらなかった。
 ここが応援団の腕の見せ所だと昌郎は感じた。
 この沈滞ムードを打破することが必要だ。
 よし、ねぶた囃子の応援をやろう。
 吹奏楽を指揮している根上先輩に、そのことを伝えた。
 根上は太い眉を上げ、きらりと瞳を輝かせてうなずき、吹奏楽部員にねぶた囃子の準備の合図を送った。
 昌郎も、山村と真治そして克也に、鉢巻き、襷(たすき)をねぶた囃子応援の物に変えて扱(しご)き帯を結ぶように伝えた。
 応援席の生徒達は何が始まるのだろうかと彼等の行動に注目したが、由希と政子はねぶた囃子応援を行うことを直ぐに察知して、準備を整えた4人の応援団員の両端に手振り鉦(てぶりがね)を持って並んだ。
 3点だけで相手チームをどうにか3アウトにした瞬間を待って、昌郎は朗々と口上を述べた。
「青い空に青い海、風が輝く青い森、そこに育む熱き血潮、今此処に湧き上がらん。本校ー、名物ー、ねぶた囃子応援を行う。いざ我等に続け」
 昌郎の声が朗々と応援席に響き渡った。



◆その56
新名物(9)


 吹奏楽のねぶた囃子の演奏が始まった。
 勿論太鼓は胴桶太鼓である。
 一回り目は吹奏楽部の演奏だけである。
 昌郎達は、肘を張り手を腰に構え大股を広げて立ち二回り目を待った。
 二回り目は手の振りだけだが重々しい演技である。
 それが終わり演奏が三周り目に入った途端、昌郎達は腰に差した手振り鉦を両手に持ち、それを叩きながら跳ねを入れた動作に移った。
 今までの静と正反対の激しい動きに生徒達は一瞬呆気にとられたが、手振り鉦の音に重なるラッセラー、ラッセラーの掛け声に彼等も即座に声を合わせた。
 掛け声は、打て打てラッセラー、ゴーゴーラッセラーに変わった。
 息を切って跳ね続ける昌郎達の演技に、由希と政子の鉦の音が一層の華を添えた。
 ねぶた囃子の応援にスタンドの人達の視線が集まったが、五回り目でぴたりとねぶた囃子による応援を止めた。
 しかし、その興奮が尾を引き自校応援席のテンションも選手達の士気も十分に上がった。
 昌郎達のチームは2回、3回で点数は取れなかったが、投手はカーブ、スライダーの変化球を不思議なくらいに決めて、昨年のベスト4の強豪チームに得点を許さなかった。
 いいところまで行くのではないか。
 そんな期待を抱かせる好試合を展開した。
 4回表も得点なしで終わったが、この回裏で急激に投手の調子が落ちてしまった。
 先程までと同じピッチャーとは信じられないほどである。
 きっとあまりにも実力とかけ離れた好調子で、逆に何時までこれが続くのかと急に不安に苛まれ、それが体の硬さを呼び投球に影響したのだろう。
 2回、3回とは逆の意味で不思議なほど調子が悪くなっていた。
 そして、それはすぐ失点という形で現れ相手校の打線の前になす術もなく7点を入れられてしまった。
 しかし、実力の差から考えれば7点で抑えられたこと自体、上出来なのかもしれなかった。
 高校野球では何が起こるかわからない。
 それを地で行く試合展開で客席は盛り上がった



◆その57
新名物(10)


 5回の時点で10点の差があればコールド負けとなる。
 昌郎達のチームの選手にもスタンドの応援席も、負けの二字が色濃く漂っていた。
 5回表、昌郎達の学校の攻撃でバッターが三振をとられた。あと2アウトで5回コールド負けとなる。
 悲壮感を漂わせ選手がバッターボックスに立った。
 こいつも三振だと高を括って相手チームのピッチャーが投球した。
 一瞬、球場の空気が固まった。
 この期に及んでバッターの左腕にボールがあたったのだ。
 ピッチャー自身も驚いたが、それ以上にバッターが驚いた。
 彼はボールの動きを見て咄嗟(とっさ)に体を引いたのだが、球はまともに左の腕にあたってしまった。
 痛いと感じるよりも驚きの方が先だった。
 デットボールだとわかった時、左腕は痛んだが、それよりも塁に出れることに喜びを感じ、バッターは弾かれるようにして一塁へと走った。
 次は当然の送りバントである。
 なんとこれがまた成功してランナーは2塁へと進んだ。
 2アウトとなった。
 しかし点数が入るかもしれないという期待が、昌郎達の応援席に一気に広がった。
 そして、一回り目から手振り鉦(てぶりがね)を入れて跳ねるねぶた囃子応援が炸裂した。
 打て打てラッセラー、ゴーゴーラッセラー。
 スタンドの生徒達は総立ちになって次のバッターを声援した。
 ボールが投げられた。
 バッターがそのボールを叩きのめすようにバットを振った。
 カーンと音を立ててボールが飛んだ。
 セカンドが後退してグローブを構えた。
 ああ、もうだめだと思った時、またしても信じられないことが起こった。
 当然受け止められるはずのボールが、セカンドの手からポロリと落ちたのである。
 ランナーは走りに自信があった。
 彼は遮二無二走った。
 3塁を回った。
 地鳴りのようなラッセラーの掛け声が遠くで聞こえた。
 本塁が目の前に迫っていた。
 ボールがどこにいるのかわからない。
 走者はがむしゃらに走った。
 そして彼はボールよりも一瞬だけ早くホームベースに滑り込んだ。



◆その58
新名物(11)


 5回の表に1点入れた。
 これで5回の裏を零点で抑えれば、5回コールド負けは免れる。
 しかし、健闘も空しく2点を入れられて、1回戦とは逆に12対1の5回コールド負けとなってしまった。
 だが、実力から考えれば、昨年度のベスト4で優勝候補でもあるチームを相手に良く健闘したと言っていいだろう。
 コールド負けをしたが、昌郎達の学校の野球部員達は爽やかな笑顔でフィールドを後にした。
 そして、昌郎達応援団も精一杯の声援をすることが出来た試合だった。
 コールドで負けに甘んじた相手チームが、なんと優勝を果たし甲子園に行くことになった。
 地元新聞では優勝校の記事が華やかに報じられた。
 そして、その紙面の一画にこんな見出しの記事が掲載された。
 『〈爽やかな応援、そして新たなる名物〉
 1回戦の試合で、13対0の5回コールド負けとなった○○高校の野球部員がフィールドを出ようとした間際のことである。
 相手チームの応援団が彼等の去り行く背に向かって無言・無音の演技でエールを送り始めたのである。
 そしてその時、偶然に後方を振り向いた選手の一人が、それに目をとめて立ち止まった。
 彼は、その無言・無音のエールが自分達へ向けられたものであることに気が付き、それを仲間達に伝えた。
 選手達は全員立ち止まって振り返り、自分達に送られているエールをじっと見守った。
 そのエールが終った後、選手達は誰からともなく再度深々と頭を下げた。
 その姿は、更に練習を積んで来年はもっといい試合をして見せますと伝えているようだった。無言・無音のエールを送ったのは……」
 と昌郎達の応援団の高校名を記して紹介した。
 そして更に記事を続けて『この応援団は2回戦の折、ねぶた囃子をアレンジした応援演技を披露したが、青森の地に相応しい新たな名物となるような応援だと感じた。



◆その59
花火(1)


 甲子園の県の予選大会が終わると、転がるようにして学校は夏休みに入った。
 昌郎達は、夏休み中も応援団の練習を計画していたが、ねぶた祭りの期間中だけは休みにした。
 笛吹きとしての昌郎は、囃子方(はやしかた)に当てにされている。
 そして彼も、ねぶたに参加しない夏などは考えられない。
 山村達もねぶた祭りに参加する。
 とは言っても、彼等は囃子方で参加する訳ではない。
 ねぶたは大きな台車に載せて運行するのだが、その台車を引っ張る「曳(ひ)き手」のバイトを山村が頼まれ、それに真治と克也も誘ったのである。
 当初、真治と克也は跳人でねぶたに参加しようと話し合っていた。
 しかし割のいいバイトだし、それに前々からねぶたの曳き手をやってみたいと思っていた彼等は、別段の分別もなくバイトの方へ鞍替えをした。
 そう言うわけで、ねぶた祭り期間と後一日の8月2日から8日まで応援団の練習を彼等は休みにした。
 夏休みに入るとすぐ、生徒会では秋に開催される文化祭の準備に取り掛からなくてはならない。
 秋といっても、文化祭は10月中旬だ。
 夏休みが明けるともう9月、そこから文化祭までは1ヶ月半ほどしかない。
 文化祭が成功するかどうかは、夏休み中に何処まで準備が出来るかにかかっていると言っても過言ではなかった。
 勢い生徒会の役員達は、夏休みもほぼ毎日出校して活動することになる。
 由希の進路は就職希望である。
 夏休み中に応募先の目処をつけ提出書類の準備しなければ、9月に入ってすぐに始まる就職活動に遅れを取ってしまう。
 3年の由希にとっては気の抜けない夏休みでもあった。
 しかし、ねぶただけは見物しようと心に決めていた。
 毎年、昌郎はねぶたの囃子方で笛を吹く。
 その彼の姿を今年も是非見たいと思った。
 何事にも前向きに取り組む昌郎は見ていて清々(すがすが)しい。
 そして応援している時の昌郎は雄々(おお)しくて胸がすく。
 しかし彼女は、笛を吹いている昌郎を見るのがもっと好きだった。



◆その60
花火(2)


 何時の間にか昌郎達は生徒会の事務局員としても当てにされ、応援練習が済めば、そのまま生徒会室に行って細々とした雑用を手伝うようになっていた。
 昌郎は団長、山村はやまさん、真治と克也は、シンちゃん、カッちゃんと先輩達から親しみを持って呼ばれるようになった。
 ねぶた祭は夜間に行われるから、祭り期間中も生徒会役員は学校に出て文化祭の計画や準備に精を出す。
 しかし昌郎達は、ねぶた期間と8日は生徒会の活動を免除してもらった。
 囃子方も曳き手も、夕方の早い時間帯からねぶた小屋に行って準備しなくてはならない。
 その上、2時間以上も街を練り歩くのだ。若いといっても相当な労力である。日中に十分に休養を取っておかなければ体が持たない。
 そして祭が終わった翌日は精も根も尽き果てて蛻の殻の状態である。先輩達はそのことを十分に知っていた。
 ねぶたを見に行くから頑張れよと励まし、昌郎達の生徒会への手伝いを8日まで休みにしてくれた。 
 8月2日ねぶた祭り本番初日、由希は生徒会の女の子達と一緒にねぶた見物に出掛けた。
 彼女は毎年、浴衣を着てねぶた見物に行く。
 その日も、仕立て下ろしの赤や黄色で朝顔模様を染めた浴衣を着て出掛けた。他の女の子達も浴衣である。
 彼女達は、青い森公園に面した道の角で見物することにした。
 空砲と共に囃子が一斉に弾け、青森の街はねぶた祭の渦中へと飲み込まれていった。祭りの始まりである。
 彼女達の目前で待機していたねぶたがゆらりと起き上がり、明かりが灯された鬼と若武者人形が見得をきりながら動き出した。
 跳人集団や囃子方が通り、また次のねぶたが現れた。
 そうして5台目のねぶたが由希達の前を通り過ぎようとした時、一人の女生徒が声を上げた。
「あれ、あれを見て」彼女が指差す方へ目をやると、10人ほどの曳き手に混じって山村、真治、克也の三人が白い短パンにお仕着せの半纏を着てねぶたの台車を懸命に引いていた。



 雪降る駅でTOP
前へ          次へ

トップページへ